ノンテクニカルサマリー

ドル、円、それとも人民元? 日本企業の海外現地法人の貿易建値通貨選択に関する調査結果に基づいた分析

執筆者 伊藤 隆敏 (コロンビア大学・公共政策大学院大学)/鯉渕 賢 (中央大学)/佐藤 清隆 (横浜国立大学)/清水 順子 (学習院大学)/吉見 太洋 (中央大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

1971 年にブレトンウッズ体制が崩壊して以来、日本の輸出企業は為替レートの変動、特に円高に直面し、さまざまな為替リスクをヘッジする防衛策を講じてきた。もし円建て取引が可能であれば、貿易相手に為替リスクを転嫁することが可能だが、米国向け輸出が多かった日本企業にとって米ドル建ての選択は不可避であり、為替の先物予約の利用や海外に生産ネットワークを構築することで為替リスクを管理してきた。現在でも先進国間で貿易建値通貨選択の比較をすると、日本は米国や欧州のような自国通貨建てメインではなく、相変わらず米ドル建て比率が高く、それはアジアにおける貿易取引において顕著である。その理由は、アジア通貨対円の取引コストが高いことに加えて、アジアに拡大した生産ネットワークにおいて企業内貿易シェアが高く、為替リスク管理の観点から米ドルに統一する方が効率的だからという、日本の製造業の特徴が大きく影響していることが、これまでの研究でも明らかにされてきた。

日本企業の海外生産へのシフトは、2008年の世界金融危機後の記録的な円高時代にさらに加速し、「海外企業活動基本統計調査2018」(経済産業省)によると、製造業企業の海外生産比率(日本企業全体ベース)は2017年に過去最高の25.4%を記録し、ピークを迎えた。日本企業の海外進出比率を地域別に見ると、アジアが67.4%と最も高くなっており(2018年)、アジア所在の海外現地法人がどの通貨を使って貿易取引を行うかという選択は、今後もアジアにおける米ドル基軸が続くのかどうかを占う上で重要なポイントとなる。2018年に行われた海外現地法人対象のアンケート調査では、海外現地法人のアジア現地通貨利用は増加し、従来メインで使われていた米ドル建て取引は若干減少傾向にあることが観察された。特に、人民元、およびその他のアジア現地通貨は日本の本社企業との企業内貿易において顕著に増加していることが示された。この変化はどのような背景からもたらされたものなのだろうか。

この原因を探るため、本研究では2018年度(2019年1月~2月)に実施されたRIETI「日本の海外現地法人に対する貿易建値通貨選択と為替リスク管理に関するアンケート調査」(注1)結果を用いて、アジア各国の海外子会社の事例をピックアップし、貿易建値通貨のシェアと貿易建値通貨の選択に影響を与えるさまざまな要因について実証分析を行った。アジア11カ国のサンプル (インド、インドネシア、韓国、シンガポール、タイ、台湾、中国、フィリピン、ベトナム、香港、マレーシア)における海外現地法人の輸入・輸出における米ドル建てシェア・円建てシェア・現地通貨建てシェアを被説明変数とし、説明変数にはそれぞれの企業情報に加え、アンケート調査から得られた為替リスク管理に関わる情報を用いて実証分析を行った。

主な結果としては、以下の四点があげられる。第一に、売上高規模の大きい子会社では米ドル建てを選択する傾向があるのに対して、売上高規模の小さい子会社では円や現地通貨建てを選択する傾向がある。第二に、海外現地法人が販売子会社の場合に現地通貨建て取引が多い。第三に、海外現地法人の貿易建値通貨の決定において、輸出入双方で取引通貨を統一して為替リスクを相殺するという、ナチュラルヘッジのインセンティブが有意に働いている。さらに、この第三の特徴は、米ドル建てのみならず、円建て、現地通貨建てを貿易建値通貨として選択している場合にも共通していることが確認された。第四に、現地通貨建て取引を行っている企業は、現地通貨での借入がある、現地における中間財などの調達比率が高い、現地企業との合弁事業を行っている、現地通貨建てで利益の最大化を図るなどの特徴があり、これらの条件が現地通貨建て利用を促進する要因となっていることが明らかにされた。

表1. 複数の貿易取引においてアジア現地通貨を用いている海外現地法人数
表1. 複数の貿易取引においてアジア現地通貨を用いている海外現地法人数
注:全ての数字はRIETIが2018年度に実施した海外現地法人対象の「貿易建値通貨選択と為替リスク管理に関するアンケート調査結果」からまとめたものである。このアンケート調査では、海外現地法人が輸出、輸入、現地販売、現地調達のそれぞれの取引での建値通貨について回答している。 韓国、フィリピン、ベトナムは該当するサンプルが0だった。

表1は、複数の貿易取引に関する貿易建値通貨選択の状況を、国別に示したものである。これによると、アジア現地法人の中でも特に中国において、ほぼすべての取引をRMBで統一して為替リスク管理をする、という海外現地法人が23社あり、複数の貿易取引において貿易建値通貨シェアを回答した海外現地法人数に対する割合が21.5%と、アジアの中で最も高い。また、タイでは、複数の貿易取引において現地通貨建てシェアが50%以上であると回答した企業が23社あり、その割合は43.4%となっている。このことは、従来は米ドル建てで貿易建値通貨を統一して為替リスク管理を行ってきたアジアの国々で、現地通貨建てを利用した為替リスク管理が進んでいることを示唆するものであり、大変興味深い。これは、既に述べたナチュラルヘッジによる為替リスク管理が、現地通貨建てでも行われているという事実を反映したものと解釈することができる。

米ドルは、アジアにおける海外現地法人で貿易建値通貨として広く使われており、米国がアジア生産拠点の最終仕向け地であり続ける限り、米ドル利用は続くだろう。ただし、米中貿易戦争による中国から米国向け輸出の減少が続き、一方で中国が日本企業の最大の最終消費地となれば、今後アジアでの米ドル利用の減少とRMB利用の拡大を招く可能性がある。アジアにおける生産拠点がさらに拡大し、現地販売拠点の増加、現地法人が現地企業との合弁事業化、現地調達比率の上昇、現地通貨借入などが活発になるほど現地通貨建て取引は増えることが確認された。アジアのサプライチェーンの深化やアジア債券市場の拡大が、今後のアジア現地通貨利用拡大には不可欠となるだろう。

脚注
  1. ^ アンケートは、東洋経済新報社『海外進出企業データベース(2018年版)』に記載のある日系海外現地法人のうち、製造業の現地法人、製造業関連卸売、製造業関連統括会社を抽出し、日本企業の海外現地法人21,801社に送付し、2,051社から回答を得た(回収率9.4%)。