ノンテクニカルサマリー

先払い貿易契約と取引規模:流動性制約下の輸入企業

執筆者 吉田 裕司(滋賀大学)/Kemal TÜRKCAN(Akdeniz University)/吉見 太洋(中央大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

近年の国際経済学では、企業単位や取引単位のマイクロなデータを用いる計量分析が重要視されている。先駆けとなったのは、A. B. BernardとJ. B. Jensenが米国工場単位の生産性と輸出に関する1990年代後半からの一連の実証研究と、M. Melitzが企業の生産性の違いを明示的にモデル化したことが大きい。この傾向は、国際貿易の実証研究だけにとどまらず、国際金融分野における為替レートが価格に与える影響を分析する「為替レートパススルー」の分野でも重要視されている。その中には、貿易契約の詳細に踏み込む研究がある。一つは、契約通貨(invoice currency)である。貿易契約を締結する際に、輸出企業の国の通貨で契約するのか(PCP, producer currency pricing)、輸入企業の国の通貨で契約するのか(LCP, local currency pricing)、またはドルやユーロのような主要な第三国通貨で契約するのか(VCP, vehicle currency pricing)を分析する研究である。この契約通貨の決定に重要なファクターは、誰がどの程度の為替変動リスクを負担するのかということになる。輸出企業のリスク負担の観点からは、PCPであれば為替変動リスクはゼロである。

図
(注)論文内のFigure 1を翻訳かつ修正した。εは為替レート、PUSは米ドル建て輸出価格、Xは取引数量。添え字は、第0期もしくは第1期を示す。但し、輸出価格と取引数量は契約時(第0期)に固定されている。

トルコ輸出企業の取引データを分析する本研究では、貿易契約の別の側面に焦点を当てている。支払い契約(前払い、信用状、後払い、等)である(パネルB参照)。輸出業者のリスクの観点からは、貿易契約には「代金受取リスク」と「為替変動リスク」が付随する(パネルA参照)。後払い(open account)では、輸出出荷後に輸入業者が支払いを行うために、代金を受け取れない可能性がある。また、今回の600万件を超えるデータからは約8割がドル建て並びにユーロ建てで契約が行われていることを示すため、契約から支払いまでのラグによる為替変動リスクの顕在化も大きい。一方、前払い(CIA, cash-in-advance)においては、輸出出荷前に輸入業者が支払いを行うために代金受取リスクが解消され、さらに契約と代金受取のラグ期間が短縮されるために為替変動リスクも小さくなる。輸出企業にとっては、明らかに前払いの支払い契約が望ましいのである。しかし、トルコ輸出企業が前払い支払契約を締結しているのは、600万件超の取引全体の19%にも満たない。

我々は、以下の仮説を検証した。(仮説1)トルコ輸出企業の生産性が高いほど前払い契約を締結する傾向が強い。(仮説2)しかし、取引金額が大きい場合には、流動性の制約がある輸入企業と取引するために、前払い契約を避ける傾向がある(パネルC参照)。

先払い契約を締結しているか否かを被説明変数としたプロビット分析の結果、仮説2は頑健的に成立することが示された。これは、リスク管理の観点からは不利になる後払い契約をオファーすることで、流動性の制約がある輸入業者との取引を成立させることとなり、輸出業者にとっては利潤最大化行動と矛盾するものではない。一方、仮説1に関しては、若干の修正が加えられた結果が支持された。それは、以下のようになる。トルコ輸出企業の生産性が低中位(すなわち、中小企業)である場合には、生産性の向上にともない輸出企業に有利な前払い契約を締結しやすくなる。しかし、生産性が高い(すなわち、大企業)場合には、生産性の上昇が必ずしも前払い契約を締結することにはつながらない。

この結果に関しては、我々は次のように考えている。まず、生産性が低中位のトルコ輸出企業にとっては、生産性の上昇が交渉力を強めて、輸出企業にとって有利な先払いを締結しやすくなる。これは仮説1がそのまま当てはまっている。一方、生産性が高いトルコ輸出企業は、高い流動性を有し、かつ安定した経営基盤を背景として、後払い契約をオファーすることでより多くの取引を成立させることが出来る。これは仮説2の行動原理と近いものである。また、たとえ少数の輸入業者が未払いに陥るとしても、事前には大数の法則として考えて、利潤最大化行動と矛盾するものでもない。本研究は、輸出企業の「リスク管理」と「取引拡大」の絶妙なバランス感覚を、600万件を超えるビッグデータから垣間見ることに成功したものである。

(補足)本研究は、「トルコ貿易取引データ」研究プロジェクトの最初の研究論文である。トルコ統計局内の端末からのみアクセスが許可されているために、2019年に本プロジェクト研究メンバーの吉田と吉見がトルコに入国してデータ分析を開始した。その矢先に、新型コロナ感染拡大となり、二年間近く研究の進展が停滞する状態となった。しかし、国際的な移動が通常時に戻りつつある今、さらにこの研究を推し進めて輸出企業のリスク管理と貿易契約の決定要因を明確にすることで、国際貿易の推進政策に役立つ提案をしていきたい。