中国経済新論:中国の経済改革

中国の市場移行の経験と教訓
ショック療法より優れた漸進的改革

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

改革開放に転じた70年代末以降の中国経済のパフォーマンスは、年平均10%の高成長が持続するなど、これまでの実績を大幅に上回るだけでなく、同じ計画経済から市場経済への転換を目指すロシアや東欧諸国の低迷と全く好対照をなしている。中国型の改革はできるだけ既得権益に損を与えないような形で、反対の少ない順に進められてきた。これと同時に、実験を繰り返しながら、じっくりと時間をかけて市場とその主体である非国有企業を育ててきた。実行しやすい順で改革を進めると実行しにくい部分ばかりが残り、いずれ行き詰まるのではないかという心配もあるが、この問題は新体制の成長に伴って、利益を得た人から、損失を被った人に補償することによって克服できた。

中国型漸進的改革の最初の特徴として、実験から普及へという順序を踏んでいることが挙げられる。まず、特定の地域と企業において実験的に改革が実施され、それが成功すると、全国的な普及に移される。例えば、対外開放は1980年に設立した深圳をはじめとする四つの経済特区という「点」から始まり、沿海地域という「線」に、そしてほぼ全国を網羅する「面」へと広がってきた。企業改革においても、1978年に四川省の六つの国営企業に対して自主権を拡大させる実験から始まり、その後も、請負制や株式制の導入などの改革における節目に、一部の企業による実験的実施が繰り返された。これによって、失敗した場合のリスクを最低限に抑えることができる一方で、成功を収めれば旧体制に対するデモンストレーション効果も期待できる。

中国型漸進的改革のもう一つの特徴は、旧体制を維持しながら新しい体制の適用範囲を徐々に広げることである。具体的措置として、旧体制外の改革と旧体制内の改革とに大別できる。旧体制外の改革は、市場経済に基づく新ルールの適用範囲を、郷鎮企業を始めとする非国有企業、新しい製品、経済特区といった新しい分野に限定する。一方、旧体制内の改革は、経済改革において生産、投入、利潤の上納などに関する計画の範囲を限定(凍結)し、これを越える部分は企業の裁量に任せるような政策が採られた。こうした計画外の投入と産出に関して、取引する場として、各種の市場が次第に発達し、取引の対象も原材料と製品から、次第に労働力や外貨、資金などに広げた。この市場経済への移行過程において、計画経済と市場経済が、経済システム全体と各サブ・システム(企業、価格形成、貿易、為替など)において二重構造(いわゆる「双軌制」)という形で長期間にわたって共存することになる。国有企業と非国有企業の共存や、同じ商品に関する二重価格構造(計画価格と市場価格)、93年末まで採られた二重為替レート(国有企業と外資企業など非国有企業に適用する別々のレート)政策はその典型である。

経済改革を円滑に進めるためには、できるだけ多くの人々に利益を与え、不利益を被る人を最小限に抑えなければならない。受益者から被害者に所得移転といった形で補償が行われれば、改革への抵抗が弱まるであろう。例えば、価格・為替の双軌制の下では、国有企業は市場で高く取引される原材料や外貨(計画内の分に関して)などを従来通り割安の計画価格で入手できる。このように、双軌制では、既得権益を保証するシステムは内蔵化されていると言えよう。

漸進的改革を成功するためには、新体制の成長が旧体制改革のための条件を創出しなければならない。単に既得権益を尊重し、旧体制の改革を遅らせるだけでは、経済状況がさらに悪化し、最終的には急進的改革に踏み切らざるを得なくなるリスクが高まる。中国の場合、非国有企業の急成長がまさに国有企業の改革の条件を提供しつつある。工業生産に占める国有部門の割合はこの20年間80%から30%を割る水準にまで低下しており、その代わりに外資企業や郷鎮企業など非国有部門が中国経済の担い手になりつつある。こうした中で、非国有企業が国有企業改革によって職を失う労働者に新たな雇用機会を与えるだけでなく、非国有企業による国有企業の買収も頻繁に行われるようになった。このように、中国共産党が国民党と戦った内戦のときに使った「農村から都市を取り囲む」といういわゆる「毛沢東戦略」と同じように、新体制(非国有企業、市場経済)による旧体制に対する包囲網が形成され、孤立しつつある旧体制はいずれ戦わずして、自然淘汰されることになるであろう。

中国の漸進的改革方式とは逆に、東欧とロシアは急進的な改革方式を選択したため、大きな摩擦と社会的不安を引き起こし、いまだに成果を挙げることができていない。従来の計画経済体制の下では、常に変化する生産技術と消費者の選好に関して、当局が的確な情報を持たないことが失敗の主因になっている。皮肉にも、情報の不完全性を軽視するという意味において、ショック療法を主張する西側の経済学者は計画経済の優越性を主張する従来のマルクス経済学者と同じ過ちを犯している。ショック療法は、実施した政策に対して各経済主体が新しい環境の下でどのような形で反応するのかを当局が的確に予想できることを前提にしているが、残念ながら、この未知の世界に関する情報は極めて不完全なものしか得ることができない。また、一旦実行に移ってしまうと、不測の事態が起こっても、軌道を修正する余地がもはや残らない。さらに、ショック療法は古い制度を短期間に破壊するには有効であっても、新しい制度の確立にはどうしても長い歳月が必要となり、その移行期において混乱が起こることは当然であろう。

このように、中国は東欧・ロシアのショック療法と異なる漸進的改革の道を歩み、社会の安定を保ちながら体制移行に成功しつつある。中国の経験は、実験から普及へという順序を踏むことや、既得権益をできるだけ尊重すること、旧体制の改革よりも新体制の育成に重点を置くことなどが、改革戦略として有効であることを示唆している。

2001年7月30日掲載

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