中国経済新論:中国の経済改革

深刻化する中国の失業問題
― 求められる雇用重視の発展戦略への転換 ―

胡鞍鋼
清華大学国情研究センター

はじめに

中国は世界で最も人口の多い国であり、労働力の最も豊富な国でもある。このため、世界で最も雇用問題に悩まされているのも中国である。世界銀行の統計によると、中国の労働力資源は世界の25%を占めているのに対し、資本(国内投資額を指す)の割合は4%にも達していない。十数億の人口を養うことが中国経済長期発展の最大の任務だとしたら、世界の四分の一の労働力の雇用問題を解決することは、中国経済にとって、その次に重要な任務となるだろう。1993年以降、都市部の失業者(レイオフを含む)は約600万人から2000年には1700万人まで急増し、建国50年以来の最高水準に達している。

この問題は今や中国経済全体と社会生活に最も深刻な影響を与えている。まず、非常に広い範囲にわたって多くの民衆(失業者とレイオフされた労働者及びその家族)の基本的利益に損害を与えているだけでなく、社会の安定を損なう重要な原因ともなっている。また、高すぎる失業率はGDPに4~5%の大きな損失をもたらしている。1993年以降、われわれは4~5年の時間をかけて、経済の「ソフト・ランディング」に初めて成功し、高いインフレ率を効果的にコントロールしてきた。しかし、高度経済成長を維持しながら都市部の失業率を減少させるためには、われわれは今後さらに4~5年の時間をかけて、第二の経済の「ソフト・ランディング」を開始しなければならない。従って、高い失業率との戦いは決して短期的なものではなく、むしろ長期的なものでもある。臨機応変な対策を行うことはもちろん必要であるが、長期的な対策も要求されている。

雇用問題が深刻化する背景

では、なぜ中国の都市部における失業人口は急増しているのか。大量失業という現象に対して、科学的な解釈を与えることは失業危機を解決するカギである。これは人口学、構造変化、市場移行及び工業の技術化路線という四つの観点から分析しなければならない。

第一に、現在わが国は労働年齢人口が絶えず増加する時期にあるため、中長期にわたって多くの雇用機会を創出しなければならないという深刻な問題に直面している。また、女性の労働参加率が高いなど、計画経済の下で採用され、いまだに残存している高雇用モデルが、雇用の競争と圧力を人為的に拡大させている。従って、失業者が大量に発生していることは、中国が高雇用モデルから経済発展の段階に適した正常な雇用モデルへと転換していることを反映しているといえよう。

第二に、中国は大規模な産業構造調整段階にあり、失業者が急増していることは、持続的で長期的な構造型失業である。その表れとして、従来新たな雇用を創出するはずであった農業部門が、90年代に大量の失業者を生み出している。都市部を目指す農村の余剰労働力が、非農産部門や都市部に雇用の競争と圧力をもたらしている。第二次産業、特に製造業は、新たに増加した労働力を吸収する能力が下がっているのに対し、第三次産業はこうした労働力を吸収する主要なチャネルとなっている。わが国の製造業は、「不足経済」から「供給が需要を上回る」、あるいは「供給が需要と均衡する」という「過剰経済」への大きな構造変化を経験している。そのため、多くの伝統産業の企業は倒産、合併あるいは閉鎖を強いられ、そこからの失業者が急増している。技術革新は効率性の向上をもたらすが、失業者を生み出す原因の一つでもある。このように、構造変化、そして技術革新が著しく進展する時期は、まさしく失業のピーク期でもある。

第三に、中国は市場経済への移行過程にあり、国有経済の雇用総人口における割合が急速に減少しているが、非国有経済は国有企業からの失業者全員を吸収しきれずにいる。国有企業改革の実施から20年の歳月を経ても状況が改善されず、国有企業が抱える従業員人数は減少するどころか、むしろ増え続けている。今後は失業者の大量発生を防ぎながら、漸進的、永久的にこうした人員を非国有経済に移転させるべきである。

第四に、わが国の経済成長は「資本深化」の過程を経験している。特に工業部門における国有企業の資本集約度が大幅に上昇し、新たに増加した失業者を吸収するどころか、大量の余剰人員を生み出してしまっている。90年代以降、中国にはかつてない程の高度経済成長と高い投資の増加が見られたが、それに対応した雇用の増大を実現することが出来ず、労働投入の経済成長への貢献度はますます小さくなっている。

薄れる経済成長と雇用の関係

経済の発展戦略に関し、二つの説が存在している。一つは、経済成長を中心とする成長優先説である。つまり、経済成長が最も重要な目標であり、最優先すべき目標であるとの考え方である。もう一つは、雇用確保を中心とする雇用優先説である。すなわち、雇用を拡大し、失業率を低下させることが最も重要な目標であるとの考え方である。

