ノンテクニカルサマリー

輸出経験と貿易建値通貨選択:日本の中堅・中小企業向けアンケート調査に基づく実証研究

執筆者 後藤 瑞貴(一橋大学)/早川 和伸(アジア経済研究所)/鯉渕 賢(中央大学)/吉見 太洋(中央大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

輸出入取引の決済に関わる重要な契約事項の一つとして、「インボイス通貨」がある。インボイス通貨とは輸出入取引の契約と決済に用いられる通貨のことを指す。インボイス通貨としてどの通貨を使うかによって、契約から決済までの間の為替リスクを輸出者と輸入者のどちらが負担するかが直接的に決まる。例えば、日本から米国への財の輸出において、米ドルがインボイス通貨として選ばれたとする。一般に契約と決済の間には数週間から3か月程度の時間がかかるとされているため、もしこの間に円高が進行すると、日本の輸出者が受け取る円建ての受け取り額は減ってしまうことになる。反対に、円安が進行すれば円建ての受け取り額は増える。いずれにせよ、為替の変化を予見するのは難しいため、この場合には日本の輸出者が為替リスクを負担することになる。対照的に、インボイス通貨が日本円であれば、米国の輸入者が為替リスクを負担することになる。

中堅・中小企業は、企業規模、金融機関における信用、人材の制約等によって、事実上為替リスク管理の方法が限られるため、インボイス通貨選択はより深刻な問題だと考えられる。こうした問題意識に基づき、我々は2019年末に日本の非上場の製造業に属する中堅・中小企業のうち、2010年代に輸出開始または輸出を継続したと想定される企業2,100社に対してアンケート調査を実施した。回答企業数は300社(回答率約14%)である。当該アンケート調査の結果は鯉渕ほか(2021)として公表した。また、Goto et al. (2021)では、当該アンケート調査時点のデータを用いてクロスセクションデータを作成し、流動性制約が企業の輸出インボイス通貨選択に与える影響を検証した。

本研究では、当該アンケート調査結果を用いて、企業の輸出経験(輸出開始時から現在までの年数)がインボイス通貨の変更可能性に与える影響を検証している。アンケート調査の重要な発見の一つとして、大企業に比べて中堅・中小企業における日本円の利用率が高いことが挙げられる。これは、中堅・中小企業は大企業に比べて、為替リスク管理の方法が事実上限られている場合が多いため、結果として外貨での取引を避ける(日本円で取り引きすることで為替リスクを回避する)誘因があるためと考えられる。しかしながら、中堅・中小企業の中にも輸出経験に大きなバラつきがある(図を参照)。輸出経験を通じて、企業は為替レートの動きや為替ヘッジ手段の利用に関する情報に触れる機会を持つであろう。こうした情報の蓄積を通じて為替変動の傾向を理解し、為替リスク管理に対する理解が深まれば、より海外の顧客に受け入れられやすい外貨での決済を取り入れていくことが可能になるかも知れない。本研究ではこうした仮説に基づき、輸出経験がインボイス通貨の変更に与える影響を分析している。本研究の分析から、輸出経験が長い企業ほど、インボイス通貨を日本円から外貨に変更する傾向が強いことが分かった。特に、アジア向けの輸出においてこの傾向は顕著で、アジア向けの輸出を円建てで開始し、十分な輸出経験を蓄積した後に外国通貨(主に国際通貨である米ドル)に主要なインボイス通貨を変更する傾向が見られた。また、輸出開始時から現在にかけて、輸出をしない年があった企業についてもこうした経験効果が働いていることも分かった。

本研究の結果は、企業の輸出ダイナミクスの理解に新たな視点を与えるものである。企業の輸出ダイナミクスの文脈では、企業が時間を通じて輸出行動をどのように変化させるか、過去の輸出行動が現在や将来の輸出行動にどういった影響を与えるかといった点が重要視される。例えば、Albornoz et al. (2012)は、企業が輸出開始時に少額の輸出を行うことで、輸出先における需要の有無を確認し(輸出先における需要の不確実性を解消し)、その後輸出額を増大させるプロセスを明らかにしている。本研究の分析結果は、輸出先における需要のような実物的ファクターだけではなく、為替のような金融的ファクターに関しても輸出経験による経験効果が働く可能性を示唆している。したがって、政策的示唆という観点から、中堅・中小企業の新規輸出を支援するプログラム等は、その後の輸出拡大に寄与すると同時に、インボイス通貨選択の選択肢を広げるというポジティブな効果を持つ可能性が示唆される。

図:企業の輸出経験年数の分布
図:企業の輸出経験年数の分布
引用文献
  • Albornoz, Facundo, Héctor F. Calvo Pardo, Gregory Corcos and Emanuel Ornelas (2012) “Sequential exporting,” Journal of International Economics, 88(1): 17–31.
  • Goto, Mizuki, Kazunobu Hayakawa, Satoshi Koibuchi and Taiyo Yoshimi (2021) “Invoice currency choice under financial constraints and bargaining: Evidence from Japanese SMEs,” RIETI Discussion Paper, 21-E-080.
  • 鯉渕賢・後藤瑞貴・早川和伸・吉見太洋(2021)「中堅・中小企業の決済通貨選択―2019年度実施アンケート調査結果概要―」,『経済論纂』,第62巻,第 1・2・3合併号,43–64ページ,9月,中央大学経済学研究会.