第13回

銀行再生に向けて:りそな銀行への公的支援はモデル・ケースになるか?(下)─ ガバンナンス体制の再構築を目指して ─

鶴 光太郎
上席研究員

前回(上)では、りそな銀行への公的支援の評価を、繰延税金資産の扱い方や公的資金導入決断までのプロセスの妥当性の観点から論じた。今回は、6月10日に公表された、りそなの経営健全化計画につき、政府の関与のあり方、株主責任、「委員会等設置会社」への移行、ビジネス・モデルのあり方につき、今後の銀行再生のモデル・ケースになるかどうか検討してみたい。

銀行のモラル・ハザードが懸念される資本増強レベルとその方法

大盤振る舞いになった公的資金投入額
今回、資本増強のために申請された公的資金の額は、1兆9600億円(これにより、りそな銀行の連結自己資本比率は12.2%程度になる)であったが、これは、「預金者、取引先、市場の不安を払拭する観点から、10%を十分上回る自己資本比率の確保が必要」との金融危機対応会議の答申を踏まえたものである。この背景には、「不安を払拭する」ためには、「地銀の優良行並の比率を確保する必要がある」との判断があったようだ。過去の公的資金注入では、「横並び」、「過小」というのが問題であったことを考えると、経営責任を厳格化させた上で、十分な資本増強を行うことは重要であり、国内基準の4%を満たすだけの資本増強では不十分かもしれない。しかしながら、トップ・レベルの優良地銀の水準に届くまでの資本注入額はやや過剰とも考えられ、銀行のモラル・ハザードが懸念される。

不十分な株主責任
金融再生法で特別公的管理銀行(国有化)となった長銀や日債銀の場合、資本金を全額減らす100%減資を行った。国がその株を全部取得し、既存の株主の権利がゼロになったため、株主責任が徹底されたといえる。一方、今回のりそなの場合は、資本金を減少させ、繰越欠損の補填などを行った上で、政府の資本増強で資本金を増加させるという「増減資」と呼ばれる手法が取られることになる。減資の部分は、貸借対照表の「資本の部」に計上されている資本金や準備金と欠損を帳簿の上で相殺するだけなので、「資本の部」の金額は減資の前後では変わらず、株数も変化しない。つまり、一株あたりの純資産額も変化しないので、理論上、株価は影響を受けないと考えられる。累積欠損を穴埋めすることは、復配や市場からの資本調達を行いやすくするためであるが、増資が加わると全体の株式数が増え、希薄化による株価への影響は避けられないであろう。しかし、こうした手法は、経営の責任を担うべき株主の責任がまったく不問に付され、株式市場への配慮があったとはいえ、公平性を欠くやり方である。なぜなら、政府が最終的に公的資金を回収できなければ、国民がりそなの株主に「補助金」を与えているのと同じになるためである。当局は、配当の抑制で株主責任を問えると考えているようだが、配当余力があるにもかかわらず配当を抑制した場合、それは内部留保に廻り、結果的には株価にプラスに反映されるはずなので、株主責任を問うことにはつながらないと考えられる。

ガバナンス体制の再構築:外部人材の投入

公的資金を導入する場合の条件として一番重要なのは、銀行のガバナンスの問題である。既存の経営陣が退陣し、新しい発想を持った経営陣が過去のしがらみを断ち切って経営を行うことができるかどうかがポイントとなる(経営のコントロール権の移転)。しかし、銀行においては、既存の経営陣が退陣しても、内部昇進で上がってくる人々は退陣した経営陣と同じような考え方や経営方針が染み付いている人々、つまり、「金太郎飴」的存在である場合が少なくない。したがって、経営陣が退陣することが即、ガバナンスを改善させることにつながらない。一方、株主総会での議決権を掌握することでガバナンスの担い手になった当局も、民間銀行の経営を抜本的に改善させるだけのノウハウなどを持ち合わせているわけではない。こうした点が、公的資金導入に伴うガバナンス変革の大きなジレンマになっていた。

6月10日に公表された、りそなグループの経営健全化計画では、2兆円という大幅な資本増強を受ける前提として、大手行では最高水準である経費率を削減し(例、賞与全額カットを含む従業員の年収水準3割引き下げや従業員数の約15%削減)、他行並に近づける計画が提示されるとともに、今回のガバナンス体制再構築の大きな目玉として、りそなホールディングズ・りそな銀行の「委員会等設置会社」(この4月から商法改正で導入)への移行が盛り込まれた。つまり、社外取締役が過半数を占める、指名、監査、報酬の3つの委員会が設置される予定であり、両者の代表権を有する会長として細谷英二氏(JR東日本副社長・経済同友会副代表幹事)が、社外取締役としての6名の人材とともに外部から招聘されることになっている。

抜本的な経営改善で手っ取り早い手法は、過去のしがらみのない「外部の血」を入れることである。テイク・オーバー(企業買収)はその好例であるが、劇薬になる場合もあるものの、業績の悪いCEOを交代させるという意味では、社外取締役も似た効果が期待できる。しかし、今回の商法改正に盛り込まれた「委員会等設置会社」への移行はそれぞれの企業の自主的選択にまかされているため(オプション)、経営改革に社外取締役が必要な企業であっても「委員会等設置会社」を選択するとは限らない。むしろ、社外取締役が必要な企業ほど、現経営陣が自分たちの私的利益を守るため、「外部の血」を入れることを拒もうとするかもしれない。したがって、社外取締役のガバナンス機能を生かすためには、どうしても社外取締役を強制的に導入するやり方が望ましくなる。その意味で、資本増強に基づいて政府が議決権を握ることで、経営のプロを外部から選び、「委員会等設置会社」を設立することで間接的に経営をコントロールしていく体制は、これまでの公的資金導入に伴うガバナンスのジレンマを幾分なりとも改善するとみられる。

求められる外部人材とは?

