日本がアメリカの沈没を防ぐことはできない。アメリカの経済が狂ってしまっている状態を是正することはできない ―「アメリカよ、しっかりせよ」東京プリンスホテルにおける懇談会記録から、1987年、下村治
米国保守派が理想とする世界
2025年5月に米国生まれのレオ14世が選出された。同じ名称の一代前になるレオ13世は、1世紀以上も前の1891年に「資本と労働の権利と義務」という回勅を出し、資本主義への警告と社会主義への幻想を戒めた教皇として知られる。この19世紀終わりから20世紀初めの時代は、トランプ大統領が米国における「豊かな時代」と考え、その豊かさを取り戻すと主張して大統領に返り咲いた。現在世界中を騒がせている関税政策もこの時代に米国が取っていた政策だ。トランプ大統領の発言は、ころころ変わるように見えるが、選挙期間中に公約したことを実行しようとする姿勢は変えていない。ということは、40%近くの米国民はトランプ大統領のこの考え方を支持しており、それはトランプ大統領がホワイトハウスを去った後も米国民の考え方の一つの流れとして続く可能性があることを示している。われわれは、トランプ大統領の就任以来、短期的な関税政策の行方に振り回されているが、今後米国とどのように付き合っていくかという観点から考えると、米国の歴史修正的傾向も無視できない関心事だと言えよう。
米国の大勃興期
多くの日本人には、なぜトランプ大統領を支持する保守派が、19世紀末から20世紀初めまでの米国への回帰を目指すのかよく理解できないに違いない。ノースウエスタン大学のロバート・ゴードン教授は、その著書 The Rise and Fall of American Growth: The U.S. Standard of Living Since the Civil War(邦訳は、なぜか『アメリカ経済 成長の終焉』だけになっている、日経BP社、2018年)の中で、1870年からの1世紀を米国経済の大勃興期としている。どうして1870年が出発点なのか。信頼に足る統計が手に入るのがこの時期だったからということもあるが、ゴードン教授によれば、この時期から米国は真に統一国家として成長し始めたという。対外的には、南北戦争が終わって国内の対立や、英国をはじめとする欧州諸国からの介入を排除している。対内的には大陸横断鉄道が開通し、物理的にも米国が一つにつながったのがこの時期なのである。産業革命を起点とした新技術が普及したのもこの時期だった。通信網の普及は、米国のさらなる一体化に寄与し、道路網の整備が自動車の普及に寄与した。有名なT型フォードの生産開始は1908年である。
ヴェブレンが描くビジネスマン
ソースティン・ヴェブレン(1857年~1929年)はまさにこの時期を生き抜いた経済思想家であり、その数々の著作から制度学派の創始者とされる。ヴェブレンの著作は難解で、彼の著作から明確に制度学派を定義することは難しいが、人々の経済行動は、経済社会の制度に制約を受けており、同時期に限界革命を経て、経済社会制度から中立的な合理的個人を想定する新古典派経済学に異議を唱えた人物として知られる。
1904年に発表した「営利企業の理論」で、ヴェブレンは当時の米国経済社会の担い手を、ビジネスマン、産業の総帥(Captain of Industry)、製作者本能(Instinct of Workmanship)を有する手工業者に分類している。手工業者は、資本主義以前からも存在した小規模な生産の担い手だが、産業革命により生産過程は複雑になり、こうした生産過程をまとめる「産業の総帥」が必要になる。ビジネスマンは、この資本主義社会が、さらに高度化し、利潤機会を求めて業種をまたいで、企業の合併や買収等を行う、またはそのための資金を調達する存在だ。ヴェブレンはビジネスマンの特徴を、次のように描いている。
「偉大な現代のビジネスマンの仕事は、・・・戦略的な特徴を有する。彼が扱う仕事はビジネス取引である。これは、ゲームから生まれた俗語である「ディール」と称される。・・・最も有利な立場を確保できるよう努力するために、このような再編のかじ取り役は、競争相手を「締め出し」たり、ライバルの生産企業が「支払い不能」や不健全な経営という噂を流したりすると同時に、彼にとって関心がある経営者に対して、ビジネス関係に一時的な影響を与えるような「脅し」をかける。」(Veblen (1904), p.33)
