ノンテクニカルサマリー

独立企業間価格原則下における交渉による移転価格の決定

執筆者 大越 裕史(岡山大学)
研究プロジェクト グローバル経済が直面する政策課題の分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「グローバル経済が直面する政策課題の分析」プロジェクト

多国籍企業の世界的な租税回避行動が指摘されるようになって久しい。主要な租税回避の方法として、移転価格の操作があげられる。多国籍企業は国境を越えた同一企業内取引の中で使う取引価格を操作することによって、税率の低い国にグループ利益の多くが残るようにしており、高税率での納税を回避していると言われている。OECDの試算によると、多国籍企業の租税回避行動によって1000~2400億ドルもの税収が失われているとされており、国際課税における喫緊の課題として知られている。このような租税回避行動は“税源浸食と利益移転(BEPS)”と呼ばれ、OECDが主導するBEPS行動計画には140以上もの国や地域が協力して租税回避対策を実施している。

移転価格の水準の決定には、多国籍企業と税務当局が非公式の場における交渉によって定められることも少なくない。その際に、移転価格の適切な水準は非関連企業間との取引で用いられる(であろう)水準だとする“独立企業間価格の原則(ALP)”に基づいている。しかし現実には、非関連企業との取引が存在していないことも少なくないため、税務当局は類似の取引から推測するという方法に依存している。このような状況では、多国籍企業は自社独自の技術や製品を開発することによって、移転価格の交渉を有利に進めることで移転価格の操作をしやすくすることが考えられる。また、交渉において移転価格水準に合意が取れない場合は、裁判などの公式な場での移転価格紛争に発展する。この紛争の解決にかかる時間は長期に及ぶことも指摘されており、移転価格紛争解決にかかる費用が移転価格に与える影響も看過できない。

図1 独立企業間価格の原則と交渉力
図1 独立企業間価格の原則と交渉力

本論文は、簡単な理論モデルを構築し、移転価格紛争の長期化による紛争解決費用の増加が交渉によって決定される移転価格に与える影響について分析している。移転価格の決定には、(1) 非公式な場での多国籍企業と税務当局の交渉力の強さ、(2) 移転価格紛争の結果裁判などで決定される移転価格の期待値、そして(3) 多国籍企業及び税務当局が移転価格紛争になった時の費用の大きさが重要な役割を果たすことが明らかになった。(3) のメカニズムとしては、移転価格紛争になった場合、紛争に費やす時間や書類作成などの負担が生じるため、これらの負担が大きいほど多国籍企業や税務当局は非交渉の場における移転価格に合意しやすくなる。そのため、少し妥協をしてでも非交渉の場で移転価格の決定を好む傾向にあると考えられる。

図2 移転価格紛争費用と移転価格
図2 移転価格紛争費用と移転価格

上述の(1)~(3)の要因で決まる移転価格について、多国籍企業による交渉力が税務当局よりも弱いという想定の下、移転価格紛争費用の変化が移転価格にもたらす影響を示したものが図2の実線で示されている。移転価格紛争費用が一切かからない場合は、上述(3)のメカニズムは存在せず、(1)および(2)のメカニズムのみに影響を受ける。この分析の例では、多国籍企業と税務当局はそれぞれ多国籍企業の利益の20%分と10%分に相当する移転価格を裁判にもつれた場合に下されると期待している移転価格水準だと考えると想定しており、赤い破線の高さが示すように、多国籍企業の交渉力が税務当局よりも小さいため、交渉の結果20%よりも低い水準の移転価格で合意がなされる。ひとたび、移転価格紛争費用が生じると(3)のメカニズムによって、移転価格が変化する。移転価格紛争費用が小さいような場合は、紛争費用の増加によって、移転価格が低下する。この背景には、税務当局のほうが強い交渉力を持っているため、紛争費用増加によって生じる(3)の効果が税務当局に有利に働いたことが要因となっている。しかし、移転価格紛争費用が十分大きくなってくると、多国籍企業は非交渉の場での交渉力を高める重要性が増大するため、積極的に製品差別化への投資を行うようになる。赤い点線で示されるように、投資が増えて製品差別化が十分進みALPの適用が困難になることで、多国籍企業の交渉力が強くなることを通じて、移転価格紛争費用の増加が移転価格の増加をもたらすという結果につながっている。

以上の結果は、移転価格紛争が長期化することによって生じる紛争解決費用の増加は移転価格による租税回避を増長させうるということである。さらに、そのような莫大な紛争費用が生じるような状況では、税収の減少によって政府による公共財の供給が不十分な水準になり、厚生水準が悪化する傾向があることもわかった。多くの国では研究開発投資(R&D)を加速させるために、R&D補助金を導入しているが、そのような政策は多国籍企業の製品差別化を促すことでさらなる税収の減少を併発してしまうかもしれない。図3にあるように、補助金があるとき移転価格紛争の費用が十分大きい下では、税収減少への効果が大きくあらわれてしまい、補助金がないときよりも厚生水準が悪化してしまう。

図3 R&D補助金の厚生効果
図3 R&D補助金の厚生効果

以上の結果から、以下の政策的含意が得られる。まず、移転価格紛争にかかる費用が長期化することは、非公式な場における移転価格の交渉においても好ましくない影響をもたらすという点である。OECDが進めるBEPS行動計画14は、租税条約に関する紛争の早期解決に向けた相互協議手続きを実効的なものとすることを目指しており、このような取り組みによる紛争費用の減少が重要であることを示唆している。また、R&D補助金のようなR&D促進政策についても、租税回避との関連を考慮することが必要不可欠である。特に、既存研究が指摘するような移転価格規制の強さだけではなく、移転価格紛争になった時の長期化の観点からも、企業に対してR&D補助金を与えるかどうかについては慎重な議論が必要である。