問題は、外部からいかなる人材を選んでくるかである。日本では、アメリカなどのように、「企業コントロールの市場」(“market for corporate control”)が発展していないために、外から経営を立て直すために人材を見つけ出してくることは容易ではない。外部からの人材の選択に当たっては、2つの視点を強調して置きたい。まず、銀行の場合、同じ日本の銀行業界から人材を引っ張ってきてもあまり意味がない。業界の事情には詳しいかもしれないが、横並び重視の業界のため、新たな発想が乏しいと考えられるからである。銀行のように政府の規制が強い非製造業の範疇であっても、ドラスティックな規制緩和や民営化を既に経験した業種から人材を選ぶというのも1つの考え方である。たとえば、証券ビッグバン以降、インターネット取引で急速に業績を伸ばした松井証券の松井社長は、日本郵船の出身だが、80年代の海運業における自由化の経験が、証券業での自由化路線を貫くために有益であったとその自著に記している。第2は、同じ業界でも、別の国(外資)での経験を積んだ人材である。業界の専門知識や経験はあるが、しがらみや国内の「常識」にとらわれない経営ができるという利点がある。日産のゴーン社長が典型だが、外国人である必要はない(例、新生銀行社長の八城氏)。こうした観点からすると、6名の社外取締役については必ずしも上記の条件に合致しているといいがたいが、会長になる細谷氏が旧国鉄改革(分割・民営化)でみせた手腕を、やはり「親方日の丸」体質の銀行の変革にどの程度まで発揮できるかまずは期待したい。

りそなの経営健全化計画は銀行再生のモデル・ケースになりうるか?

りそな銀行の場合、さまざまな「お膳立て」は整ったが、今後、収益を伸ばしていけるビジネス・モデルを持ちえるかということが重要な課題となる。レストランに喩えてみれば、高級レストラン並に設備、インテリアを一新し(資本増強)、料理人も代えて(経営陣の刷新)新装開店してみても、本当に美味しい料理(新たなビジネス・モデル)を提供して、お客さんに満足してもらい、もうけを増やすことができるかどうかである。りそなの場合、個人・中小企業中心の地域密着型経営を掲げ、いくつかの金融機関を合併・吸収しながら、緩やかな地域金融機関連合体を作っていったが、それは目指していた「スーパーリージョナルバンク」とはほど遠く、単体ではどれも生き残れない「弱者連合」でしかなかったことは、地方の金融機関の合併を奨励している現在の金融行政に対する教訓として受け止めるべきであろう。資産の健全化や経費の削減については、政府の「経営監視チーム」や大臣直属の「金融問題タスクフォース」が一定の役割を果たしうるが、肝心のビジネス・モデルの再構築は別問題である。現時点では、中小企業向けのローンの強化などを含む顧客重視の方針が打ち出されているが、グループ体制や従来の取引関係の見直しも含め、相当、戦略的重点な分野の絞込みが必要であろう。

一方、資本増強を行った後の政府の重要な政策判断の節目としては、公的関与の「出口」、つまり公的関与を終えるタイミングが挙げられる。これは公的資金回収可能性にも関わってくる問題である。「出口」は当然、今回導入する公的資金2兆円分の株式を売却した時であるが、銀行の業績が相当上向いてこなければ、市場での売却はその規模が大きいこともあって容易ではないであろう。つまり、「出口」を探るのは難しいということだ。したがって、当該銀行の業績が思わしくなければ、政府はいつまでも手を引けない。また、保有株式をたとえ売却できたとしても、株価の下落のため大幅な評価損を抱えることにもなりかねない。その意味では、かつての長銀タイプの関与の方が、完全に国有化をした分、「出口」への移行も考えやすかったといえる。

これまでの銀行と当局との関係を振り返ると、いずれのサイドも不良債権問題の責任を取りたくないという点が大きな問題であった。公的資金の申請も銀行の自主性に任され、大きな経営責任も問われず、結果的には横並びの過小注入しか行われなかった。したがって、金融危機に予防的に対応する場合であっても、公的資金が必要な銀行に強制的に注入する代わりに、かなりドラスティックな経営・株主責任を問う仕組みが必要となる。今回のりそなの例は、結果的にこのような強制的な資本増強のフレーム・ワークを作ったという点では意義がある。しかし、このような対応が可能になったのは、やはり、監査法人の「決断」にあった。これまで銀行の決算については、監査法人、銀行、当局の間で「暗黙の了解という談合」がまったくなかったといえば嘘になろう。しかし、アメリカのエンロンの場合のように、粉飾決算が明るみに出れば、国際的な会計事務所のアンダーセンでさえも簡単につぶれてしまう、また、「護送船団方式」から決別した当局は最後まで守ってはくれないという状況の下、監査法人が生き残りを賭けて、自らの責任を果たすために「声」をあげたといえる。この「勇気ある決断」が「責任をとろうとしない談合関係」に風穴を開けたことは確かである。

りそなの実質国有化は、今後の銀行再生のモデル・ケースになり得るか。その鍵を握っているのは、外部から招聘される7名の経営陣である。「委員会等設置会社」移行後、彼らが監査委員会を通じて、経営の執行部門に強い規律を与える効果的ガバナンス体制を再構築できるか。新たなビジネス・モデルの開拓に手腕を発揮できるか。自らの責任を果たすために声をあげた監査法人同様、「勇気ある決断」を行うことができるか。彼らがこのような役割を十分に果たした時にこそ、りそなは初めて資本増強の「大盤振る舞い」と、株主責任の不問から生じる悪影響(モラル・ハザード効果)を乗り越えて、今後の銀行再生のモデル・ケースとなることができるのだ。

2003年6月16日

2003年6月16日掲載

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