スペシャル─RIETI政策シンポジウム「日本の財政改革:国のかたちをどうかえるか」開催直前企画

経営コンサルタントの視点から考える財政改革

横山 禎徳
上席研究員

デフレ経済による税収の大幅減、過去の大規模な財政出動のツケなどで日本の財政は破綻の危機に瀕している。RIETIでは2002年末に「財政改革プロジェクト」を立ち上げ、財政システムのあるべき姿、改革への具体的政策提言などについて分析、議論を行ってきた。来る3月11日、12日に国際連合大学(東京都渋谷区)で開催されるRIETI政策シンポジウム「日本の財政改革:国のかたちをどうかえるか」では、これまでの研究成果を発表するとともに、有識者の方々からコメントをいただき、活発な議論を行うことを予定している。本コーナーではシンポジウム開催直前企画として、シンポジウムの論点の見どころ、独自性についてシリーズで紹介していく。第3回目は経営コンサルタントとしての経験を生かし、「もし自分が政府に日本の財政問題の解決を頼まれたとしたら、どのような解決策、戦略を提示するか」というユニークな視点から政策提言を論じている横山禎徳上席研究員にお話を伺った。

RIETI編集部:
経営コンサルタントとしての長年の経験を持つ横山さんからご覧になって、今の財政改革論議をどうお思いになりますか?

横山:
財政改革論というのは、どんな議論をしようと、結局のところ歳入を増やして歳出をカットするということに落ち着くわけですが、それだけじゃ当たり前すぎて面白くない。みんなが行動を起こしたくなるような面白い歳入の増やし方、面白い歳出カットの仕方があるよという議論が必要なのだと思うんです。同じレベルでは語れないですが、「歳入増」、「歳出減」、「税の捕捉率」の3つでもう少しアクションオリエンテドなことを言えないかなと考えています。

財政改革の論議を聞いていて思うのですが、制度が変われば上手くいくのは当たり前なんです。ただ、それを待っていたら時間がかかりすぎるし、それができても万々歳でもない。たとえば、納税者番号制が実現しても、税の捕捉率が100%になるわけではない。完璧でないにしても今すぐにでもできることがあるだろう、「情報の過剰消費」のような議論をしている暇があったら、今できる行動を起こしたらどうかというのが私のスタンスです。

それは「戦略」というものの性質と同じです。戦略というのは理想解ではなく、現実解です。理想解、すなわち、圧倒的な戦力があれば誰でも戦争に勝てる。そうではなく、最大の資源を与えられてはいないが、勝たなければいけない状況に対応し、現状ある武器で勝つためにいろいろと策を練ったものが「戦略」なんです。自分が持っている限られた強さを徹底的に活用するという現実的なアプローチがあるだろうと。学者の方達が考えるようなきちっとした施策ではなく、私のようなビジネスの経験をしてきたものの考える「わかっているがやっていないというのはわかっていないのと同じ」、そして「理屈じゃないよ、やってみなければわからないよ」というアプローチと私が研究している「社会システム」的発想を入れて考えてみようというのが私のスタンスです。

RIETI編集部:
社会システム論的アプローチとはどのようなものでしょうか?

横山:
「社会システム」とは「最終受益者(多くの場合は消費者、あるいは生活者)に対する価値提供システム」と定義しています。社会システムは既存の産業分類に対して横断的であり、システムとしての全体的整合性と効果および効率を問われます。「交通システム」「金融システム」「医療システム」「教育システム」などと技術ロジック中心のシステムから社会価値観が重要なシステムまで「社会システム」は多種多様に存在します。それぞれの「社会システム」は官民一体型であり、相互関連し連携しながら生活者に価値を提供します。

財政改革に限らず、提言には限界がある。いまのように受ける側に遂行能力がないと、いくら提言しても始まらないんです。でもそれはある意味仕方のないことです。昔の方法でできる提言は取り入れられるかもしれないが、新しいやり方でやるべき提言は遂行されていないんです。今の政策の状況は、言ってみれば木造建築の技術を持っている匠や名人に対して「鉄筋コンクリートの建物を建てなさい」といっているようなものです。能力、すなわち、技術と経験のない人達にああだこうだ注文をつけても、無理なんです。つまり、政策提言だけでは不十分ということです。
せめてもう一歩踏み込んで、こういう手順で型枠をつくり鉄筋を入れ、コンクリートを打ち、こういうステップで作るのですと。これがわからなかったら、こういうプロに聞いてくださいとかまで作ってみせるのが社会システムデザインなんです。だから、システムデザインまで入っていかないことには何も起こらないよといっているんです。ステップの組み合わせたものがシステムだから、ステップごとのイメージがもっと明確になり、どういう議論の詰めが足りないかがわかり、それを決めて具体的に作業手順に落とすところまで持っていかない限り、提言したって始まらない。

『官僚たちの夏』の時代は先例があった。今の日本は人類がいまだかつて経験したことのない超高齢化社会に世界で初めて直面している。だから先例がなくてアメリカにもどこにも習うことができない。今後多くの国が日本に数年から数十年遅れて直面する高齢化社会のマネージメント、すなわちどう経営するかという答えをまず日本が出さなきゃいけないし、求められているんだけど「俺、やりたくなーい」といっていたのがこの10年。失われた10年ではなく、逡巡した10年なんです(笑)。こういう時に自信をもってやれる官僚がいたらお目にかかりたいですよ。いろいろ試してみないとわからないんですよ。「官僚の無謬性」などといっていないでとにかくやってみて修正する。コンピュータの世界でいうところのカットオーバーではなくてバージョンアップしかない。「デザインする」とはそういう繰り返し作業なのです。そういったプロセスに入らなきゃいけないのにそれが出来ない。今の状況を認識すらしていない。

