ノンテクニカルサマリー

垂直的に共創し、水平的に制限する:中国スマートフォン半導体市場におけるクアルコム社の販売契約の競争抑制性の分析 2011-2014

執筆者 渡邉 真理子 (学習院大学)
研究プロジェクト デジタル経済における企業のグローバル行動に関する実証分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「デジタル経済における企業のグローバル行動に関する実証分析」プロジェクト

オバマ政権期に始まり、トランプ政権期に激化した米中の緊張は、バイデン政権に交代したこれからもおそらくは容易に収束しない。現在の米中経済摩擦は、貿易紛争の域を超えている。イノベーションの主導権をめぐる争い、体制の違いからくる摩擦、安全保障にまでおよぶ覇権をめぐる争いといった要素が混ざり合って進行している。このとき、①米中企業のイノベーション力の差はあるのか。さらには、②政府の企業活動への制限は公正なものだったのか。この問いに、実証的にアプローチすることを本稿は試みた。

対象としたのは、2011年から2014年の中国のスマートフォン用半導体市場である。これは、移動体通信規格が第三世代から携帯端末からインターネットへの接続が可能になる第四世代に移る時期である。2015年、中国の競争法当局は、この市場で米クアルコム社に対しその取引契約を独占力の濫用と判断し、課徴金975百万ドルを課し、クアルコム社はライセンス料の35%引き下げを含む契約条件の変更などの是正措置をとった。

複数の規格が併存し競争していた第三世代、第四世代の通信規格において、クアルコム社は有力な通信規格の特許保有者であった。CDMA2000という規格の特許はクアルコム社が占有し、WCDMAについてはクアルコム社を含む複数社の特許の集合となっていた。同業他社がその規格の半導体を製造するにあたって、ライセンス料を請求することができた。つまり、クアルコム社はこのライセンス料をどの水準に設定するかによって、当該通信規格を利用する同業他社の単位当たりのコストを押し上げることができたのである。この結果クアルコム社自身が販売する半導体に比べて、他社の半導体の単位当たりの生産費用は高くなり価格競争力を失う可能性があった。

これについて、中国の競争法当局は、クアルコム社が「ライバルのコストを引き上げ」競争を阻害する行為が存在していたと判断した。この判断は、当時の市場の状況からみて公正なものであったのか。自国産業の育成、保護のための不公平な決定だったのではないか、という疑いの声もあった。

図1 スマートフォンの単位当たりの生産費用:クアルコム社チップ機と非クアルコム社チップ機
図1 スマートフォンの単位当たりの生産費用:クアルコム社チップ機と非クアルコム社チップ機

本稿は、スマートフォンの需要関数をまず推定し、スマートフォンの1台あたりの費用、さらに半導体チップへの派生需要関数と半導体チップ一枚あたりの費用を推定した。

主な発見は以下のとおりである。(1)クアルコム社が通信規格特許を占有していたCDMA2000のスマートフォンにおいては、高いライセンス料が競争を阻害していた可能性がある。図1は、推計したスマートフォン1台当たりの費用の分布を、通信規格別に、クアルコム社のチップを使ったものと非クアルコム社のチップを使ったものを比較した。CDMA2000では、クアルコム社のチップを利用したもののコストが有意に低く、販売数量も大きい。しかし、クアルコム社と他社が特許の集合であったWCDMAでは、コストの分布に大きな差がない。つまり、CDMA2000では、クアルコム社の特許料の高さが費用と価格の差を生み、同業他社の価格競争力を削いでいた可能性がある。なお、中国独自規格のTDSCDMA搭載機は、非クアルコム社チップの大きな市場になっていた。

(2)クアルコム社のチップを利用したスマートフォンは、消費者の支払い最大価額(Willingness to Pay: WTP)の高い高級機ではなく、WTPがやや低いボリュームゾーンに投入されていた。これは、消費者が価格に敏感であるゾーンである。このため、ライセンス料の引き下げによりコストおよび価格が低下することで、中国の消費者が受ける恩恵は大きかったと考えられる。図2は、利用するチップの型番別に、それを用いた端末への消費者の評価であるWTP(▲)、端末価格(◆)、端末費用(●)、チップ価格(オレンジの〇)、チップコスト(グレーの〇、それぞれ平均値)を並べたものである。スマートフォンの生み出す価値を、消費者、端末メーカー、チップメーカーでどう配分したかを示している。たとえば中国系H社は、自社で設計した半導体は、最もWTPの高いフラッグシップ機に搭載し(図2、No.5左)、クアルコム社からのチップは、WTPがやや劣るミドルクラス端末に搭載されていた(図2、No15右)。

一方で、(3)クアルコム社の直接の顧客である端末製造企業にとっては、クアルコム社との取引を通じた多様なスマートフォン製品の開発が可能になっていた。クアルコム社との取引を通じて、技術力に劣る端末メーカーも新製品の開発が可能になり、中国市場での端末の種類は増加し、端末価格は低下し、1台当たりのライセンス料も低下していた。クアルコム社との取引によって中国のスマートフォン市場が拡大し、消費者と端末メーカーはすでに恩恵を受けていた。そしてクアルコム社のライセンス料引き下げは、利用端末の需要野価格弾力性が高いゾーンであるため、さらに端末価格の低下と販売量の拡大を誘引し、消費者の恩恵は大きくなったと推論できる。そして、クアルコム社の収入も拡大した可能性が高い。

クアルコム社は独占力の濫用があり、競争法当局の介入により消費者と端末メーカーは恩恵を受けた。一方、自社で半導体を開発しクアルコム社と競合する企業も、米中の半導体を使い分けていた。米中の技術は共存しており、いわゆるデカップリングは、中国側だけでなく米国側にも痛みをもたらすだろう。

図2 H社(No.212)の半導体型番別のCDMA2000スマートフォンの価値分配
自社(No.5、左)、M社(No.10、中)、クアルコム社(No15、右)
図2 H社(No.212)の半導体型番別のCDMA2000スマートフォンの価値分配