ノンテクニカルサマリー

税政策の生産ネットワークを通じた波及効果の実証研究

執筆者 小泉 秀人(研究員(政策エコノミスト))
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

近年、サプライチェーンの大切さが再認識されていますが、サプライチェーンによる政策の波及効果を考えた政策立案も重要なのではないでしょうか。本研究は、1998年から実施されている中小企業投資促進税制に着目して、この重要性を実証しました。本研究の最も興味深い発見を先に述べますと、中小企業を対象とした政策でも、サプライチェーンを通じて最も恩恵を受けるのが実は大企業になる可能性があるということです。

中小企業投資促進税制は、企業が購入した設備の内容や金額に応じて節税効果を享受できる仕組みです。総合経済政策の一環として、この制度は中小企業の設備投資を促進し、生産性を向上させることを目的としています。

例えば、工場で使用する機械や設備、運送用の自動車など、高価でありながらも長期間使用可能な設備を企業が購入した場合、通常の会計処理では「減価償却」としてその費用を計上します。これらの機械は企業にとって資産であり、経年により価値が減少していきます。この考え方を会計処理に取り入れ、購入費用を購入年度の会計に一括計上するのではなく、機械の耐用年数などを考慮して費用を分割して計算するのが減価償却です。

中小企業投資促進税制では、「特別償却」により、購入年における減価償却として計上できる費用を購入額の30%まで追加できます。企業はこれによって課税対象となる所得額を抑え、その分の節税が期待できます。ただし、これは本来の減価償却額の前借りであるため、償却できる総額は変わりません。それでも、資金制約のある企業にとっては、設備投資で減る余剰資金が通常より初年度に増えるため、別の設備を購入したり設備以外の生産・販売機会拡大のために使用したり、株式など金融商品購入のための投資資金に回せたりというメリットが存在します。ちなみに、中小企業投資促進税制には特別償却だけでなく、税控除の選択肢もあり、いずれの場合でも節税効果によって設備投資が促進される仕組みとなっていますが、ほとんどの中小企業が特別償却を選択するようです。

さて、この政策はサプライチェーンを通じて、どのような波及効果が経済学的に期待できるでしょうか。例えば、設備投資を行った企業(設備投資企業)が生産量を増やすためにはより多くの原材料を仕入れる必要があります。これによって、設備投資企業に対してサプライヤーである企業(サプライヤー企業)にとっては需要が伸びたことになります。今までより急に多くものが売れると、商品が足りなくなるので価格が上がります。価格が上がると供給量が増える一方、需要も落ち着き、最終的には価格と生産量がある程度上がるところに帰着します。そうすると、サプライヤー企業の売上が上がるはずです。また、設備投資を行った企業が生産量を増加するということは、今よりも多く商品を売るために値段を下げる必要があります。設備投資企業の製品等を購入する企業(カスタマー企業)にとってはコスト減になるわけなので、カスタマー企業にも収益や売上にプラスの影響がある可能性が出てくるわけです。

この理論的仮説が実際データでどうなっているか、実証研究した結果が以下です。まず、この税制のメリットは上で説明しましたが、このメリットの度合いは、耐用年数が長い設備であればあるほど高くなるので、耐用年数が長い設備を購入する傾向がある産業ほど、この税制の恩恵を受けるはずです。この度合いの差を使って、トリートメント産業とそれ以外の産業にわけ、トリートメント産業に属する中小企業をトリートメント企業と定義します。トリートメント企業を中心として、サプライチェーンデータを構築し、波及効果はサプライチェーンの中で離れれば離れるほど減衰するという理論的予測を利用して、トリートメント企業と遠くにいる企業(コントロール企業)を比較、さらに、直接取引している企業とコントロール企業を比較しました。

直接効果としてトリートメント企業の売上は予想通りあがっていました。厳密な因果推論統計手法でもって検証した研究は、日本のデータでは今までになかったので、この発見自体も貢献ではありますが、最も興味深い発見として、サプライヤー企業には大きな正の間接的な売上増が発見されたにも関わらず、カスタマー企業にはそのような効果は少なくとも統計的に有意なレベルでは見受けられなかったのです。さらに、サプライヤー企業の売上増加率のほうが、(手法上統計的に有意な差かどうかまでは分からないものの)直接効果であるトリートメント企業の売上増加率よりも高く、これらサプライヤー企業に大企業が多かったことから、大企業が最も恩恵を受けた可能性があります。

なぜ、こういったことが起きたのでしょうか。まず、カスタマー企業に効果がなかった理由としては、中小企業の売り上げの伸びが、市場全体の伸びではなく、既存の市場におけるシェアの拡大にとどまったためのように見えます。この政策は、中小企業だけを優遇する一方、類似の商品を売る同一市場の中堅・大企業は補助しません。中小企業が中堅・大企業の潜在的な相手も含めた取引相手と取引し、シェアを奪うことで売上を伸ばしたとしたら、市場全体の生産量は大きくは伸びません。実際、本研究では、中小企業投資促進税制によってトリートメント企業がカスタマー企業数を増やしていることを発見しました。市場全体の生産量が大きく伸びなかったために、期待された下流への価格低下効果が十分ではなく、統計的に有意な効果が検証されなかったのだと思われます。

次に、サプライヤー企業が最も恩恵を受けたのはなぜでしょうか。今回の研究では、サプライヤー企業は中堅・大企業が多い特徴があります。これは、中堅・大企業が何百・何千もの小さな企業と取引する傾向にあるため、構造的に直接の取引相手になりやすいためです。これらの大企業は、所謂マーケットパワーなるものを持っています。平たく言えば、価格を自らに優位なレベルに設定する力です。例えば、GPUを提供するNVIDIA社を想像してください。そのような力の差が市場間・企業間である場合、独占企業のように、伸びた需要に対して「通常」よりも高い価格で自らの商品を売ることが出来ます。この場合、需要が伸びて急にものが今までより売れて商品が足りなくなって価格が上がる時に、通常よりも上げ幅が大きくなります。最近、生成AIブームでGPUが必要になり、価格が驚くほど上がっているのがいい例かもしれません。トリートメント企業が生産量を増やすためにより多くの原材料を買おうとする際、かなり高めの値段に設定することで、間接効果であるこれらサプライヤー企業の売上増加率が、政策の直接効果であるトリートメント企業の売上増加率を上回った要因と考えられるわけです。

これらのことを総合すると、中小企業などある特定の企業を対象とするような政策は、サプライチェーンを通じた波及効果を鑑みた上で、政策立案する必要があると言えるでしょう。例えば、景気刺激政策や税制などにおいて、大企業を避け中小企業だけを対象とした優遇政策を打とうとしても、その前提はそもそも成り立たない可能性があるわけです。シカゴ大のジョン・ベイツ・クラーク賞経済学者ケビン・マーフィーなどが価格理論の授業の導入部分で時間を割いて教えるように、ある特定の市場を狙った政策を打つ際は、その市場の代替・補完市場についても吟味しなければその政策の効果を予測するのは難しい。今回の研究では、ある特定の規模や業種等の企業を狙った政策を打とうとするならば、サプライチェーンを通じた波及効果も政策立案者は考慮する必要があることを示唆しています。