ノンテクニカルサマリー

デジタル経済と人工知能の多国間ガバナンス

執筆者 Shiro ARMSTRONG(客員研究員)/Jacob TAYLOR(The Brookings Institution)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

デジタル経済が世界経済における価値創造の最大のけん引役となった今、世界は新たな段階に入ったと言える。デジタル経済はグローバルGDPの15%以上を占めており、これまでの10年間、非デジタル部門におけるグローバルGDPの2.5倍の速さで成長してきた。世界経済フォーラムは、今後10年間に創造される価値の70%がデジタル型プラットフォームのビジネスモデルに基づくであろうと推定している。物理的な財・サービスの取引の多くも、そうした物理的なフローから導き出されるデータ駆動型分析情報に依存するようになった。

データ、ソフトウェア、計算、そして人材からなるシステムは、生産性を大きく向上させ、経済厚生を高める新たな機会を創出することが見込まれる。しかし、デジタル経済は世界中の社会や政策立案者に新たな課題も突きつける。富裕国と貧困国の間、また、あらゆる国の社会的弱者との間には、極めて大きいデジタルデバイド(情報格差)が存在する。2023年、世界人口の三分の一にあたる26億人はいまだインターネットにつながっておらず、同集団の中では女性、先住民、農村部住民の割合が不釣り合いに高い。その一方、2023年は、生成AIモデルにおける革新の新たな波の到来を告げる年でもあった。新たな産業領域の「基盤モデル」を提供することにより、デジタル経済をさらに加速させることが見込まれている。

最先端のデジタル・AIシステムにより、医療や教育などの分野における労働生産性の改善、多様な社会における障害のある人々や社会福祉を支援するためのカスタマイズされた解決策の特定、地球規模の生物多様性監視やパンデミック対策システムなど、これまでは対処コストが高過ぎたり解決不能であったりした課題に社会が対処するための新たな機会が生み出される。

同時に、デジタル経済と生成AIの成長速度と規模は、個人のプライバシー、サイバーセキュリティ、知的財産権の保護などの領域で従来からのリスクを悪化させており、まったく新しいリスクも生み出している。ディープフェイクや偽情報の形で容易に検知可能なリスクもあれば、計算インフラストラクチャにおける単一障害点の脆弱性、アルゴリズムによるバイアスや差別、大規模計算システムが環境に与える影響など、特定することがより困難なリスクもある。最先端のデジタル・AI技術の利用拡大をある法域で減速させても、たとえそれが可能であったとしても、国境の重要性がより低いデジタル世界では、他の法域からのリスクを軽減することにならない。

地球規模で包摂的な、デジタル・AIガバナンスに関する多国間の取り決めは、すべてのアクターの間でインセンティブの調整を図り、共通規範を確立することにより、こうしたリスクの多くに対処することを可能にする。現在の分裂したグローバル環境において、多国間デジタル・AIガバナンスを策定することは容易ではない。気候変動、生物多様性の崩壊、紛争、不平等、債務など、相互に関連し、国境を越える様々な課題は、このような課題に対処することを目的とした国際機関の能力を凌駕している。

世界貿易機関の共同声明イニシアティブや、G20とG7グループにおける日本主導のコンセプト「信頼性のある自由なデータ流通」(DFFT)の進化など、デジタル経済と電子商取引に関するルール形成は複数国間の枠組みにおいて相当の進展を見てきたにもかかわらず、グローバルデジタル経済は現在も大きく分断されている。グローバルデジタル経済は、米国とその同盟国、中国、欧州連合という3つのブロックに集約・分断される危険がある。参加国やルールにおける大きな隔たりといったデジタルガバナンスのバルカン化は、地政学的対立をさらに助長し、経済ダイナミズムと財・サービスの貿易における相互依存関係に悪影響を及ぼす恐れがある。