経済成長と雇用拡大との間には一体どのような関係が存在しているのだろうか。経済成長は雇用拡大の必要条件であり、十分条件ではない。経済学の角度から見ると、雇用成長率(l)は、経済成長率(y)と雇用弾力性(a)という二つの要素によって決められる。つまり、l=y・aである。これをベースに、経済成長と雇用の関係は、四つの組合せに分けて考えることができる。一つ目は高い経済成長率と高い雇用弾力性、二つ目が高い経済成長率と低い雇用弾力性、三つ目が低い経済成長率と高い雇用弾力性、四つ目が低い経済成長率と低い雇用弾力性である。

中国の経済成長と雇用との関係には大きな変化が見られた。80年代の中国は、「高度経済成長に伴う高い雇用弾力性」のモデルであって、年平均1400万人の新規雇用を実現し、基本的に完全雇用の目標を達成した。1978~1989年には、中国のGDPの年平均成長率、雇用成長率はそれぞれ9.5%、3%となり、雇用のGDPに対する弾力性は0.31であった。これに対し、90年代には、GDPが年率10.1%という高成長を遂げたが、雇用の成長率が1.1%と鈍化し、同弾力性が0.10に低下した。「高成長、低雇用弾力性」への移行を反映して、その間、雇用者数は毎年およそ800万人しか増えなかった。

企業の経営というミクロ経済的な角度から見ると、人員削減は利潤極大化を目指す企業の合理的行為であり、国有企業改革の重要な方向でもある。しかし、国全体というマクロ経済的な角度から見ると、失業率が自然失業率を超えるほどにまで上昇することは、GDPに対して直接的な損失をもたらしている。

このように、90年代以降の中国においては、経済成長、投資増大に対応して雇用が拡大するという相関関係が薄れてきた。経済の高度成長や資本の投入が必ず望ましい雇用の達成を保証するものとは限らないし、またそれが自動的に雇用機会の拡大につながるものでもない。経済成長、投資に対する需要の拡大が雇用を拡大させるかどうかは、経済成長率だけではなく、異なる成長モデルによって決められる。雇用の拡大と失業問題の改善が組み込まれた改革目標の設定は、現在のわが国の経済発展にとっての急務である。

求められる雇用重視の発展戦略への転換

周知の通り、中国の最も豊富な資源は労働力であり、最も欠けているのは資本である。これによって中国経済内部における労働力と資本との間に矛盾が生まれる。中国の雇用戦略の目標は、豊富な労働力を最大限に開発し、利用することによって、雇用人口の適切な成長と雇用構造の変化を促し、完全雇用を実現することである。その時、以下のような考え方を基本とすべきである。

第一に、労働集約型産業を大いに発展させ、「少資本・多労働力」の工業技術化路線を選択し、資本集約型と技術集約型の産業を意識的に育成することである。新しい雇用の創出と新たな雇用機会に直接つながる資本累積と技術革新を展開しなければならない。具体的には、民間企業やサービス部門の発展を促進すべきである。

第二に、二つのインフラの建設を中心とする「新政」(1930年代、アメリカのルーズベルト大統領が実行したニューディール政策を指す)を実施すべきである。一つはハードの面におけるインフラの整備である。すなわち、学校、病院、橋梁などの建設、植物の栽培、水利の振興、環境の保護、都市部の衛生状況の確保、ゴミ処理などの公共事業を行うことである。その際、レイオフされた労働者を長期的、あるいは一時的に優先して雇用すべきである。もう一つはソフトの面におけるインフラの整備である。つまり、社会保障制度、失業保険制度、個人に対する住宅購入の融資制度、労働災害の保険制度、生命保険制度をそれぞれ整備することであり、また労働市場と情報ネットワークを形成させることでもある。こうした制度的な整備を通じて、失業者や貧困者に対して基本な生活保障を提供し、社会の安定と国家の安全保障の目標を実現する。

第三に、労働力の流動化を促進させることである。市場を通じて労働力を新たに配置し、雇用構造を変化させることによって、経済の成長を確保しながら雇用の拡大を促す。その具体策としては、各種の労働力が国有経済部門から非国有経済部門へ、農業部門から非農業部門へ、農村から都市部へ、労働生産性の低い部門から高い部門へ、発展の立ち遅れた地域から発達している地域へと移動するよう促さなければならない。

表 中国における雇用成長の弾力性の変遷
GDP成長率(%)
(a)
雇用成長率
(b)
雇用弾力性係数
(b/a)
1952-19786.152.580.4
1978-19899.512.960.31
1990-199511.981.230.10
1995-20008.270.930.11

2002年6月24日掲載

2002年6月24日掲載

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