中国経済新論:中国の経済改革

中国郷鎮企業改革の行方
― 蘇南モデルと温州モデルの比較による示唆 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

新段階に入った郷鎮企業

改革開放以来、中国では、非国有部門が急成長し、経済発展を牽引するエンジンとなっている。特に、農村部に立地する郷鎮企業の発展が目覚ましく、従業員の数はすでに国有企業を50%ほど上回る1.27億人に達している。改革当初、ほとんどの製品において需要が供給を大きく上回る「売り手市場」であったという時代背景が、技術も資金もほとんど持たなかった郷鎮企業に発展の余地を与えた。

しかし、90年代に入り、経済改革の深化に伴う「買い手市場」への移行は、郷鎮企業に新たな経営改革を要請した。具体的には、R&Dの強化、資本市場の利用などであり、そして製品の高付加価値化を目指すために企業制度の革新が欠かせなくなってきた。特に、中国のWTO加盟の実現によって、郷鎮企業の競争力を強化すべく、社会主義の根幹の部分に関わる所有制を含め、一層の改革を迫られるようになっている。

一口に郷鎮企業といっても、地方によって、それぞれの特色がある。これまで、地方政府が積極的に企業の経営に関わり、集団所有を中心とする江蘇省と個人(家族)経営を中心としてきた浙江省は、対照的な所有形態を採りながら、いずれも成功例として広く知られていた。「蘇南モデル」と「温州モデル」の優劣をめぐって、中国の経済学界において、盛んに論議さたが、90年代後半に、江蘇省のほとんどの郷鎮企業が民営化の道を選んだことから、温州モデルに軍配が上がったと言えよう。

蘇南モデルの盛衰

郷鎮企業による経済発展の最初の成功例は、江蘇省の蘇州、無錫、常州といった蘇南地域であった。蘇南モデルと呼ばれるようになった発展戦略は、郷鎮企業の発展を通じて、脱農業化を実現する路線を指すことが多いが、主な企業形態として、「村有企業」ともいうべき集団所有制が採用されていたことが大きな特徴であった。

蘇南地域の経済成長には、いくつかの有利な条件が整っていた。まず、もともと蘇南地域は経済の比較的発達した地域であり、中国最大の経済中心である上海に隣接し、都市の企業や研究機関による知識と技術を共用するメリットが活かすことができた。そして、こうした地域の優位性を発揮できるように、現地の政府は、土地、資本ならびに労働力、そして、経営者の選抜などを通じて、郷鎮企業に支援を与えたのである。計画経済から市場経済への移行期初期、政府指導によるこのような企業経営は、資源の最適配分、人材と資金の結合、さらに、国有企業と比べ、高効率と低コストなどの優位性を持っていたことから、蘇南地域における郷鎮企業の著しい発展を可能にしたのである。

集団企業を中心に発展する蘇南モデルは、移行期経済の初期において、政府が未熟な市場を補う役割を果たしていた。その上、企業の規模が小さい間は、従業員と企業全体の利益が一致し、労働意欲が高かった。しかし、市場経済化が進み、競争が激しくなることに加え、企業経済規模の拡大に伴い、国有企業にも共通する不明確な所有権という問題が顕在化し、経営者と労働者の利益が、所有者である現地政府と乖離するようになった。こういった問題点は企業の経営業績の悪化という形で現れ、これまで社会主義を守りながら、成功のモデルとして賞賛された蘇南の郷鎮企業は、ついに所有権を中心とした改革を余儀なくされた。地方政府の郷鎮企業に対する行政指導や管理からの撤退や、大型郷鎮企業の民営化などが盛んに展開された。

しかし、蘇南の郷鎮企業改革は、決して順風満帆なものではなかった。改革初期、株式会社への転換が行われた際、地方政府が持ち株による経営の関与や利益享受など、従来の集団所有制の面影が大いに温存された。このため、郷鎮企業に対する改革が展開されたにもかかわらず、1996年以降数年間、蘇南の郷鎮企業の業績は依然として大きな落ち込みを記録した。背水の陣を強いられた地方政府は、「温州モデルに学ぼう」とのスローガンを掲げ、徹底的な「企業体制転換」をより一層に展開した。肝心の所有制改革では、徹底的民営化が「蘇南モデル」に新たな活気をもたらし、2000年以降、江蘇省の郷鎮企業は完全に蘇った。投資環境の大幅な改善は、蘇州工業園区を中心とした外資導入ブームを引き起こし、蘇南地域は中国地域経済発展の新たな動力源になりつつある。

優位に立った温州モデル

一方、浙江省の東南地域に位置する温州は、大工業都市や全国性市場と遠く離れ、運輸や情報コストが高いだけではなく、土地の品質と灌漑条件も劣っており、農村集団企業の基礎が弱い。従って、温州の人々は、従来家内工業の伝統を生かし、日用雑貨の生産やサービス業を中心とした独自の産業構造を形成させていた。温州モデルは、主に私人経営、私有企業などを中心に、こうした多元的発展、徹底した分業化や市場指導的な発展戦略を指している。

温州モデルの発展は、あくまでも中小民間企業を中心として展開されていた。私有企業から出発した温州地域の郷鎮企業は、市場の変化にすばやく対応し、高い競争力を発揮した。こうして、非常に活力のある中小企業群による一つの成長の中心が形成されると、その影響は徐々に周りに地域に波及し、新たな経済発展の中心地を形成させた。このような成長の中心は更なる投資を及び、新たな経営拡大を可能にした。こうして作り出された需要は、地域経済の振興にもつながった。

しかし、競争が激しくなるにつれて、家内工業やサービス業を中心とした伝統的な労働密集型生産方式や血縁を基礎とした家族経営の管理制度のいずれも、対応できなくなった。このような問題を解決するために、90年半ば以降、温州地域の郷鎮企業の殆どは、株式会社への変身を実現した。特に、外部から有能な経営者を迎えることによって、家族経営の限界を克服し、経営の改善と効率の向上を果たしている。このように、温州モデルも、民営という当初の特徴を維持しながら、企業規模の拡大と市場経済の進展に合わせて、進化してきた。

郷鎮企業から株式会社へ

このように、蘇南モデルも温州モデルも、結局は株式会社に収斂するという見方もできるが、両モデルの本質的違いを「集団所有」か「私有」に求めれば、蘇南モデルが終焉し温州モデルに統合されたというのは、もはや中国経済学界での通説となっている。

1997年9月に開かれた中国共産党第15回大会において、国有経済の縮小と再編成と同時に、多様な所有制経済の承認と非国有経済に対して積極的な位置付けがなされたことは、郷鎮企業に一層の活躍の場を与えた。その中で、蘇南モデルと温州モデルとの比較は、結局後者への統合によって幕を下ろしたことは、今後中国郷鎮企業改革の行方を考察する上で非常に重要な意義を持つであろう。すなわち、徹底的に所有権改革を成し遂げ、強い競争力や柔軟性を持つ温州路線は、今後中国の郷鎮企業改革に大きく活用されると考えられる。

2002年2月18日掲載

2002年2月18日掲載