EBPM Report

質の高いエビデンスを作るインセンティブを -EBPMのさらなる推進に向けて-

川口 大司
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

エビデンスに基づく政策決定(EBPM)は2017年の秋ころから、政府の各種文書の中に登場し始め世間の注目を集めるようになり、最近ではあらゆるところでEBPMの言葉を聞くようになった。この3年間を振り返ると各省庁に担当部署ができ、一定の人員と予算が配置されるようになりEBPMは着実に浸透してきている。その一方で、政策形成に与える影響という観点で見てみると課題も多い。ここではEBPMの推進のために必要な論点を整理したい。

政策評価とEBPM

エビデンスに基づく政策決定EBPMと関連が深い言葉に政策評価(Program Evaluation)という言葉がある。1つの例だが、東京大学に設置されているセンターは政策評価研究教育センターとなっている。この2つの言葉は深く関連しているものの、2つは同義ではなく、EBPMの一部として政策評価が包含されていると考えるのが適切だろう。

政策評価とはある特定の政策が、意図した結果あるいは意図しない結果をもたらしているのかどうかを分析することである。例えば、地域の保育所の整備が母親の就業率に与える影響を調べるといった分析があげられる。別の例としては、地域の最低賃金の引き上げが雇用に与える影響を調べるといった意図せざる副作用を調べるといった分析も上げられる。このように政策が結果に対して与える影響を調べようとするのが政策評価である。この時に変数間の相関関係はわかるけれども政策変数が結果変数に与える因果関係がわからないといった問題が発生する。この問題をランダム化実験、差の差の推定、操作変数法、回帰不連続デザインといった実験的あるいは自然実験的な手法を用いて解決するのが政策評価の各種手法だといえる。要するにEBPMの前提となるエビデンスを提供するのが政策評価である。

政策評価の各種手法を概念で理解することは大学の授業を受ければ可能だ。もっとも実際のデータにこの手法を適用して、信頼のおける政策評価を行うためには、データや評価対象とする政策の事情に応じたカスタムメイドが必要で、その作り込みには高い専門性が必要とされる。データの選別、推定手法の選択、結果の適切な解釈を状況に応じて行う必要があり、教科書的な基礎知識を高い水準で持っていることを前提に、適切なメンターの下で実際に分析を行う経験を積む必要がある。そして、その後は自分自身で仕事を進めながら学び技能を蓄積していくしかない。マニュアル化できない部分が多く、結果として同じ政策を同じデータを使って評価したとしても、だれが行うかによって驚くほど結果の出方のシャープさが異なるということが起こる。そして、その仕事の質の高低はその道の専門家にしかわからない。いってみれば専門知のベールに包まれた排他的なギルドの世界なのだが、どのようなプロフェッショナルの世界にも共通していることだろう。

このように政策評価というのは専門家がその腕を振るっている世界なのだが、ここで出てきた特定の政策が特定の目標に対して想定した効果を発揮しているのか、仮にそうだとするとインパクトの大きさはどうなのかといったエビデンスをどのように政策決定に生かしていくのか、その仕組みまで考えていくのがEBPMである。すなわち政策評価はEBPMの核となるが、全体の中の一部である。

質の高いエビデンスを提供するインセンティブ設計

一般的にある政策を実行するかどうかを決めようとするときに、専門知も含む様々な意見をどのように集約するかという問題が生まれる。この中では、各プレイヤーがそれぞれの役割を演ずることになる。まず、社会問題にかかわるさまざまな当事者の意見を聞き、その裏を取り、社会に発信するジャーナリズムの役割がある。専門知を含め多種多様な意見を咀嚼し統合し、それを踏まえて政治家へのインプットを行う行政官の役割もある。また、政治家が地元有権者や有識者と直接会い各種情報を統合していくことも大切だ。

エビデンスに基づいた政策決定(Evidence Based Policy Making)に対比してエピソードに基づいた政策決定(Episode Based Policy Making)が行われていると揶揄されることがあるが、政策評価で得られたエビデンスを判断材料の中心にすえて政策決定を行うのがEBPMであると考えれば、エビデンスとエピソードは決して対立する概念ではない。エピソードが私たちの事実認識に与える影響は大きく、民主的な意思決定においてもっとも大切な説得においてエピソードが果たす役割はとても大きいからだ。そのため、ジャーナリストが取材対象に会いエピソードを拾うこと、政治家が地元有権者と会いエピソードを拾うことは、これまでと何ら変わることなく重要であり続けるはずだ。ただし、エビソードが潜在的に抱える欠点は、そのエピソードが全体像を代表したものかどうかわからない点であり、これはエビデンスと照らし合わせて検証していくしかない。

政策評価の結果として生み出されるエビデンスという専門知を、ジャーナリストや政治家がひろうエピソードとどのように組み合わせて政策形成をし、予算配分にどのように組み込んでいくのが適切なのか、この大枠部分を検討していくことがEBPMを推進していくために重要になる。政策提案の根拠にエビデンスを位置付け、えてしてドライになりがちなエビデンスにエビソードを織り交ぜ説得力をあげ、予算獲得を含む政策形成につなげるのがEBPMだとすると、その推進のためには、エビデンスをその他判断材料と合わせて政策決定にどのように生かすのかという外枠の整備が重要だ。端的に言えば、エビデンスの提示を予算配分プロセスに組み込まない限り、政策担当者は質の高いエビデンスづくりへのインセンティブを持たない。エピソードの収集に比べてエビデンスの作成は格段にコストがかかるためである。そのため、エビデンスを予算配分を中心とした政策形成のプロセスの中にどのように組み込んでいくかの制度設計をすることが今後EBPMを進めていくためには重要になる。

