第39回──RIETI政策シンポジウム「グローバル化時代の生産性向上策 -サービス業の活性化と無形資産の役割-」直前企画

サービス業の生産性向上に向けて - 無形資産の蓄積を

宮川 努
ファカルティフェロー

日本の製造業はこれまで高い国際競争力を維持してきましたが、労働シェアの60%以上を占めるサービス産業の生産性は欧米に大きく遅れをとっており、日本経済全体が生産性向上を図るためには、サービス産業の生産性を改善することが急務となっています。RIETI政策シンポジウム「グローバル化時代の生産性向上策 -サービス業の活性化と無形資産の役割-」では、国際的な生産性比較のプロジェクト成果を中心に、生産性格差の要因を分析し、サービス産業を中心とした生産性の上昇をどのようにして達成するべきかについて議論します。本コーナーでは、シンポジウム開催直前企画として、宮川努ファカルティフェローに本シンポジウムの特徴や論点について伺いました。

RIETI編集部:
昨年7月に開催された政策シンポジウムにおいて、宮川先生は『日本における全要素生産性向上の源泉と潜在成長率』と題する報告を行われましたが、この1年間でどのような進展があったのでしょうか。また、今回のシンポジウムは、昨年のシンポジウムと比較してどのような特徴がありますか。

宮川:
昨年8月から、私はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(London School of Economics)のCenter for Economic Performanceに研究員として5カ月間程滞在しました。昨年のRIETI政策シンポジウムには、産業別生産性の国際比較を目指すEU KLEMSプロジェクトの主要メンバーであるMarcel P. Timmer氏にも参加していただきましたが、このプロジェクトはオランダのグロニンゲン大学(University of Groningen)が中心となっています。私はロンドン滞在中、グロニンゲン大学のチームと連絡を取り、経済産業研究所で深尾先生と私が中心となって作成している日本産業生産性(JIP)データベースを国際比較の規格に合わせるために調整をしていました。

こうして今年3月、EU25カ国に、米国、日本を加えて、1970年から2004年までの産業別生産性を統一的な基盤で比較できるデータベースが出来上がり、それを公開するためのコンファレンスがブリュッセルで盛大に開かれました。今回のシンポジウムでは、このEU KLEMSプロジェクトを統括しておられるグロニンゲン大学のBart van Ark氏をお迎えして、そのデータベースから見た日本の位置付けをご報告いただきたいと思っています。また、今年3月から我々はEU KLEMSのデータベースを利用して生産性に関する国際比較分析を行っていますので、その研究成果をご報告します。

なお、昨年のシンポジウムでは、Dale W. Jorgenson氏が「世界の経済成長の源泉」をテーマとして、世界における日本の位置づけといった観点でご報告されましたが、今年のシンポジウムでは、より詳細なデータに基づいて生産性の国際比較を行います。さらに、昨年指摘されたような、人的資本、知識資本、組織資本といった無形資産の問題についても、より国際比較の視点から議論できるようになったという点は、1年間の1つの成果だと思います。

RIETI編集部:
EU KLEMSプロジェクトへの参画により、欧米先進国との生産性比較を行うことが可能となったのですね。その分析結果の中で、特に注目すべき点を挙げてください。

宮川:
1つには、1990年代後半における米国の生産性を加速させた最大の立役者となった、IT投資の国際比較に関して新たな発見がありました。日本も90年代後半からIT投資がかなり増えてきたと思っていましたが、米国はもちろん、EU主要国も、日本よりはるかにIT投資の蓄積が進んでいることがわかりました。元来IT投資は国際比較が難しかったので、これは非常に大きな成果だと思います。

もう1つは、1995年以降の日本の生産性、特に全要素生産性(TFP)の伸びの低さは、米国だけでなく、EU主要国と比較しても低いということが、改めて確認されました。

さらに、IT投資と生産性の関係は、国によって異なることがわかりました。たとえば、IT投資が増加したからといって、生産性が急速に上がるわけではありません。また、米国と英国を比較すると、IT投資の伸び率はほぼ同じレベルでも、TFPの上昇率には開きがあります。このような相違は、人的資本の育成や組織の改編など、IT投資を活かすための無形資産の蓄積に差があるからではないかということが改めて注目されるようになっています。

RIETI編集部:
産業別生産性について、日本は米国、EU主要国と比較していかがでしょうか。また、95年以降日本の生産性上昇率が低いのはなぜですか。

宮川:
日本はサービス産業の生産性が米国、EU主要国に比べて低いことが確認されています。米国およびEU主要国と日本の生産性上昇率にはギャップがありますが、その主な原因は、サービス産業における日本の生産性の低さです。日本は、とりわけ流通業、運輸業、ホテル業でIT投資の蓄積も低くなっています。日本の生産性上昇率が低い要因として、米国に比べて日本は、IT投資の使い方がまだ十分とはいえないということが挙げられます。この点については2007年の米国大統領経済報告(Economic Report of the President)でも指摘されており、IT投資は、人的資産の育成や組織改革などIT投資を補完する無形資産の蓄積を促すことによって初めて生産性の上昇に結びつくとの報告があります。私はロンドンに滞在している間に、日本の無形資産投資の推計を行い、今年5月、日本での推計と、米国、英国での推計を比較するOECDのワークショップに参加しました。その比較結果を見ると、日本は無形資産投資のGDPに対する比率が米英に比べて低くなっています。さらに、日本の無形資産投資の有形資産投資に対する比率は米国よりはるかに低いのです。これは今後いろいろ調べていかなければならないことが多いのですが、サービス業の場合、製造業と異なり、ものづくりのための技術に依存できないので、無形資産の蓄積がより重要であると思います。

