ノンテクニカルサマリー

進化ゲーム理論的合理性、相対的剥奪拒否、社会的知性、取引役割機会の不平等、社会的差別—最後通牒ゲームの思考実験を通じてミクロな行動とマクロな社会・経済の関係を導く

執筆者 山口 一男(客員研究員)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

本稿はミクロな行動理論に基づきマクロな社会・経済理論を導く理論構築方法として、進化ゲーム理論の可能性を最後通牒ゲームに基づく数理モデルとシミュレーションを用いて追求している。一般にゲーム理論は、新古典派経済学と同様、各自は効用を最大化する選択を行うと仮定するが、進化ゲーム理論は、人々は「戦略」(strategy)と呼ばれる多様だがそれぞれ規則的な行動パターンを持ち、その多様な戦略を持つ人々が交わる時、どのような戦略を持つ者が相対的に他の戦略より有利となり、その意味で合理的であるかを問題にする。

進化ゲーム理論に基づくマクロ社会理論の代表としては主に二つの理論があり、その一つは経済学者のロバート・フランクによる相対的地位理論である。絶対的利得でなく「同等であるべき他者」にくらべ相対的利得の高さを求めることが進化ゲーム理論的に合理的であることを論じる理論であり、本稿の結果と共通する部分が多い。もう一つは社会心理学者の山岸俊男の理論であり、「囚人のジレンマ」問題をマクロ社会的に解決する手段として、「内部者」との長期的取引を優先する「安心社会」と「外部者」との信頼関係の確立を達成しようとする「信頼社会」があり、日本は前者の典型であるが、経済のグローバル化の中での機会費用が大きいため、現代では後者が有利であること。また「信頼社会」の実現には自分と異なる他者の「戦略」を認知できる「社会的知性」に基づく「情報に基づく信頼」の発達が重要であることを指摘した。本稿の理論は山岸の「社会的知性」の知見を数理的に形式化して新たな理論構築をすることを目的の一つとしている。

最後通牒ゲームは「提案者」と「応答者」の役割が分かれる非協力ゲームで、例えば20ドルなど一定の金額について提案者が自分の分け前xを提示し、それを応答者が受け入れれば応答者は1-xを得、拒否すれば双方の利得がともに0となるゲームである。この場合「応答者」が合理的であれば1ドルでも0よりはましなので、提案者が大部分を取る提案をしても、応答者はそれを拒否しないことが予測されるが、実験では自分の分け前が30%程度など一定の「閾値」以下になると拒否する者が多いことが知られている。最後通牒ゲームの実社会のイメージは商品市場における販売者や労働市場における雇用主のように、交換取引の「価格設定者」が提案者、商品市場における購買者や労働市場における労働者のように、交換取引における「価格受容者」が応答者となる。また異なる「閾値」は異なる交換率(物々交換率や市場における賃金や商品の価格)を意味し、応答者が提案者の提案を「拒否」する行為は、提案された賃金が低すぎたり、商品価格が高すぎるため、交換取引を行わないことを意味する。また利得0は交換不成立や、交換における剰余価値の自分の取り分が0であることを意味する。

本稿では、まず最後通牒ゲームにおいて一定の「閾値」以下の分け前を拒否する選択は、進化ゲーム理論的には、新古典派経済学的な合理的選択よりも平均利得が大きくより優れるという仮説を数理的に証明しているが、同時に新古典派経済学的に合理的行動が進化ゲーム的には合理的でない理由として以下の2点にあることを明らかにしている。

(1)社会的知性がない者が多い社会では、提案者役割において合理的行為者は応答者が自分と同じタイプの戦略を持つとみなし、大部分の分け前を自分が取り、微小な分け前を応答者に与えても拒否しないと考えるが、この仮定は合理的応答者以外には成り立たず、一定の閾値以下の提案は拒否する応答者はみな拒否するので、合理的提案者は最も提案拒否にあいやすく、この点で異質な他者との取引費用が最も高い。

(2)社会的知性を持つ者が増大した社会では、合理的行為者は応答者役割において社会的知性を身につけた提案者からは、自分がどんな微小な利得であっても拒否せず、不公平な分配の提案でも甘んじて受けるタイプの人間と知られることでいわば「足元を見られ」てしまうため、分け前の大部分を提案者に取られ、合意に基づく利得が大きく減少しやすい。

また本稿は社会的知性の活用には以下の3種があり、それぞれの活用がもたらす社会的影響を分析している。(A)提案者が応答者の戦略を知ることで、個々の応答者に対し拒否されない提案の中で最も提案者利得が大きい提案をできること。(B)応答者が提案者の戦略を知ることで、応答者の分け前の比較的大きい、その意味で自分にとって相対的剥奪の小さい提案者を選別し、そのような提案者との取引を希求できること。(C)提案者が応答者の戦略を知ることで、提案者の分け前の比較的大きい、その意味で応答者への相対的剥奪の大きい応答者を選別し、そのような応答者との取引を希求できること。なお、ここで相対的剥奪とは、平等な分配に比べ、応答者の分け前が相対的に小さくなることを意味する。

またこれらの社会的知性の活用の社会的影響について、シミュレーションを通じて以下のことを明らかにした。

(1)提案者の社会的知性の獲得による提案内容の改善は、提案者と応答者の合意率を高めるため、全体の平均利得を増加させ、その意味で社会をより豊かにすること。

(2)応答者による提案者の選別的取引は、提案者と応答者の合意率を変えないまま応答者にとってより相対的剥奪の小さい取引を増やすため、提案者と応答者を合わせた全体の平均利得を変えないまま提案者と応答者の利得格差を減少させ、より平等な社会を生むこと。

(3)提案者による応答者の選別的取引は、提案者と応答者の合意率を下げ、応答者だけでなく提案者の平均利得も下げるという不経済を生むこと。これは社会的知性のある提案者が閾値の小さい応答者と取引を結ぶと、社会的知性のない提案者は閾値の大きい応答者とマッチされ、それらの取引は合意に達することが少いため合意達成率が下がり、また後者の提案者の利得の減少が、前者の提案者の利得の増加を上回るため、提案者の平均利得が下がることによる。つまり、社会的知性を獲得した提案者による応答者の選別を通じた取引差別は、平均的には応答者のみならず提案者も貧しくする大きな外部不経済を生む。

本稿は更に上記の(3)のインプリケーションについて、企業が人的資本投資を軽視して、人件費カットできる雇用者を求めると、どのような外部不経済が労働市場に起こったかについて実例を3つあげ議論している。ひとつはエドナ・ボナシッチによる研究で、南カリフォルニアにおけるメキシコなどからの移民者流入が既存の黒人労働者の安定的労働と賃金を破壊し、人的資本の不活用を生んだ事例である。二つ目はタマラ・ハレーベンによる、1900-1930年における、ニューハンプシャー州、マンチェスター市におけるアモスケッグ製造会社の興亡史で、コミュニ―ティーに根差し、厚い厚生福利と質の高い労働と製品で成功した同社が、迫りくる不況のなかで、人件費カット政策に転換した結果、一方で労働者のストライキや製品の質の劣化、他方で熟練労働者の失業など、会社内外に不経済をもたらし倒産に至った事例である。3番目は日本における1990年代以降の雇用の非正規化を通じた労働市場の変換がもたらした、日本の労働者の生産性の劣化と人材の不活用である。また、中村二朗等の日本における外国人労働者に対する実証研究をふまえながら、今後日本が少子化の中で、低い人件費の外国人単純労働者受け入れ拡大する場合に予測される外部不経済についても議論している。