日本は大国かどうかという議論があるけれど、日本は歴史上まれな「覇権主義でない大国」なんです。経済的頂点にたっても、パックスジャポニカにはならなかったし、できなかった。しかしこれからの時代に適した国家運営の仕組みを世界に見せる責任はある。ただ、日本の政治家にはその能力と意志がない。社会システムデザインだったらその課題に半分くらいは答えられると思っています。

RIETI編集部:
社会システム論的アプローチから、現在の財政改革論議についてどのような具体的なアイデアが出てくるのでしょうか? 全容はシンポジウムを待つとして、その一端を教えてください。

横山:
歳入の拡大に関しては「税の捕捉率の改善」、「企業活動と消費市場両方の拡大」、「増税」の3つの方法がありますが、たとえば増税でいうと、私は国、企業、消費者それぞれが得する「三方一両得」の消費税増税が出来そうな気がしているんですよ。それは国内産業分野の労働生産性を継続的に上げることと密接に絡んでいます。
昔、日本の製造業は生産性改善に熱中したんです。「生産性本部」といえば花形組織だった。アメリカにお百度参りして、アメリカのやり方をみんなでこぞって勉強したし、そこにはすごく新鮮な感動があったんです。そこで日本はアメリカがプロセスの最後に品質保証するのに対し、プロセスのステップごとに品質保証するというシステムを作り出した。それが全員参加型だし、日本の風土にあっているし、途中で発生する不良品を最後まで気付かないで加工するより手間はかかってもステップごとに検査し、早く不良品をはねたほうが結果的にはコストダウンにつながった。すなわち品質保証を徹底するとコストが下がる、それを日本が発見したんですよ。

そこで今度は雇用の3分の2をしめるサービス業の労働生産性向上に熱中すべきだと思うんです。日本の労働投入量はすでに減り続けているのだし、毎年5%生産性を上げても今のアメリカに追いつくのに15年かかるんだからやらないですますわけにはいかない。この状況に対して、生産性を向上するべく圧力をかけるような形で「消費税」が働けばよい。そういった視点に立ってみると、10%への消費税増税を達成しながら、消費者も商品・サービスの提供者も政府も得をするような「三方一両得」戦略が成り立ちうる環境が現在の日本にはあります。
まず、消費者にとって望ましいのはプライスバリューが高まること。各業界において、労働生産性改善競争が巻き起こることで、コスト低減され、その一部を価格に還元することによって、消費税の増加を吸収する。そのためには品質保証よりも一段上である「価値保障」を追求する努力が必要です。消費者が製品・サービスを使っている間中価値を感じ、満足してくれるようになると、リピート率が高まる。リピーターの維持コストは新規顧客獲得のマーケティングコストの数分の1だから生産性が上がる。企業は利益が増え、その一部を消費税の増税にまわす。そうすると国は税収が増え、消費者は同じ値段だけど価値がよくなる。この部分はアメリカが圧倒的に進んでいるわけではないから、どこかに習うわけにはいかず、日本国内で「価値保証」による良循環追求に熱中しなければならない。

こういった消費税増税のアプローチの他、納税促進の施策や企業活動を阻害する規制を取り除くための施策といった改革を速やかに実行するには、歳入側と歳出側の両方に社会システム論的アプローチによる「人を行動に駆り立てる仕組み」デザイン戦略が必要です。

これもいたって単純な発想ですが、各省庁の縦割り行政と予算獲得競争体質を批判してもはじまらないから、横串しをいれたらどうだろうというものなんです。歳入と歳出に関する政策を実施するために、まず、歳出側において日本の戦略にとって優先度の高い「社会システム」ごとに全体の統合者を置きます。それをマスター「社会システム」デザイナーと呼びます。彼は5名~10名程度のチームを率いて、担当するシステムが消費者に対する価値提供において効率良く機能しているか調べ、改善点を抽出し、それに絡む各省庁の部分最適化傾向のある担当者とねばり強く交渉し、必要とあれば大幅な設計変更を行う。同じように歳入側にもマスター戦略デザイナーを置く。
私は政治音痴なので、そういった組織を内閣府に作るのがいいのかどうかはよくわかりませんが、組織がマトリクスになっていて、各省庁を超える権限はないんだけど、使命感と責任を持たせて戦わせる統括者(マスター・マインド)を置くわけです。20人くらい必要でしょう。対象は官僚の課長クラスの人材です。官僚に限ったことではありませんが、40歳代は人材として旬なのです。本当はどの組織もその人達にリーダーシップを発揮する機会を与えるべきです。最近は官僚組織に風当たりが強く、昔ほどの魅力も薄れているかもしれない。それなのに仕事は忙しくて使命感を持って働いているのが今の40代の官僚なんです。そこに新たな活躍のチャンスを与え、世間の脚光を浴びさせるとともに、消費者に対するアカウンタビリティを高めるべきだと思います。「官」と「民」という時の「民」とは民間企業のことではなく「タミ」なのだと考えるようになるべきです。

取材・文/RIETIウェブ編集部 谷本桐子 2004年3月5日

2004年3月5日掲載

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