ノンテクニカルサマリー

予想を超えた円高、円安における為替パススルーの非対称性:日本の機械輸出の事例

執筆者 劉 楠(横浜国立大学)/佐藤 清隆 (横浜国立大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

本論文は、為替レートの変動局面で、日本の輸出企業がどのように価格設定行動を変えているのか、あるいは変えていないのかを実証的に分析したものである。

図1を見てみよう。この図から直ちに次のような仮説が思い浮かぶだろう。

【仮説1】(i)の円高局面と(ii)の円安局面で、輸出企業の価格設定行動は異なる。
【仮説2】同じ円安局面でも、(ii)と(iv)では、為替レートの水準が大きく異なるので、輸出企業の価格設定行動も異なる。

上記の仮説を検定するためには、輸出企業の価格設定行動、すなわち為替レートのパススルー率(以下、為替パススルー率)の推定を行うのが一般的である。為替パススルーとは、輸出企業が為替レートの変動分を輸出価格にどの程度反映させるか(輸入者にとって輸入価格がどの程度変動するか)を測る概念である。実際に、円高局面と円安局面に区別して為替パススルー率を推定した研究は多くある。しかし、過去の研究のほとんどは、仮説1を検定するために、円高局面(i)と円安局面(ii)を厳密に区別することができなかった。その理由は、過去の研究が「為替レートの前期比変化率がプラスかマイナスか」という情報に基づいて円高局面と円安局面を区別する手法を採用していたからである。

具体例を挙げよう。図1の(i)、すなわち2010年から2012年後半までの期間に、急速かつ大幅な円高が進行した。その間に為替レートが月次ベースで多少の上下変動を示してはいるが、この期間が歴史的な円高局面であったことを否定する人はいないであろう。しかし、上記の為替レートの変化率に基づく分析手法では、この円高期にわずかに円安方向に動いた時期(月)を「円安局面」と捉えてしまう。明らかな円高局面であっても、複数の時期(月)が円安局面とみなされてしまうため、円高局面(i)と円安局面(ii)を適切に区別して仮説1を検定することができない。また、為替レートの変化率だけを基準に考えると、図1の円安局面(ii)と円安局面(iv)を区別してかんがえることも難しい。以上は、為替レートの月次変化率に基づいて円高・円安の局面を区別することの限界を示している。

本論文は、為替レートの水準によって、円高水準、中立期、円安水準の3つの時期に区別する手法を用いた。すなわち、為替レートを円高から円安に水準値で並べなおし、円高の水準で上位40%の値(図1では縦軸の下から数えて40%の値である107.36)、円安の水準で上位40%の値(図1では縦軸の上から数えて40%の値である111.21)を特定し、107.36よりも下にある為替レートを「円高水準(Strong yen period)」、111.21よりも上にある為替レートを「円安水準(Weak yen period)」、107.36と111.21の間にある水準を「中立期(Neutral period)」と区別した。さらに、円高水準と円安水準のそれぞれにおいて、現実の為替レートが予想為替レートを超えて円高に進んだ場合を「予想を超えた円高局面」、現実の為替レートが予想為替レートを超えて円安に動いた場合を「予想を超えた円安局面」と定義した。こうした区別を行うことで、図1の(i)を円高水準における「予想を超えた円高局面」、(ii)を円高水準における「予想を超えた円安局面」と位置付けた。また、図1の(iv)は円安水準における「予想を超えた円安局面」と位置づけられる。このように、(i)、(ii)、(iv)などの為替変動局面を明確に区別し、輸出企業の価格設定行動が各局面でどのように異なるかを実証的に明らかにした。

図1:円の対ドル名目為替レートと予想為替レートの推移(2000年1月~2023年7月)
図1:円の対ドル名目為替レートと予想為替レートの推移(2000年1月~2023年7月)
注:“JPY/USD” は円の対ドル名目為替レートを、“Predicted EXR” は日本銀行が公表する円の対ドル予想(想定)為替レートを示す。青の四角で囲まれた部分は、円の対ドル名目為替レートの中位20%(上下40%を除いた範囲)、すなわち為替レートが107.36から111.21の間にあることを示す。
出所:IMF, International Financial Statistics, online; 日本銀行『短観』.

実証分析の結果、日本企業は円高水準(Strong yen period)において輸入国市場での販売価格を安定させる「Pricing-to-Market (PTM) 行動」を採用し、円安水準(Weak yen period)では為替変動をパススルーしている(PTM行動を行っていない)ことが明らかになった。また、円高水準での予想を超えた円高局面では日本の輸出企業がパススルー率を高めてPTM行動を抑制し、予想を超えた円安局面ではほぼ完全なPTM行動を採用していることを明らかにした。

注目すべきは、(ii)と(iv)が同じ(予想を超えた)円安局面であっても、円高水準か、それとも円安水準化によって価格設定行動が大きく異なる点である。円高水準での円安局面(ii)では、輸出企業は完全なPTM行動を選択し、予想を超えた円安進行による為替差益を享受した。他方で、円安水準での予想を超えた円安局面(iv)では、すでに大幅な円安水準にあるため、PTM行動によって為替差益を完全に享受するのではなく、為替パススルー率を高めて輸出価格そのものを低下させている。つまり、円安による為替差益で価格引き下げによる損失をカバーしながら、輸出先市場での価格競争力を高める戦略を採用していると解釈できる。

輸出企業の価格設定行動を厳密に分析するためには、為替レートの変動方向だけでなく、為替レートの水準も考慮して分析することの重要性を、本研究は示唆している。