ノンテクニカルサマリー

B型はモテない?血液型差別から見る差別の構造

執筆者 小泉 秀人(研究員(政策エコノミスト))
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

「え、B型ですか?やっぱり!」

このような反応を経験したことは、今の30代以降、特に特定の血液型の人にとっては一度や二度ではないはずだ。1980年代からある本がきっかけで爆発的に広まった「血液型性格診断」は、例えば、A型は「几帳面」「神経質」、O型は「おおらか」、AB型は「天才肌」(年代によっては「二重人格」)、B型は「自己中心的」「わがまま」「マイペース」といったイメージを人々に植え付けた。無論科学的根拠はなかったのだが、この主張は人々になぜか広く受け入れられ、1990年初頭までには約6割の人がこの血液型と性格は関係があると信じたのである。ブームは波があるものの10年おきぐらいで繰り返され、2000年代前半でのブームでは、2004 年2月21日から1年間でなんと約70本もの血液型性格関連説に関するTV番組が放送され、血液型と性格の関連を肯定し、特にB型への差別を煽るような内容が目立ったために放送倫理・番組向上機構(BPO)から勧告が出されたほどである。

学校や職場での人付き合いで嫌な思いをしたことがあるのはなんとなくわかる人は多いだろうが、職場での差別につながるとまで思っている人は少ないかもしれない。しかし、大手メディアでも取り上げられたように、大手企業がAB型の人だけを集めたチームを作ったとか、中小企業ではエントリーシートに血液型を書かせたり、面接でB型と分かったら、B型は不採用ですとはっきりと伝えるケースなど、実は労働市場においてもデータがある2000年代中ごろでは差別はあったのだ。しかも、最近でさえ血液型を採用面接で聞いてはダメだと厚労省のガイドラインに載ったぐらい、この問題は現在に至るまで尾を引いているようである。

米国の有名な雑誌に「Newsweek」というものがあるが、1985年、第一次血液型ブームの時に、こんなことを記事で書いている:(筆者による和訳)

「日本人は、人を『型分け』する新しい方法を見出した。それは占星術でもなく、人の頭にある隆起を調べることでもない。血液型によるのだ……もちろん、血液型で人を型分けすることに全く科学的根拠はないが、それにもかかわらず、多くの日本人が恋愛から就職面接に至るまであらゆる面でこの区分けが用いられているのである。」

Newsweekにまで書かれたこの問題が、実際どの程度だったのか。筆者はこの問題に答えるべく実証研究を今回試みた。具体的には、データの制約もあり最近のデータは取得できなかったものの、2005年と2006年の全国を代表するおよそ4000人の無作為標本データを使って定量的に分析を試みた。結果は驚くべきものだった。

なんとB型の人は、他の血液型の人と比べて結婚率が約7%(5.4%ポイント)も低かったのである。この結果のほとんどが40歳未満の若いB型男性への影響によるものだった(12.7%ポイント減)。そして、この影響は女性には見られなかった。

もっと驚くべきことは、労働市場における差別で、B型男性の失業率は他の血液型と比べて倍以上(2%ポイント)も高かったのである。さらに、40歳未満のB型男性においては、年収が68万円程度低かった。ここでも女性については、血液型による有意な差は見られなかった。恋愛と労働市場において男女差があった理由は、一つは女性の方が血液型性格診断を男性よりも信じる傾向にあったこと。もう一つは、2005年では雇用における男女差別が今よりも大きく、サーベイに回答してくれた多くの女性が専業主婦であり、フルタイムで働くキャリアウーマンなる人たちが少なかったことによるものと思われる。

血液型が生物学的にこのような結果をもたらしたことでないことを示すために、米国で同時に実施された全く同じサーベイを使って調べたところ、米国ではこのような差はなかった。つまり、社会的に構築された恣意的な偏見でここまでの結果が引き起こされたことがわかる。

ここで重要になるのが、差別によってラベルを貼られてそう言われ続けたために、実際にその人の性格や生産性が変化する可能性である。「自己成就予言」と呼ばれるこの現象が、他の経済学の論文では別のケースで実証されている。血液型においてもこの可能性はあるだろうか。この点に関しては、様々な研究が心理学において日本でも行われてきた。あると実証した研究もあれば、筆者が使用しているデータの性格に関する質問項目を使用して、ないと実証した論文もある。質問の内容が論文間で違うことや、質問の回答のスケール問題(1から5までの選択肢があると、日本人は真ん中の3を選ぶ傾向がある)など、複数の相違点によって性格に関して影響があるかはっきりとした結論を出すことが難しい。そこで筆者は、B型が「マイペース」というイメージから「時間にルーズ」というイメージがあることに着目して、子供の頃の休みの宿題をどのタイミングで終えたかという質問項目を使って「自己成就予言」があるかを調べてみた。すると、血液型ブームが始まった後に子供の時代に学校に通っていた世代(40歳未満)では、宿題を先延ばしする傾向があったが、40代以降ではその傾向はなかった。このことから、日本における血液型差別は、本来生物学的影響は(あったとしてもほとんど)ないと考えられる性格に対して、レッテルを貼り続けることで影響を及ぼしていたことがわかった。

さて、これらの結果は非常に驚くべきことではあるが、この日本特有の差別から、何か普遍的な示唆はあるだろうか。例えば、女性差別や人種差別に対しての示唆はあるだろうか。これらの差別は、長い歴史的背景があるために、一体全体何が現在の差別に繋がったか定量的に追跡することが困難である。例えば、アメリカにおける黒人差別については、まず偏見からくる直接的な労働市場での差別がある。同時に、昔の奴隷制度が原因で尾を引く貧困から引き起こされた犯罪率の違いなどからくる間接的差別があるだろう。こうした間接的な差別は、雇用主に責任はないとしても、「差別の結果の結果」であるため、政策立案者から見れば全て差別の影響として捉えるべきだ。しかし一方で、勤労に対する価値観の文化的な差異から引き起こされた格差の可能性など、差別とは関係のない要因による労働市場での格差への影響を排除することは難しい。そのため、単純に差別の意識や差別に繋がる制度がなかったら、現在の黒人と白人の格差が「どれくらい」なくなるのか、よくわからないのである。今回の血液型差別の研究では、非常に短い期間で引き起こされ、かつ異なる血液型間で文化的な差異がないことから、こうした問題がない。また、労働市場におけるB型とそれ以外の血液型の差は、一部自己成就予言による影響の可能性もあるが、政策立案者の観点からは、自己成就予言による影響の可能性も含めて、全て根拠の乏しい偏見から端を発した差別の影響である。そのため、本研究から、単純にB型に対する差別的な意識がなかったとしたら、これほど巨大な効果が得られることがわかったのである。これらの知見は、新たな形の差別や偏見が生まれる可能性のある現代社会において、重要な示唆を与えるものと考える。