21世紀になって米国民から、米国の経済社会の「創造的破壊」を託されたビジネスマン大統領が、19世紀後半から20世紀初めの米国への回帰を述べたとしてもそれはごく自然な流れだということが分かる。実際、より制約がなくなった2期目には、まさにヴェブレンが引用した行動を取り続けている。トランプ大統領は、その熱狂的な支持者にとって過去の古き良き時代からの使者なのである。
19世紀末への回帰は本気なのか
この21世紀にあって、トランプ大統領の19世紀末への回帰は本気なのだろうか。現時点では米国に関連する領土的野心や極端な関税政策などを見て、大妻女子大学の鶴光太郎教授のように、本気だと考える識者が増えつつある(5月13日付 日本経済新聞「経済教室」)。最も注目された対中関税は、当初の高い関税率から大幅な引き下げを余儀なくされているが、長期的に関税による高い経済的城壁を築く目論見は捨てていないとする見方が多い。
ところで、19世紀末から1世紀にわたって隆盛を誇った米国の製造業を復活させるためになぜ関税政策を取るのだろうか。一つにはトランプ大統領がモデルとしたマッキンリー大統領が取った政策ということがあるだろう。日本人ならば政府のさまざまな産業振興政策を使って、高関税のような国際的摩擦を引き起こすような政策は回避するだろう。しかし、政府という存在に不信感を持つトランプ政権や大統領を支持する層にとっては、政府に依存することは、禁じ手である。今日の米国を招いた要因を、米国の所得再分配政策の欠如と指摘する人も多いが、政府に頼るなどと言うことは、トランプ大統領支持層にとっては、制約の多い欧州から自立を求めて大西洋を渡ってきた人々にとって受け入れがたいことに違いない。従って、現政権にとっては財・サービスの価格を力で変更することで、資源配分を自分たちに有利な方向へ動かすしか選択肢がないと言える。
ゴードン教授による実証
現在の米政権による高関税政策が、比較優位説など自由貿易を支持する経済理論から乖離しており、そのことが当の米国民にとって不利になることは、多くの個所で述べられているので、ここではあえて繰り返さない。本稿では関税政策以外にもトランプ政権が見落としている点を指摘しておきたい。
先ほど紹介したゴードン教授の著作は、2023年にノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン教授およびローレンス・カッツ教授の推計を引用する形で、1890年から2014年までの120年余りにわたる米国経済の労働生産性の変化率を3期(1890年~1920年、1920年~1970年、1970年~2014年)に分けて示している。第1期の1890年~1920年が、ほぼトランプ大統領とその支持者が回帰したい時期に相当するが、この時期の労働生産性の上昇率は年率1.5%である。これは第3期の1970年~2014年の労働生産性上昇率とほぼ同じ(年率1.6%)で、特段高いわけではない。実は、その中間期に当たる1920年~1970年の労働生産性上昇率は、第1期の2倍に近い年率2.8%である。米国は、第一次世界大戦への参戦を通して本格的に国際舞台に参画し、国際連盟、さらには国際連合の設立を通して第二次世界大戦後の国際秩序の形成に大きな役割を果たしてきた。トランプ大統領は、米国のこうした国際社会への関与が、米国経済を弱めたとしているが、少なくとも半世紀前までは、そうした米国の国際社会への関与は、米国に歴史的な成長をもたらしていたのである。
国際通貨システムの変化
ゴードン教授は、1870年から1世紀にわたる米国経済の躍進をイノベーションに求めている。われわれから見るとその後も米国は、デジタル分野で顕著なイノベーションを達成していると考えるのだが、ゴードン教授はこうしたイノベーションは、1870年からのイノベーションとは異なると述べる。この見解が2010年代の生産性論争を引き起こすのだが、それは本稿の主題ではない。
筆者は、この米国の豊かな1世紀をもたらしたのは、イノベーションの恩恵だけでなく当時の国際通貨制度も大きいと考えている。この1世紀の前半は、よく知られているように、英国を中心とした金平価制度であり、第二次世界大戦以降は、ケインズの案を退けて作られた、米国主導のドル本位制であった。ニクソン大統領が金とドルの交換を停止し、ドル本位制を放棄したのは、豊かな1世紀が終了した1971年の8月のことだった。ちなみに、日本の高度成長を「歴史的な勃興期」と述べ、ニクソンショックとオイルショックという二つのショック後にゼロ成長を唱えた下村治氏も、日本の高度成長期は、ドル本位制のような制度的条件に支えられたもので、二度と起きない歴史的現象だと認識していた。
