ノンテクニカルサマリー

人員削減と人的資本の蓄積-事業所レベルデータを用いた分析

執筆者 奥平 寛子(同志社大学)/滝澤 美帆(学習院大学)/山ノ内 健太(香川大学)
研究プロジェクト 企業成長のエンジン:因果推論による検討
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備考

初版:2022年3月
改訂版:2025年11月

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「企業成長のエンジン:因果推論による検討」プロジェクト

人員削減(ダウンサイジング)は、企業が業績悪化や構造変化に直面した際に、内部資源を再配置し、生産性を高めるための経営判断の一つである。しかし、どの労働者層を削減対象とすべきか、またそれが企業の回復やイノベーション創出に結びつくのかについては、理論的議論は存在するものの、実証的検証は行われてこなかった。本研究は、企業が蓄積した「企業特殊的人的資本(firm-specific human capital)」の観点から、人員削減が企業にどのような影響をもたらすのかを、日本の製造業データを用いて検証した。

本研究では、東京商工リサーチより提供を受けた早期・希望退職実施にかかわる適時開示データをもとに、2008〜2010年の間に早期・希望退職の実施を発表した上場企業の事業所と、産業や地域ごとの景気トレンドが同様の対照事業所とを比較した。厚生労働省「賃金構造基本統計調査」および経済産業省「工業統計調査」と、早期・希望退職実施データを接続し、従業員の勤続年数および年齢分布・生産性・製品イノベーションの動向を追跡した。推定には、近年注目される「staggered Differences-in-Difference(処置タイミングの異なる差分の差)」手法を用い、時期の異なる処置を厳密に識別した。

分析の結果、人員削減を発表した事業所では、発表後に雇用水準が平均約8〜10%減少しており、この効果は4年以上持続していた。一方で、勤続年数分布への影響は限定的であった。人的資本理論の観点からは、企業内特殊スキルへの投資を始めて間もない勤続年数の短い労働者や投資の成果を回収し終えた勤続年数の長い労働者を削減し、勤続年数分布の中堅層を雇用し続けることが合理的な企業判断と予測される(Lazear & Freeman, 1997; Lazear & Gibbs, 2014)。一方、本研究のデータ分析によると、そうした勤続年数への影響は弱く、むしろ年齢構成の変化が顕著に観察された(図参照)。

図:差分の差の推定結果
図:差分の差の推定結果
注1)数値横の*(アスタリスク)は統計的有意性を示す(* p<0.1, ** p<0.05, *** p<0.01)。
注2)各グラフは、早期・希望退職発表により各変数が何%変化するかを示す。エラーバーは95 %信頼区間を表す。すべての推定モデルには、事業所固定効果、イベント特有の時点ダミー、業種別および地域別の線形成長トレンドが含まれている。モデルは2008〜2010年のイベントごとに構築したデータ(N=109,643)を用いて推定した。

具体的には、発表後、35歳未満の従業員割合が約3.9パーセントポイント低下し、35〜54歳の中年層の比率は約4.2パーセントポイント上昇した。追加分析より、新卒採用の抑制だけでこうした年齢分布の変化を説明することはできず、若年層の自発的離職(voluntary separation)が主因である可能性が高いことも明らかになった。この結果は、企業による早期・希望退職募集の発表が、若年層にとって「長期的なスキル投資リターンの不確実性」を示すシグナルとして作用し、離職を誘発することを意味する。なお、若年層の流出は将来のイノベーション基盤を損なうリスクを伴うが、短期的には生産性や製品イノベーション指標に有意な悪化は見られなかった。

総じて、本研究は、人員削減が企業の人的資本構造の高齢化をもたらす一方で、短期的には生産性・イノベーションへの明確な負の影響は確認されないことを示した。ただし、若年層の自発的離職によるスキル蓄積の停滞が長期的にどのような影響を及ぼすかは、今後の検討課題である。企業にとっては、危機対応としての人員削減と並行して、平時からのリスキリングや内部人材育成を通じ、人的資本形成の持続性を確保することが重要である。

参考文献
  • Lazear, Edward and Michael Gibbs, Personal economics in practice, third edition ed., Wiley, 2014.
  • Lazear, Edward and Richard Freeman, Relational Investing: The Worker’s Perspective (In Meaningful Relationships: Institutional Investors, Relational Investing and the Future of Corporate Governance),Oxford University Press, 1997.