中国経済新論:中国の経済改革

我々は改革に対して反省をしなければならない

胡鞍鋼
清華大学国情研究センター

1953年遼寧省生まれ。1979年から88年にかけて唐山工学院、北京科技大学、中国科学院自動化研究所より工学学士、修士、博士を取得。1991年米 国イエール大学経済学部のポスドクフェローとして勤務。現在、中国科学院主任、清華大学国情研究センター主任、清華大学公共管理学院教授を務める。胡鞍鋼 氏は中国国情研究の専門家であり、彼の著述する国情分析の論文は、政策決定のみならず、国内外にも大きな影響を与える。

中国の経済改革に伴い、理論、政策、思想に関する論争が交わされてきた。これらの論争は有意義なものであり、決して悪いことではない。中国の経済改革が一世代を経た今、我々はこれまでの改革を振返り、総括すべきである。

国有企業改革は経済改革にとって最も重要な課題であると同時に、ネックでもある。国有企業改革を如何に評価すべきかを考えるときに、その裏にある改革コストを議論しなければならない。国有企業改革の成功は認めるが、改革コストの問題は無視できない。国有企業(集体企業を含む)改革における最大のコストはリストラ、人員削減により大量のレイオフ者と失業者が現れたことである。1996年から2002年までの間に、国有、集体企業の従業員数は累計で5500万人も減少した。

リストラによる人員の再配置と人員削減は、ミクロ経済の観点から見ると、効率と収益の向上につながるかもしれないが、マクロ経済の観点から見れば、かえって巨大な経済損失をもたらす。(米国の経済学者である)オークン(Arthur Okun)のモデル(生産と失業率の関係を示す)によると、実際の失業率が自然失業率を超えると、生産の低下が発生してしまう。レイオフが多ければ多いほど、失業率が高ければ高いほど、経済損失が大きいことになる。振返ってみれば、1997年にリストラと失業により発生した損失はGDPの5.2%~5.6%に当たり、1998年は5.6%~5.7%、1999年は5.9%~7.2%、2000年は7.4%に達し、ここ数年間は7%~8%の間と推計される。リストラのピークは過ぎたが、人的資源の損失がすでに発生してしまったのである。国有企業改革に伴うこのようなコストは改革が終わってから初めて計算できる。この中にはリストラによる退職者やその家庭にもたらした心理的コストと社会的コストは含まれていない。

なぜこの話をしたか?それは国有企業改革のみならず、中国経済改革全体の理念が人間本位か物質本位か、労働本位か資本本位かに関わるからである。これまで改革の目的は生産力の解放、生産力の発展と言われてきたが、人間が生産力の主体で、改革の最終目的は人々の解放である。改革の理念は「人間本位」でなければならない。改革の目的は人々が改革の成果を分かち合い、多くの人が改革の恩恵を受けられることである。

中国において、改革初期の成功は最も貴重な経験である。例えば、1978年から1985年までの農村部改革はウィンウィン効果を挙げた。改革は多くの貧しい人に恩恵をもたらし、この間に農村の一人当たり純収入は15%も増え、農村部と都市部との収入の格差は縮小し、農民の消費力が向上した。これは人類の発展史上において、今までなかったことである。次に、この改革のおかげで、一人当たりGDPで見た地域格差が縮小された。また、絶対貧困者数も1978年の2.5億人から1985年には1.5億人となり、7年間で一億人も減少した。これは歴史上なかったことである。

中国における農村改革の成功経験は次のことを教えてくれた。まず、改革の理念は人間本位でなければならない。人こそが改革の目的であり、改革の出発点でもある。また、多くの人々を改革に参与させてはじめて、改革は成功する。さらに、改革の果実を分かち合うことは改革を成功させるための前提である。すべての改革には受益者と損失者がいるが、損失者に補償することを通じて受益者を最大化し、損失者を最小化してはじめて改革が成功するのである。

改革には良い改革と悪い改革がある。また、ウィン・ウィン・ゲームに当たる改革とゼロ・サム・ゲームに当たる改革がある。さらに、大部分の人が恩恵を受ける改革と大部分の人が損をする改革がある。改革の経路や方法によって、結果が違ってくるのは当然である。中国では、改革の経路と方法を選択する際に、経済効率の向上だけではなく、社会の公平と調和の実現をも考慮しなければならない。長期的に見れば、社会の公平と調和が実現されなければ、如何なる改革も持続できず、成功できないだけでなく、社会における二極分化と衝突、ひいては社会不安を招いてしまうだろう。改革は、エリートなど、少数者に独占されてはならない。改革はすべての人の利益にかかわり、人民が利益を得る偉大な事業である。如何なる見方、如何なる理論、如何なる改革に関する方案であろうと、社会実践の検証を受けなければならない。この社会実践は人民の実践であり、人民の検証を受けるべきである。

中国は正に改革の時代にある。25年間の改革の経験を踏まえて、社会のコンセンサスになりうる改革観が形成できるかどうかは、次の五つの点にかかっている。

まず、人間本位の改革観を確立しなければならない。改革は物質、特にGDP本位ではなく、必ず人間本位でなければならない。我々の改革は改革のための改革ではない。改革は目的ではなく、手段に過ぎない。13億の人口を全面的に発展させることは改革の出発点であると同時に最終目標でもある。

第二に、大多数の国民の改革への参加が必要である。国有企業の改革か、社会保障制度体制の改革かに関わらず、すべての改革において、すべての利益関係者を参加させなければならない。改革の設計や、評価にも参加させ、平等な参与権、表現権、議論権ないし投票権を与えるべきである。改革への参加過程は同時に情報開示の過程であり、各種利益の表現の過程であり、主体が妥協点をさぐっていく過程でもある。

第三に、ルールに基づく改革が必要である。ルールに基づく改革の効率性と公平性は、いずれもそうでない改革より高い。ルールがあってはじめて、人々が改革を見通すことができ、ゲームのルールを守り、監督することもできる。

第四に、透明性のある改革が必要である。情報の透明性を保ち、改革法案の形成、制定、実施といったすべての過程において、情報を披露することによって、利益関係者が情報を得て、自分なりに見通しを立てることができる。大きな改革方案にしても、小さな改革方案にしても、情報開示は非常に重要である。この意味から見れば、透明性は改革の主要な原則であると言っても過言ではない。

最後に、改革の利益はすべての人が共有しなければならない。中国の改革は一部の人々のための改革ではなく、十数億人に関わる改革である。すべての人が改革の恩恵を受けることが望ましい。これこそベストな方案である。しかし現実にはすべての人が受益することは難しい。そのため不利益を被る人に充分に補償しなければならない。これがセカンド・ベストの案になる。この案は、損する人も改革の成果を享受することができるという意味で、現実的かつ合理的である。

結論として、25年間の改革の実践と学習を経て、また25年間の改革の論争と実践を経て、改革を通じて13億の人民の「富民強国」という目標を実現するために、我々は理性的に改革の過程を反省しなければならないだけでなく、更に新しい改革観を確立しなければならない。

2006年5月29日掲載

出所

『読書』、2005年1月号
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている 。

2006年5月29日掲載

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