この文脈において、既存の多国間ルール・合意形成プロセスへの関与を継続することは依然として重要であるが、関与するだけでは十分ではない。デジタル・AIシステムの恩恵をより均等に分配しつつ、そのリスクを共同管理することを可能にする、多国間ガバナンスのための新たなアプローチが必要である。

本稿では、デジタル経済とAIの多国間ガバナンスの新たなアプローチの3つのビルディングブロックを提示する。

第1に、本稿では、デジタル経済における価値創造の経済的ロジック、そして当該ロジックによって示唆される政策上のジレンマを分析する。データやソフトウェアは多数の人々が同時に利用することができるなど、デジタル経済活動の主要要素は公共財の特徴を有している。そのため、データ、ソフトウェア、人材の自由な流れに対する障壁は、国内および国家間の経済成長・発展にとって特に有害である。テクノロジー企業によるこうした構成要素の独占的囲い込み、国境や法域をまたぐデジタル貿易に対する障壁は、サプライチェーン、生産性、人々の暮らしに影響を与え、世界の技術的フロンティアに位置する国のものも含め、経済成長力を低下させる。データやソフトウェアの流れの自由化を図りつつ、ビジネス・イノベーションを奨励し、リスクに対する保護を提供する政策的解決策が求められている。

第2に、本稿では、デジタル・AIシステムにおける力の集中、保護主義、排除など、多国間ガバナンス推進に向けた取り組みを阻害する主たる経済的課題および政治的課題を特定する。政策立案者にとっての重要な課題の一つは、デジタル・AIシステムの経済的・社会的価値を役立てるための地球規模でより包摂的な方法を見つけ、それと同時に、個人のプライバシー、サイバーセキュリティ、市民社会による監視など、デジタル経済の重要な基盤を保護することである。

第3に、本稿では、「デジタル公共インフラ」(DPI)について、デジタル・AIのグローバルガバナンス推進への貢献力を評価する。DPIは、包摂的かつ相互運用可能な、公的に保証されたデジタル・エコシステムの整備を目指した、世界的に認知されつつある枠組みである。国内(また、潜在的には国家間)での包摂的かつ競争的なデジタル経済活動のための「公平な競争の場」を作ることで、今後、DPI(とりわけ、デジタルID、デジタル決済、デジタルデータ交換)の世界的普及が多国間デジタル・AIガバナンスに向けたより強固な基盤の構築に資する可能性がある。

表1 多国間ガバナンスと提案されている解決策における主な課題
主な課題 説明 DPIと解決に向けた協力
集中 デジタル資産に対する力の集中は、競争と、社会・環境への影響に対する説明責任を制限する。 公平性:DPIは、データ・計算インフラに対するテック企業インフラ・プラットフォームの支配力に対抗して力の均衡を図ることができる。
保護 国境内におけるデジタル資産の保護主義(現地化)は、デジタルとAIのグローバル成長力と分配を脅かす。 相互運用性:共通規格は、国境を越えるデータと技術のやり取りを保護し、セキュリティやプライバシーに関する潜在的リスクと潜在的利益との間のバランスを取ることを可能にする。
排除 世界の最も恵まれない人々は、デジタル・AIシステムの恩恵から一貫して排除されている。 包摂性:地球規模の協調政策による、全社会的なDPIは、データ格差を埋め、デジタル・AIシステムにおいて大きな主体性を促進する。

共通の指針を策定することは、新技術が生み出す機会と正の波及効果を高めながら、リスクと負の波及効果を国境を越えて管理することを可能にする。ASEANやAPECなどの多国間枠組みやRCEPなどの地域貿易協定においてDPIとAIを結び付けることにより、中国、インド、インドネシア、米国といった大国間における対話を、オーストラリア、日本、シンガポールといった影響力の高い中堅国家の支援を受けながら促すことができる。多国間枠組み原則を通じて連携および連結された、経験の共有と共通利害に基づく健全な国内規制を策定することにより、デジタル・AIガバナンスのグローバル政治経済における主要な課題に対処するための枠組みを構築することができる。