EBPMが意識されるようになってからの3年間、どちらかというとその関心は政策評価、あるはエビデンスづくりに寄っていたといえよう。そのため政策評価の専門家からの意見聴取が行われる機会が多かったのではないかと思われるが、この政策形成プロセスの分析に関して、必ずしも政策評価の専門家が知識を持っているとは限らない点には注意が必要だ。さらに、先述のように政策評価の結果生み出されるエビデンスには質の高低があるし、その中身は極めて専門的だ。質が高いエビデンスを取り込んで政策形成を行うことが望ましいわけだが、民主的な政策決定の中に専門家の知識をどのように取り込むのかは、一般的に言って難問である。この難問に学として取り組んできたのは行政学だろう。行政学者は専門知が必要とされる政策決定過程を分析し、よりよい制度設計を考察してきた。縦割りの打破、学問のタコツボ化の回避が望まれているものの、やはり専門家の知識が持つ力は大きい。EBPMを適切に推進していくためにはこれまで以上に彼らの知見を活かしたインセンティブ設計が必要になる。

ロジックモデルの罠

さて、つぎにEBPMのさらなる推進を図るうえで、政策評価の側で必要な作業についても触れておきたい。EBPMを各省が推進しないといけないとなると、何か政策評価の部分でモデルケースを作り出そうということになる。このとき政策評価を行うインセンティブがない状態では、各省が比較的どちらでもよい政策を供え物として差し出して、お茶を濁すことが起こりがちだ。たとえば政策評価の専門的知見を持たない若手がねじり鉢巻きで対応したり、外部の会社に丸投げしたりというパターンが起こってしまう。ねじり鉢巻きのケースだと、徹夜を繰り返した若手には残酷だが、玄人が見るとありえない品質のプロダクトが出来上がることがある。かたや丸投げのケースだと、言葉の定義からして納品されたプロダクトの品質検査がなされないため、受託した会社がどれだけ技術を持っているかが問題になるし、どれだけ高い品質を目指すかというインセンティブの問題も出てくる。政策評価の大枠を理解した行政官が、しっかりとした予算を確保し、専門家に具体的作業を依頼し、箇所箇所で進捗を監督し適切なフィードバックを与えながら、成果物を納品させ、それを検品するという姿が本来望まれる姿である。

上手に専門家に委託できない場合に起こる悲劇の1つが、データも使わず「ロジック・モデル」なるものを作っておしまいという例である。ロジック・モデルとは、ある政策が想定している結果を引き起こすまでの因果関係を理論的に説明するモデルのことである。伊藤修一郎『政策リサーチ入門』の中では「政策評価を行う際にはロジック・モデルを描き、これに基づき政策の効果を測定します。ロジック・モデルとは、政策が効果を発現し、政策介入の対象に変化をもたす経路を記述する図です。」とされている。あくまでも政策評価を行う前の準備段階と位置付けられるもので、本丸はこの先の効果測定にあるわけである。この準備段階を数年かけて丹念に取り組んだからといってエビデンスの質が上がるとは思えないし、取り組んでいる現場の人々にしてみれば、行政事業レビューなどすでにある仕組みに加えて、なぜこのような意義がよくわからない追加書類を作成しなければならないのかという感慨をしみじみと抱かざるを得ないだろう。

さらに、実際のロジック・モデルの世界で語られていることの多くは、常識的な議論の筋というのを超えるものではないことが多い。考えてみると、議論の筋が悪ければ、そもそも何重にも設定された予算請求のステップを通過させることは難しいわけで、したがって現実に実行されている大半の政策は、議論の筋が良く実際に効果がある政策と、議論の筋は良いものの実際には効果がない政策に二分されると考えるべきだろう。筋は悪くなかったものの、実際にやってみたらイマイチだったという2つの政策の例として、少人数教育が学力形成に与える影響、いわゆるメタボ検診が健康状態に与える影響が指摘できる。少人数教育をやれば、教師の目が生徒一人一人に行き届き、教育の質は上がるはずだという議論は合理的だ。また、太り気味の人には健康指導をすれば、意識が高まり生活習慣が改善するはずだという議論も合理的だ。しかしながら、最近の信頼性の高い政策評価分析の結果、どちらの政策も数量的インパクトがないか限定的であったことが明らかになった(注1)(注2)。これらの結果から示唆されるように、大切なのはデータを使って政策効果の大きさを数量的に明らかにすることである。

EBPMがお試し期間を卒業して次のステップに進めるかどうかは、予算獲得にはエビデンスが必須だというインセンティブを設計できるかにかかっているわけだが、それがなければ、どれだけ掛け声をかけても「笛吹けど踊らず」となるのは目に見えている。エビデンスの提示が不可欠になると、少なくとも当面の間は、内部の人材だけですべてのエビデンスづくりを行っていくことは人的資源の制約などから難しいため、政策評価に関する専門知識を持った内部人材が、外部資源を活用しつつ有効なエビデンスを作るかという課題が浮上する。たとえば、外部資源の活用のために政策本体の予算の0.5%をつけるという措置が必要になろう。つまり10億円の事業を行うためには、その評価のために500万円を予算措置するということである。このような予算措置を実現するためにも、何よりも政策評価の外側を取り囲むEBPMの制度設計を考えることが喫緊の課題である。

脚注
  1. ^ Ito, H., Nakamuro, M., & Yamaguchi, S. (2020). Effects of class-size reduction on cognitive and non-cognitive skills. Japan and the World Economy, 53.
  2. ^ Fukuma, S., Iizuka, T., Ikenoue, T., & Tsugawa, Y. (2020). Association of the National Health Guidance Intervention for Obesity and Cardiovascular Risks With Health Outcomes Among Japanese Men. JAMA Internal Medicine.

2020年10月30日掲載