ノンテクニカルサマリー

パンデミック後の為替の変動要因-蘇る政府債務リスクと原油価格の影響

執筆者 増島 雄樹(デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社)/佐藤 優紀(ゲーテ大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

本論文では、急速な円安ドル高が進んだ為替市場の動向を念頭に、パンデミック後の政府債務リスクとエネルギー価格の高まりという2つの懸念が、為替レートの変動要因にどのような影響を与えたか、その傾向を検証した。その結果を踏まえて、日本銀行が実施したイールドカーブ・コントロール(YCC)政策の導入後に、中央銀行の金融緩和姿勢という資産運用経路を通じた為替レートへの影響だけでなく、「政府の財政規律の緩みへの懸念による政府債務リスクの高まりが通貨の信認を下げる」というリスク経路を通じて、円安につながる動きが見られたかを考察した。

2010年代は内外金利差と先行きの不確実性が円の対ドル為替レートを動かす主要因であった。2020年3月に始まった新型コロナウイルスの感染拡大が収束に向かいつつある局面で、私たちは金利上昇とエネルギー価格の上昇という2つの大きな変化を目の当たりにした。これらの変化は、財政と経常収支の持続可能性に脅威をもたらす可能性がある。特に、政府債務が大きい国や経常(貿易)赤字が大きい国、エネルギー純輸入国である場合はなおさらだ。では、為替レートを動かす3つの主要経路(金利変動を中心とした資産運用経路、貿易などの実体経済の動向に伴う貿易経路、先行きの不確実性に伴う安全資産へのシフトなどのリスク経路)には、パンデミック後、大きな変化があったのだろうか。

まず、資産運用経路を見てみよう。内外金利差(2年物日米国債金利差)は、パンデミック前より、1%ポイントの金利差の変動が為替に与える影響は弱くなったものの、4~5%前後で、安定的に為替に影響するようになった。一方、貿易経路を見ると原油価格が為替変動に与える影響は、ショックの種類(供給か需要か)によって、変わる可能性があることが見られた。つまり原油高が、貿易赤字の拡大(及び経常収支の赤字転落への懸念)から、単純に円安には繋がらないことが示された。リスク経路を概観すると、円の避難通貨としての地位が低下し、欧州通貨が債務リスクに対する感応度を高め、不確実性に対して脆弱になったことが分かった。

図1 クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)保証料率の推移
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図1 クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)保証料率の推移

政府債務リスクと為替の関係を見ると、2022年9月下旬の急激な英ポンド安は、財政赤字拡大の懸念と通貨安の関係を示す最近の好例である。トラス前英首相の就任後間もなく、大規模減税や規制緩和を組み合わせた経済政策が公表されると、2200億ポンドの政策に対する市場の判断は、迅速かつ壊滅的なものだった。英国のCDS保証料率が急上昇する一方で(図1)、英ポンドは1985年以来初めて対ドルで1.11ドルを割り込み、年初来の下落率は19%に達した。5年物英国債価格は連日で過去最大の下落率を記録した。つまり、長期金利の上昇下で英ポンドは下落した。

日本銀行が実施したイールドカーブ・コントロール(YCC)政策導入の為替へ影響はどうだろうか。導入後は、日本のクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)保証料率の水準及び変動幅は低下しているように見える(再掲図1)。本論文の対象期間である2022年末までの状況では、CDS保証料率が示唆する日本の相対的な政府債務リスクの上昇に対する円の感応度は、同政策の導入後、高まったことが観察された(図2)。すなわち、日本国債のCDSプレミアムが(米国債に対して相対的に)上昇する際に、より円安につながる影響が大きくなった。

図2 日本の政府債務リスクが対米国で上昇した際のドル円の変動
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図2 日本の政府債務リスクが対米国で上昇した際のドル円の変動

本論文の対象期間は2022年末であるが、本ノンテクニカルサマリーではサンプル期間を2024年3月末まで延長し、2023年4月の植田総裁就任後、段階的にYCCが柔軟化され、24年3月に廃止になるまでの、日米のCDS保証料率の差の変動が為替に与える影響の変化を追ってみた。植田氏が日銀総裁にノミネートされた23年2月以降、日本国債のCDS上昇による円安傾向は弱くなり、YCC廃止の公算が高くなるとともに為替への影響はゼロ近くとなった。

こうした結果は、取引参加者が限られるソブリンCDSの動きの影響は過大評価されるべきではないし、欧州各国のCDS保証料率が為替に与える影響に比べて、日本は小さいことに留意する必要がある。それでも、政策的含意として政府の財政政策スタンスが政府債務リスクの保証料率だけでなく為替レートの動きにも影響することは言えよう。日銀のYCCは直接的な政策的意図とは別にソブリン・リスクの一部を抑制する可能性がある一方、債務の持続可能性が疑わしくなったときには自国通貨を急速に下落させるリスクを秘めており、仮に同政策が長期化した場合には、円安加速のリスクが更に高まっていたかもしれない。

参考文献
  • 増島雄樹「パンデミック下の為替の変動要因を追う―不確実性からファンダメンタルズへの回帰―」国際経済73巻:pp125-153、2022
  • 増島雄樹「円相場と投資家行動:不確実性、資源高、政府債務拡大と株価との関係」証券アナリストジャーナル61(6):pp42-53、2023
  • 増島雄樹「長引く円安、介入なければ円高反転はまだ先に」 DTFA Times日本経済トラッキング—マスジマの目, 2023年9月8日(URL: https://faportal.deloitte.jp/times/articles/000840.html