ノンテクニカルサマリー

感染症拡大下の観光需要喚起策に関する考察:新型コロナウイルス感染症を事例に

執筆者 松浦 寿幸 (慶應義塾大学)/齋藤 久光 (北海道大学)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

2020年に感染が拡大した新型コロナウイルス感染症により、外国人観光客の入国が制限され、日本人観光客についても県境をまたぐ移動の自粛が広がったことで、観光業界は大きな影響を被った。わが国では旅行需要を喚起するため旅行補助金制度が導入されたが、その効果はまだ厳密には評価されていない。本研究は、週次レベルの都道府県間の旅行者フロー・データをもとに、コロナ禍における旅行者数の決定要因を検討し、宿泊業への経済的被害を緩和する上での旅行補助金の有効性を評価するものである。

本研究で分析対象とするのは、2020年7月22日から全国を対象に開始された定率35%割引のGo Toトラベル事業と、各都道府県が実施する旅行補助金である。都道府県の旅行補助金は5月26日から開始された「長野県民向け長野県ふっこう割事業」を皮切りに、ほぼすべての都道府県で実施されている独自の旅費補助事業である。開始時期や対象、割引幅は都道府県で異なり、その多くは自県民向けで定額の5000円を補助するものが多い。

本研究で用いたデータは、日本観光振興協会が作成する観光予報プラットフォームの日次レベルの地域間(居住-滞在先都道府県間)宿泊旅行者フローである。このデータを用いて旅行者フローを説明する重力モデルを推定した。なお、日次では変動が大きいため月曜~日曜を単位とする週次データに集計した上で分析している。また、平日と週末の旅行者層の違いを考慮するため月曜~木曜を平日、金曜~日曜を週末として集計した分析も行った。

分析期間は2017年1月~2020年9月である。特に、Go Toトラベルで東京発着の旅行が対象外であった7月22日~9月30日までの期間に注目し、政策の対象となった東京発着以外の旅行者フローの変化と非対象の東京発着の旅行者フローの変化を政策の実施前後で比較する「差の差の分析」と呼ばれる方法で分析した。なお、Go Toトラベルは10月1日より東京発着もその対象に追加されたが、その結果、全都道府県が対象群となるため10月1日以降は分析の対象から除外している。推計結果は次のように要約される。

  • 新型コロナウイルス感染症は他地域への旅行と他地域からの旅行の双方の需要を減少させるため、感染症の影響が比較的少ない地域でも観光客が減少していた。
  • コロナ禍で観光客は遠方から近隣地域へと目的地を変更しており、特に航空機や新幹線など公共交通機関での移動が主となる500kmを超える旅行を減少させる一方、自家用車での移動が容易な近距離への旅行の減少幅は小さい。
  • Go Toトラベルにより旅行者数は55%増加し、宿泊平均単価は13%上昇した。
  • 都道府県の補助金とGo Toトラベルはともに1人1泊当たり1万円以下の部屋に宿泊する旅行者のシェアを減少させる一方、より高額なホテルに宿泊する旅行者のシェアを増加させた。特にGo Toトラベルは3万円以上のホテルに宿泊する旅行者層を増加させた。

次に、本研究の推計値からGo Toトラベルおよび都道府県補助金のマクロ的な経済効果について分析した(表1)。まず、7月22日~9月末の対前年比で見た宿泊支出は60%程度であった。われわれの推計値では、そのうちGo Toトラベルおよび都道府県補助金の寄与は約23%ポイントで、全国の宿泊支出を3割程度回復させる効果があった。また、仮に東京もGo Toトラベルの対象であった場合には、宿泊支出はさらに6%ポイントほど回復していたと推計される。Go Toトラベルおよび都道府県補助金の効果を、旅行者の居住地別に見ると、他県からの宿泊者の寄与が16%ポイント弱、県内の宿泊者の寄与が7%ポイントと、その差は大きい。コロナ禍では近場への旅行が好まれる傾向にあることは前に指摘した通りだが、この結果を見る限り、同一県内からの需要だけでは宿泊施設の稼働率を大きく改善させるのは難しいことが分かる。

表1 旅行補助金の宿泊支出への影響
表1 旅行補助金の宿泊支出への影響
注:本表の数値は計量モデルに基づく理論値である。基礎需要とは、旅行補助金がなかった場合の宿泊支出の推計値を示す。

最後に、本推計値からGo Toトラベルによる宿泊支出創出額を計算すると2580億円となった。一方、観光庁が発表するGo Toトラベルの実補助額は7月22日~9月末までで1100億円であり、仮にそれが全て宿泊割引に充てられたとすると、宿泊支出創出額は約3143億円(=1100/0.35)となる。本研究の推計値は政府が発表する宿泊支出を下回るが、Go Toトラベルの利用者の中には補助金がなくとも旅行していた人がいることを考えると概ね妥当な値であり、実補助額に対して2.3倍の需要創出効果があったと結論できる。

本研究から得られる政策的含意と今後の課題について述べる。第一に、旅費補助金制度、特にGo Toトラベルは、全国を対象に、過去に例をみない予算規模・割引率で実施された事業であり、一定の効果が出ることは自明であるが、感染症が拡大している状況であっても大きな効果を持つことが示された。第二に、定率補助金であるGo Toトラベルは所得効果による贅沢品への需要拡大効果が強く働くため、その効果が高級ホテルに偏る傾向にある。当該事業の目的が幅広い観光事業者の支援にあるならば、今後は割安ホテルの経営にも目を向けるべきである。最後に、旅費補助金により地域間での人の移動が活性化したことで感染症の拡大につながったかについては本研究課題の対象ではないものの、補助金制度の包括的な評価のためにはその点に関してさらなる研究が必要である。