RIETI編集部:
経済成長の源泉を分析するため、全要素生産性(TFP)を推計する手法の1つとして、Robert M. Solow氏の提起した成長会計の考え方があるということですが、米国では生産性にかなり以前から着目されているようですね。

宮川:
先程少し触れた2007年の米国大統領経済報告でも、生産性の問題は、プライオリティが高い問題として議論されています。最初の概要の部分では、経済成長における生産性の役割の重要性が指摘されており、第2章では、米国の生産性の成長はなぜこれほど長く続いているのかについて分析されています。生産性の問題は歴史が古く、1987年にノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大学のSolow教授は、今からちょうど50年前に、「米国の経済成長の要因の3分の1は技術進歩率である」という、非常に挑戦的な論文、"Technical Change and the Aggregate Production Function" (Review of Economics and Statistics 39, August 1957)を発表しました。それ以来、Solowの手法によって推計された技術進歩率は、ソロー残差(Solow residual)と呼ばれています。このソロー残差をめぐり、どのような要因が米国の経済成長の3分の1を支えるのだろうということが、経済学者間の研究で焦点となってきました。今もなおそのような議論は続いており、これほど影響力を与えた論文は少ないのではないかと思います。先程申し上げた、無形資産も、Solow氏が提起した問題に対する1つの回答と捉えることもできます。

経済学者、エコノミストを中心とした米国の研究機関、NBER (National Bureau of Economic Research )が、若手の経済学者を対象として毎年夏にたくさんのセッションを組んでいますが、今年開催されるSummer Institute 2007ではそのほとんどが、生産性に関わる話題で占められており、我々も経済産業研究所での研究成果を発表する機会を得ています。このようなワークショップに加え、今年は、生産性を注目させる契機となった論文の50周年に当たるため、その著者であるSolow氏も参加し、無形資産に関するラウンドテーブル・セッションが開かれる予定です。そういう意味で、生産性の問題は米国、ヨーロッパ等の先進国諸国の間で、まだ完全に解明されてはいないが、常に注目しなければならない経済問題として捉えられているといえるでしょう。

RIETI編集部:
経済財政諮問会議で策定された「成長力加速プログラム」には、「サービス革新戦略」が3つの戦略の1つとして示されています。6月22日のシンポジウムでは、日本の生産性向上を図るために、どのような議論が行われることを期待しておられますか。

宮川:
先程申し上げたように、サービス産業の生産性上昇のためには、人材の育成や、新しい技術に合わせた組織の改編にもっと集中して取り組むべきだということを述べていきたいと思います。また、van Ark氏より、日本のサービス産業の生産性の伸びの低さに関して国際比較の観点からご指摘いただけると思います。ヨーロッパでは日本と同様、米国との生産性ギャップを解消することが政策的課題として意識されてきたので、生産性を向上させるためのEU諸国の取り組みについてもご紹介いただけると期待しています。さらに、米国統計局のRon S. Jarmin氏は、英国や日本の研究者と共に日本の流通業の構造について比較研究をされていますので、流通業という個別の産業における、米英と日本の違いについてご説明いただけると思います。世界で活躍している日本の製造業は、単に「ものづくり技術」が優れているだけでなく、世界的に通用する経営力、すなわち無形資産を有しているからこそ競争力を維持していると考えられます。このシンポジウムを通じて、サービス業が経営力を蓄積することを通じてグローバル経済の中で成長していく方策について理解が深まればよいと思います。

取材・文/RIETIウェブ編集部 木村貴子 2007年6月7日

Marcel P. Timmer氏略歴

Eindhoven技術大学博士。1999年よりGroningen大学経済学部で主に開発経済学の教鞭を取る。最近の研究分野は、アジアと欧州に焦点を当てた、経済成長と技術と構造変化、価格と生産性の国際比較、キャッチアップにおける技術の移転と普及など。現在、EUKLEMSプロジェクト運営チームのメンバーとしてに日々携わる。同プロジェクトは、EU内の15の機構の参加を得て、1970年以降の全EU加盟諸国の経済および生産性の成長を産業レベルで計測するデータベースの構築を目的とする。

Dale W. Jorgenson氏略歴

ハーバード大学Samuel W. Morris University教授。1955年オレゴン州リード・カレッジより経済学学位取得。1959年ハーバード大学より経済学博士号取得。カリフォルニア大学バークレー校を経て、1996年よりハーバード大学で教鞭を取り、1980年には経済学のFrederic Eaton Abbe教授職に任命、1994年から1997年まで経済学部長を務めた。ITと経済成長、エネルギーと環境、税務政策と投資行動、応用計量経済学の分野で革新的な研究を行う。
主な著作物:Information Technology and the American Growth Resurgence, Mun Ho氏・Kevin Stiroh氏と共著, The MIT Press, 2005; Lifting the Burden: Tax Reform, the Cost of Capital, and U.S. Economic Growth, Kun-Young Yun氏と共著, The MIT Press, 2001

2007年6月7日掲載