第46回──国際コンファレンス「Comparative Analysis of Enterprise Data」直前企画

無形資産の蓄積が企業の成長を促し、ひいては経済全体のリスクを回避する

宮川 努
ファカルティフェロー

RIETIでは、2009年10月2~4日の3日間にわたり、無形資産の概念とその計測、企業パフォーマンスへの貢献などを包括的に議論する国際コンファレンス「Comparative Analysis of Enterprise Data」を開催します。無形資産投資や企業分析に関わる第1線の研究者だけでなく、政策担当者や実務家を交えて、無形資産の政策への適用や企業経営への応用などについても議論し、これからの企業経営や経済政策の在り方を探ります。本インタビューでは宮川 努ファカルティフェロー/学習院大学副学長にシンポジウムの見どころ等についてお伺いしました。

RIETI編集部:
宮川先生は無形資産に関する2006年シンポジウム「日本における全要素生産性向上の源泉と潜在成長率」2007年シンポジウム「サービス業の生産性向上に向けて」に登壇されています。無形資産研究の経緯と本シンポジウムの特徴をお願い致します。

宮川:
2006年のシンポジウムは、日本における産業別の生産性動向と向上のための成長政策、また、生産性の国際比較がどのようにできるかを議論しました。結果、日本の製造業は高い生産性上昇率を維持してきたことが分かりました。ただ、製造業のシェアは生産面・雇用面でみると、およそ2割程度にとどまります。日本の生産性向上や成長率において、残りの7~8割を占めるサービス業の生産性の低さが重要という次の課題も明らかになりました。

これを受けて、2007年はサービス業の生産性向上に向けた方策をテーマにしました。製造業では研究開発投資などを通じた生産性向上が1つのパターンですが、サービス業の生産性を向上させた米国のサービス業の生産性向上を受けて、IT投資とそれに付随する無形資産が重要なファクターであるということが分かりました。

今回のシンポジウムは無形資産の内容と計測、実際の活用方法についての国際比較が中心的なテーマです。無形資産について問われているのは、無形資産の内容の問題と、どのように測るかとする計測方法の問題です。たとえば、中身の問題とは企業組織の改変、人的資源の管理をどのように把握するかといった議論です。これらの要素がどれほど企業パフォーマンスの向上に役立っているかということを国際的な比較の上で議論したいと思います。

RIETI編集部:
無形資産会計、無形資産評価モデルの確立が求められています。市場は、無形資産投資を利用した新たなビジネスモデルの現実経済への適用に注目しています。シンポジウムにおいては、欧米における最新の計測の研究動向報告が期待されます。

宮川:
マクロとミクロとそれぞれ問題がありますが、マクロは、現在、約10カ国による国際比較ができる状況になってきています。本シンポジウムで基調講演されるCorrado氏が無形資産投資についての計測を発表されています。

一方、ミクロでは企業レベルでどう測っていくかが問題です。これについてはさまざまな議論がありますが、代表的な計測としてはスタンフォード大学のBloom教授とロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのVan Reenen教授が発表された組織資本・人的資本の企業における活用を得点化、無形資産を数量評価することで企業パフォーマンスへの影響を実証した分析があります。本シンポジウムにパネリストで参加されるソウル大学のLee先生は、前述のBloom教授とVan Reenen教授の手法で韓国企業の350社を対象に調査された結果を発表される予定です。

RIETI編集部:
パネルディスカッションは「IT革命以降の米国のビジネスモデルは成功だったのか」から議論されます。90年代以降、米国は設備投資やIT革命をいち早く導入し、飛躍的な生産性上昇を遂げましたが、なぜそこに疑問を投げかけたのでしょうか。

宮川:
90年代後半以降の米国の生産性上昇率が向上した大きな要因の1つにIT革命の有効的利用があったことは間違いありません。ただ、2000年代前半の一部の好景気はバブルだったのではないかという疑念も残っています。IT革命やビジネスモデルの成功といった実態的な要因が、必ずしもこの10年間の米国の成長を支えたとは断言し難い状況です。日本も80年代後半の生産性の高さから日本的経営が非常に評価されましたが、その後、土地と株のバブルを経て崩壊してしまいました。この時期のどこまでが日本的な経営の成功で、どこからが単なるバブルだったのか。非常に長期にわたる景気拡大のなかで見分けがつきにくい問題です。米国についても、ここまでの10年間が米国の実態的なビジネスモデルやIT革命の成功によるものと全面的に肯定できない部分があるため疑問符をつけました。

無形資産はIT革命を補完する存在です。パネルディスカッションでは、IT革命後の米国は、この関係がどこまで成立していたのかという議論を経た上で、アジアの国々は、この米国モデルにどこまでキャッチアップしているのか、また独自の道があるのかなどについて議論が展開されるでしょう。

