| 執筆者 | 山下 直輝(青山学院大学 / Australian National University / Swinburne University of Technology)/Shiro ARMSTRONG(ノンレジデントフェロー) |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)
大国間の貿易紛争が世界にもたらす波及効果に関する新たな証拠は、オーストラリア企業が、2018年から2019年にかけての米中間における関税引き上げに反応して輸入製品の調達先選定行動を調整したことを示している。本研究では、BLADE(Business Longitudinal Analysis Data Environment)の企業レベル情報と関連付けられている2015年から2023年までの包括的なオーストラリアの輸入取引データを用いて、グローバルバリューチェーンにおける中国の役割を制限することを狙ったトランプ政権による対中国製品関税が、オーストラリア企業を貿易多様化による脱中国に導いたのか、反対に、オーストラリア企業の対中輸入依存度を深めたのかについて評価する。サプライチェーンにおけるリスク軽減が図られ、地政学的リスクの回避策が講じられるという予想に反して、関税対象製品への既存のエクスポージャーが高いオーストラリア企業では、貿易戦争後の年度において、対中輸入依存度が高まったことが本研究で示された。この結果には、次の洞察が示されている。すなわち、米中貿易戦争は、オーストラリアの中国製造ネットワークへの統合を弱めるのではなく、意図せず強化した可能性がある。
米中貿易戦争は、世界の製造ネットワークに大きなショックを与えた。2018年から2019年まで、米国は複数品目において約3,500億ドル相当の対中輸入品に対する関税を引き上げ、平均関税率は3.7%から20.8%に上昇した。中国は米国製品に対して報復関税を実施した。オーストラリアは対抗措置を取らなかったが、対中依存度の高い輸入国としての立場から、間接的な影響を受けやすい状況となった。オーストラリアの対中輸入は、まさに米国の関税に対するエクスポージャーが最も高い製品である製造品に大きく集中しているため、オーストラリア企業は中国輸出品の転換先となる可能性がある一方、オーストラリア企業には高まる地政学的リスクを回避するために代替供給国を見つけるインセンティブも働く。2025年トランプ政権下において米国保護主義が再燃する今、オーストラリア企業が前回のショックにどのように対応したかを理解することは時宜にかなっており、政策的な意義がある。
これらの影響を特定するために、本研究では、オーストラリア企業間における後年米国関税の対象となった製品に対する紛争以前のエクスポージャーの差異を使用して、差分の差分法を適用する。企業は、関税対象のHS6桁製品からなる2017年の輸入バスケットにおけるシェアに応じて、処置群と統制群に分類される。本分析では、2015年から2023年までの期間に輸入価額、調達先選定のパターン、製品の多様性がどのように調整されたかについて両群を比較する。エクスポージャーの測定値は米国タリフラインの詳細データとマッチングし、企業・年度データセットには多様な統制変数と固定効果を組み込む。これにより、米国の関税引き上げがオーストラリアの輸入品調達先選定に与える因果的影響を抽出することが可能となる。
分析結果には注目すべきパターンが示された。関税発動後の期間、特に、新型コロナウイルスによる混乱が去って経済活動が正常化していった2022年および2023年において、エクスポージャーが高いオーストラリア企業は中国からの輸入を増加させた。貿易の内延を見た場合、中国からの輸入量はエクスポージャーが低い企業と比較して推定で6.8%増加し、エクスポージャーは10パーセンタイルから90パーセンタイルに転じ、これは8.5%の輸入増に相当する。この増加は時間差を置いて初めて出現しており、この分析結果は、貿易ショックに対する調整は企業が調達契約とサプライチェーンを最適化するのにしたがって徐々に発生するという国際的なエビデンスと一致している。対照的に、エクスポージャーがある企業は代替国からの輸入を拡大するという証拠は示されず、地政学的不確実性は貿易多様化による脱中国を引き起こしたという仮説に反する結果となった。
貿易の外延に関する分析結果も等しく重要である。関税エクスポージャーのある企業では中国を調達先とする製品の種類数が増加しており、中国のサプライヤーに関連する製品バリエーションが縮小するのではなく拡大したことが示されている。この変化は輸入価額が上昇するより前に発生しており、早くも2020年に出現している。一方、中国以外の国を調達先とする新規製品の種類数においては、対応する変化は見られない。これらの分析結果は非対称なパターンを浮き彫りにした。すなわち、米国関税へのエクスポージャーは、企業に中国との輸入関係の広範化と深化を促した。
製品レベルのイベントスタディによる推定結果もこれらの結論を裏付けている。米国関税の影響を直接的に受けた中国製品の場合、オーストラリアの輸入において処置群製品と非処置群製品の間に事前傾向の差異は示されていないが、処置後の年度については、処置群製品の価額と数量がより高いことが示されている。単価は大きく下落しておらず、オーストラリアの輸入増は数量増に起因するものであり、値下がりやダンピング行為によるものではないことが示唆される。この分析結果は、貿易紛争中に中国の輸出企業が実施する価格調整は限定的であり、そのため関税の影響がすべて米国の消費者に転嫁されることを示した先行研究と一致している。
本研究では企業の特徴の不均一性についても調査する。対中依存度の上昇を主導したのは大企業および輸入依存度の高い企業であった。中小企業には統計的に有意な変化は示されず、輸入依存度の低い企業の場合、鈍い反応または遅れた反応が見られた。この結果が示すのは、より大規模な企業、GVCとより深く統合されている企業、より複雑な輸入ニーズのある企業は、転換された中国からの輸出を吸収する、または中国ベースの供給関係を深化させる可能性がより高いということである。
関税を回避するために中国製品を第三国経由で輸出する迂回貿易などの代替メカニズムでは、輸送コストが高く、オーストラリアは米国から地理的に隔絶しているという理由により、オーストラリアのパターンを説明することは難しい。実証研究において、そのような経路変更はオーストラリアではなく主にメキシコおよびベトナム経由で行われることが確認されている。したがって、観察されたオーストラリアにおける対中輸入の増加は、関税回避的な物流ではなく純粋な統合を反映したものであると言える。
分析結果には、貿易政策に関するより大きな含意が示されている。先行研究の多くにおいては、非当事者国は貿易戦争における輸出側の振り替えから利益を得ることが強調されているのに対して、本稿では、第三国の輸入側機会の拡大という、研究が不十分な転換の姿に焦点を当てている。転換に関する政治的緊張や政策議論にもかかわらず、オーストラリア企業は、米国市場から排除された中国製品へのアクセスが拡大したことの恩恵を受けたように見受けられる。分析結果は、対中依存度を軽減するための国家レベルの戦略と、コスト、信頼性、既存のGVCにおける関係性が主導する企業レベルのインセンティブとの間の乖離を強調するものとなっている。
総論として、本稿は、米中貿易戦争は意図せざる形でオーストラリアの対中輸入依存度を高めたと結論する。貿易の多様化を促すことを狙った試みは、特に企業が中国中心の製造ネットワークに組み込まれている場合には、大きな構造的・経済的障壁に直面する。分析結果は、デカップリング戦略の実際的な限界を浮き彫りにするとともに、政策立案者がサプライチェーンの大規模な経路変更を試みるのではなく、多国間の枠組みの強化に注力することの必要性を強調している。