その後、国際通貨体制は変動相場制へと移行する。当初、ミルトン・フリードマン教授をはじめとする経済学者も含めて多くの人は為替レートが貿易収支の不均衡を修正すると考えていたが、その想定は時間がたつにつれて裏切られた。その背景には、国際間の財やサービスの流れよりも、国際間の金融取引によりはるかに多額の資金が国際間を行き来するため、その金融取引によって為替レートが決まるからである。こうした点は現在の経済学のテキストにも書かれるようになっているが、それでも理論モデルは遠い将来1国の金融債務は、将来の経常収支黒字によって返済されるという条件がついている。レーガン政権になってから、米国はこの条件を満たせないのではないかということが懸念されるようになったが、その議論は現在行われている米ドルは基軸通貨だから特殊なのだという議論に置き換わっている。つまりは、米国の経常収支の赤字やテック企業の資金調達は、バブル資産としての米国の金融資産の購入によって支えられてきたのである。
バブルは、人々がそれをバブルと認識すれば崩壊してしまう。2008年の世界金融危機はまさに米国発のバブル崩壊である。2025年4月のトランプ大統領の相互関税宣言もまた、世界金融危機と同様の事態を引き起こしそうになった。19世紀末から20世紀初頭の実体経済を目標にしていたトランプ大統領は、その背後にあった国際通貨体制とすでに肥大化してしまった金融経済を見落としているのである。
トランプ・ショックからわれわれは何を学ぶべきで、何を覚悟すべきか
トランプ大統領が2期目をスタートしてから、まだ半年だが、彼の政策に対しては関税政策を筆頭に多くの批判が寄せられている。しかし、それではトランプ大統領以前の政策は、米国の課題解決にとって適切な政策だったのだろうか。イラクへの進攻や伝統的な財政政策は、一時的な景気浮揚をもたらしたものの、金融危機やインフレを引き起こしただけで、米国の製造業に対する根本的な解決策にはならなかった。これが、トランプ大統領が、民主党のリベラル派だけでなく、伝統的な共和党の保守派にも批判を浴びせる理由である。
それよりも筆者にとって衝撃的だったのは、構造改革を成し遂げるためにはこれほどの政策転換が必要なのか、ということである。トランプ大統領の政策に比べれば、これまでの日本の「失われた30年」の政策など通常業務の延長線のようにしか見えない。勿論彼の政策は、国の内外に多数の犠牲を強いる政策なのだが、われわれの側は、危機感が薄かったがゆえに停滞をずるずると続けていたとも言える。
またトランプ大統領は、自ら「常識の革命」と呼んでいるように、これまでの保守的、リベラル的政策では割り切れない考え方をしている。例えばトランプ大統領は、借金依存体質に陥った米国の体質を改善するためには過剰消費の是正が必要だとも言っている。彼がクリスマスに必要なおもちゃの数を減らせと言っているのは、その証である。奇妙なことだがこの考え方は持続可能性を唱える経済学者の主張と符合する。1972年にノーベル経済学賞を受賞したケネス・アロー教授や「生物多様性の経済学」を書いたパーサ・ダスグプタ教授らは、Journal of Economic Perspectivesに“Are We Consuming Too Much?”(2004)と題する論文を書いて持続可能性を見地から、現在は財やサービスの過剰消費に傾いていることに警鐘を鳴らしていた。トランプ大統領は、パリ協定を脱退するほど、気候変動に対しては否定的だが、彼の政策は、世界経済の縮小を通して気候変動の防止に貢献するかもしれないのである。
すでにトランプ大統領や彼の支持者が志向する歴史を逆走する試みは、止まらないと述べた。トランプ大統領は、自分を助けてくれた人間を相当大切にするタイプのようである。それは、日本の話をする際に頻繁に安倍元首相に言及することからも分かる。そこから類推すると、2021年1月6日の米国議会の襲撃に関して議会証言を拒否し、挙句の果てに収監までされてもトランプ大統領を守り通した対中強硬派のナヴァロ氏を第1期政権のように簡単には見捨てないだろう。すなわち、変動相場制以前の貿易システムや国際通貨システムへ回帰すべきと言う底流はこれからも続くと考えるべきだろう。その帰結は、想像の範囲を超えるが。彼らが憧れを持つ19世紀末から20世紀初めのように、米国経済が再び隆盛を迎え、対照的に中国の世界シェアが著しく落ちるかもしれない。しかし、恐らくはその逆の事態も、同じもしくはそれ以上の確率で起きるように思う。ゴードン教授が示した米国経済のピークからすでに半世紀が過ぎた。すでに時遅しなのかもしれないが、米国における「失われた半世紀」の後始末は今後も続くだろう。