RIETI編集部:
IT投資を十分活用するための人事体制のあり方についてですが、日本企業が採用しているOJTなどの人的資本育成は無形資産の蓄積に適しているのでしょうか。

宮川:
日本のOJTやOFF-JTは、量的には充足されています。しかしながらそれが新しい技術革新に即しているかは別の問題です。たとえば日本の場合、ソフトウェアに多額の金額が投資されています。ところが、日本のソフトウェア投資の中身をみてみると、その大半がオーダーメイドの受注ソフトウェアです。この意味するところは、多くの会社が、パッケージソフトウェアに新たな改良を加えてなるべく今までの仕事の仕方を変えないようにしています。これは発想がまったく逆で、本来は仕事の仕方を変えるために新しいソフトウェアを導入するのです。今までの仕事のスタイルを変えないようにソフトウェアの方を変えていくと、実はソフトウェアの当初あった能力が約7~8割まで落ちてしまうという結果もでています。こうした現状では技術革新や生産性向上の成果は疑問です。

RIETI編集部:
なぜ、日本は人的資本形成の投資を弱めているのでしょう。

宮川:
マクロの無形資産の伸びをみると90年代半ば、金融危機以前はかなり伸びていました。研究開発投資費も人的投資も増えていましたが、97年以降の金融危機以降、リストラクチャリングが行われました。それとともに90年代後半から2000年代、人材育成の必要がない非正規雇用が非常に増加し、全体的に人的資本形成が伸びなくなってしまった。確かにサービス業はリストラクチャリングによって生産性が向上しましたが、長期的に見たときに生産性の向上を持続できるかどうかという点では問題です。

RIETI編集部:
金融危機以降、企業の資金繰りが目下の課題ですが、民間金融機関の対応が追いついていないとの指摘があります。無形資産を担保にした融資の可能性が考えられています。政府、金融機関にはどのようなことが求められているのでしょう。

宮川:
政府には企業の成長パターンのガイドラインを出していただきたいと思います。企業の成長政策を考えるとき、大企業や中小企業などさまざまなタイプの企業を同じように考えてきたように思います。すでに確立された組織がある大企業と中小企業や新興企業の成長パターンは当然異なるため、多様なパターンをモデル化、可視化していく必要があります。

中小企業が企業規模拡大を目指すとき、自社による内製や大量生産の組織が整備されている大企業をモデルにしてはいけません。日本の中小企業が大企業へと成長することは稀です。一方、米国ではグーグルやYahooが小規模企業から大企業に成長しました。これは企業内での構造転換、組織改革の成果といえます。成長する企業にいえることは、技術革新に応じた生産物、サービスの構成に迅速に対応してきたということです。政府はこうした企業内の構造転換を行ったときに発生する付帯的な費用のサポートが必要です。

また、米国の中小企業は成長段階で、自らにリスクがある投資は避け、有効なアウトソーシングの活用によって成長してきました。中小企業は大企業とは異なる成長パターンを描くため、専門的作業や企業規模が拡大したときの在庫管理・財務ソフトの活用など、アウトソーシングの活用が欠かせません。これが有効に働くためには、労働市場での高度な人材のプールが必要です。金融機関が中小企業と高度な人材の結合役として、資金提供、人材の紹介といったコンサルティング機能を果たすことが求められます。しかしながら、現状では金融機関の業務は担保があるかどうかに傾いています。金融機関もまた自らの仕事の仕方を変えていただきたい。ベンチャーや中小企業の成長資金は、本来では直接金融市場で賄うのですが、日本ではなかなか広がりません。結局、日本では既存の企業が企業内組織改革をしていき、それを金融機関がサービスの内容を改善していくことでサポートしていくという方向が当面現実的だと思います。また、政府にもこうした方向での企業成長の阻害要因を取り除いていく役割を期待しています。

RIETI編集部:
シンポジウムを通じて、どのようなことを期待されていますか。

宮川:
いま、日本の論調を見てみると、日本はモノづくりに特化すべきという議論があります。日本のモノづくりは世界的に見ても優位性があります。ただ、モノづくりに特化することは大きなリスクをとっていることともいえます。2000年代の景気回復がモノづくりを中心とする輸出依存体質だったからこそ、今次の金融危機以降では日本の金融機関が米国や欧州ほど傷んでいないにもかかわらず、先進国中で最大の落ち込みになりました。これは日本の成長パターンが非常にリスクをとったパターンであったことを示しています。

その意味で、色々なビジネスモデルに応じて無形資産蓄積の仕方や構成の仕方を理解することは、多様性を許容するチャレンジのきっかけになるのではないでしょうか。多様なビジネスモデルに伴う無形資産蓄積を行って企業の成長を促していくことが、結果的には経済全体のリスク回避につながると思います。

取材・文/RIETI広報編集担当 麻生泰行 2009年9月17日

2009年9月17日掲載