ノンテクニカルサマリー

越境データフローが企業の生産性に与える影響:日本企業のミクロデータに基づく実証分析

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「変化するグローバリゼーションと中国への日本企業の対応に関する実証分析」プロジェクト

デジタル化の進展に伴い、企業は国内のみならず海外とも大量のデータをやり取りするようになっている。海外拠点との生産・在庫情報の共有、海外顧客データを用いたマーケティング、グローバルなクラウド・AIサービスの利用など、こうした活動はいずれも国境をまたぐデータの共有・移転(越境データフロー)を前提としている。他方で、プライバシー保護や安全保障上の懸念から、各国でデータ移転規制やデータローカライゼーションの議論が強まっており、企業活動への影響が重要な政策課題となっている。

本研究は、日本の製造業・サービス業企業を対象とした独自アンケート(2019年・2021年実施)と、経済産業省「企業活動基本調査」による2019~2022年の生産性データを結合し、「越境データ利用を新たに開始した企業の生産性が実際に高まっているのか」を検証したものである。2019年時点では国内のみ、もしくはデータ収集を行っていなかった企業のうち、2021年に初めて「海外を含むデータ収集」を開始した300社を「処置群」とし、一貫して国内のみ/非利用の企業を「対照群」として比較している。

分析には、政策評価で広く用いられる差の差(Difference-in-Differences)手法を用い、処置群と対照群の生産性の伸びの違いを、企業固有の特性や各年のマクロショックを取り除いたうえで推計している。また、輸出企業かどうか、多国籍企業であるかどうか、研究開発投資や情報通信関連費用の集約度といった、越境データ利用と関連が深い企業特性を統計的に調整し、結果の頑健性を高めている。 主な結果は三点に整理される。

  1. もともと生産性の高い企業ほど越境データ利用を開始しやすいという「自己選択」のパターンが確認された。これは輸出や対外直接投資に関する先行研究で見られる傾向と整合的である。
  2. こうした自己選択を考慮したうえでも、越境データ利用を新たに開始した企業では、労働生産性で約4~5%、全要素生産性(TFP)で約5~6%の上昇が統計的に有意に観察された。
  3. 生産性上昇効果のタイミングに特徴がある。2019~2020年の処置前期間では、処置群と対照群の生産性トレンドに有意な差は見られない一方、2021年(利用開始年)よりも翌年の2022年に効果がより強く現れている。

図は、この処置前後の推定効果の推移を示したものである。横軸には年(2019~2022年)、縦軸には対照群と比較したときの生産性(全要素生産性)の差をプロットしている(薄いグレー部分は95%信頼区間)。2019年・2020年の係数はゼロ付近で統計的に有意ではなく、越境データ利用の開始前には両グループが類似したトレンドをたどっていることがわかる。他方で、2021年にはわずかな上昇が見られ、2022年には効果が明確かつ有意に現れている。これは、海外拠点とのデータ連携、クラウド・AIの本格活用、海外顧客データを用いた製品・サービス改善といった取り組みが、企業内部に定着し効果を発揮するまでに一定の時間を要することを示唆している。

政策的含意として、本研究の結果は二つの点で重要である。第一に、越境データフローが日本企業の生産性向上に実際に寄与していることを示している点である。デジタル経済の下で、データの国際的なやり取りは単なる補助的活動ではなく、国際競争力の源泉の一つとなり得る。第二に、プライバシー保護や安全保障への配慮は不可欠であるものの、過度に厳しい越境データ規制は、このような生産性向上の機会を損なう可能性がある点である。政策設計においては、データ保護と利活用の両立、国際的に互換性のあるルール作り、企業のデータ利活用能力向上への支援など、安全性と自由なデータ流通のバランスをとることが一層重要になると考えられる。

図.越境データ移転開始が生産性に与える影響
図.越境データ移転開始が生産性に与える影響