執筆者 | 伊藤 新(上席研究員)/佐藤 正弘(東北大学)/太田 塁(明治大学) |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)
政策を巡る不確実性は、企業や消費者など民間の経済主体の意思決定や政府・中央銀行の政策遂行において悩みのもとである。政策の不確実性を定量的に把握するメジャーで、国内外の政府機関や中央銀行、国際機関、民間企業で広く利用されているものに新聞報道をもとにした政策不確実性指数がある。この指数は、記事の中で政策の不確実性について取りあげられるときに頻出する特定のキーワードを含む記事の件数をもとに作られている。この指数では、今後の政策パスを巡る不透明感や政策の経済効果の不透明さなど政策に関する不確実性全般の度合いが数値化される。
しかし、このアプローチでは文脈は考慮されない。私たちはこの研究で、進展が目覚ましい人工知能(AI)技術の1つである大規模言語モデルを活用し、報道内容に基づいて政策の不確実性を計測する斬新な方法を提示した。このやり方を採れば、さまざまなタイプの不確実性を別々にとらえることができ、既存のアプローチにみられた弱点が克服される。
具体的には、まず質の高い教師データを用意して企業から提供されている事前学習済言語モデルをファインチューニングし、それからファインチューニングされたモデルに記事の中で政策決定を巡る不確実性(これをフォワードルッキングな不確実性と呼ぶ)について触れられているか、政策効果を巡る不確実性(これをバックワードルッキングな不確実性と呼ぶ)について触れられているかを文脈から判定させる。タイプごとに判定作業をおこなわせて得られた結果から、それぞれの不確実性についての指数が算出される。
この新しい手法の試行例として、私たちは日本の中央銀行の金融政策を取り上げた。具体的には、毎日新聞と読売新聞の東京本社版に掲載された26.7万記事(地域面は除く)のテキストデータとOpenAI社が提供する最新式モデル、GPT-4o miniを利用して、私たちは2015年から2016年の金融市場調節方針のフォワードルッキングな不確実性や政策枠組みのフォワードルッキングな不確実性、金融市場調節方針のバックワードルッキングな不確実性、政策枠組みのバックワードルッキングな不確実性の4タイプの不確実性を計測した。当時の日本銀行の政策運営様式を考慮し、私たちは金融市場調節方針と政策枠組みに焦点を当てた。
政策枠組みのバックワードルッキングな不確実性について書かれた記事が最も多く(4タイプのうち少なくとも1つのタイプについて触れられた記事数に占める割合は77%)、金融市場調節方針のフォワードルッキングな不確実性について言及された記事(同40%)が続く。この時期の日銀の金融政策を巡る不確実性の源泉は、金融緩和の強化のために新たに導入された枠組みの経済効果に関することであった。
下の図では、2015年1月から2016年12月の新しく作られた金融政策不確実性指数(2015-2016年平均=100)が描かれている。指数はそれぞれに特徴的なパターンを示している。政策決定を巡る指数(パネルA)は2016年第3四半期(7月から9月)に大きく上昇している。日銀は7月、次回9月の金融政策決定会合でこれまでの大規模な金融緩和策について総括的な検証をおこなうと発表した。そして日銀は9月の会合で、金融緩和を強化するために長短金利操作付き量的・質的金融緩和と呼ぶ新たな政策枠組みの導入を決めた。この時期は金融緩和の更なる拡大か、それとも緩和縮小へ転換か金融政策に対する見方が錯綜し、今後の政策の方向性を巡って不透明感が非常に高まった。

政策効果を巡る指数(パネルB)は、日銀が2016年初めにマイナス金利付き量的・質的金融緩和という新しい政策枠組みを導入したときに急激に上昇している。指数は同年9月の新たな枠組みの導入時にも上昇しているが、1月と比べると半分ほどである。欧米では新政策が導入されたあとそれを巡る不確実性が高まるという特徴が見られるが、同様のことがわが国でも確認できる。
2016年のフォワードルッキングな不確実性やバックワードルッキングな不確実性の程度は2015年と比べて3倍近く高い。これは、2%の物価安定目標の実現に向け、日銀は試行錯誤して金融政策を運営してきたが、政策関連情報の送り手である日銀とその受け手である民間との間でコミュニケーションがうまくいっていなかったという見方を裏付ける有力な証拠である。
下の図では、総合指数(政策決定を巡る指数と政策効果を巡る指数を統合したもの、実線で表示)と特定のキーワードを含む記事数をもとに作られた指数(破線で表示)が描かれている。2つの指数は似通った動きを示している(相関係数は0.88)。しかし、仔細に見ると、2016年9月に両指数の間に大きな差がある。総合指数の上昇は大部分が政策決定を巡る指数の急激な上昇によりもたらされている。私たちが提案した方法を採ることで、既存のアプローチでは十分にとらえられていなかったフォワードルッキングな不確実性がしっかりとらえられるようになった。

国内外の中央銀行の政策決定や政策の経済効果を巡る不確実性全般の程度を定量化しているという性質上、既存の金融政策不確実性指数にみられる上昇が日銀の政策決定を巡る不透明感の強まりによるのか、日銀が打ち出した政策が経済へ及ぼす影響について不透明さが高まったことによるのかは不明だった。こうした指数は金融政策運営の現場において実用的な指標ではなかった。
それと対照的に、新しい指数から日銀の政策決定を巡る不透明感や政策の経済効果を巡る不透明さの度合いを個別に把握できる。リアルタイムに近い形でデータが提供されるようになれば、新しい指数は政策運営の現場で役に立つ可能性がある。また、この研究で私たちが提案した方法は財政や規制、貿易など他の政策分野にも適用できる。今後、さまざまな政策分野への適用が広まっていくことが期待される。