ノンテクニカルサマリー

特恵関税適用か法人税回避か:自由貿易協定と移転価格

執筆者 椋 寛 (学習院大学)/大越 裕史 (ミュンヘン大学)
研究プロジェクト オフショアリングの分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「オフショアリングの分析」プロジェクト

世界貿易機関(WTO)における多角的貿易交渉が停滞するなか、貿易自由化の主要な手段は自由貿易協定(FTA)や関税同盟(EU)といった、地域貿易協定(RTA)にシフトしていった。RTAは締結国間での輸入関税の削減を達成しているが、なかでも大きな割合を占めるFTAには、輸出企業のFTAの利用率、すなわち特恵関税が適用される割合が低いという課題がある。その主要な原因は、特恵関税の適用を受けるためには、輸出企業が個々のFTAで設定される原産地規則(ROO)に基づいて輸出品の原産地を証明する必要があり、原産地証明を取得せずに非特恵関税で輸出することを選択する企業があるからである。FTAの利用を促進し、貿易自由化の恩恵を拡大することは日本政府の政策目標の1つである。

RTAを通じた国家間のネットワークが拡大する一方で、グローバル・バリュー・チェーンと呼ばれる企業レベルでの国境を越えたネットワークも形成されている。いまや世界のモノの貿易の半分は中間財貿易であり、多国籍企業の関連会社間の企業内貿易も拡大している。多国籍企業が企業内貿易においてつける価格は移転価格と呼ばれる。移転価格の問題は、学術的にも実務的にも、多国籍企業が高い法人税を回避するための手段として、主に考察されてきた。例えば、生産の下流に属する子会社が立地する国で高い法人税が課されている場合、多国籍企業は中間財の移転価格を上昇させることにより、法人税が低い国に立地する子会社に利潤を集め、法人税の支払いを減らすことができる。

本論文が注目したのは、上記で述べたFTA のROOの充足と、多国籍企業の移転価格設定が関連しており、ROOが移転価格操作の新たな制約になりうる点である。原産地規則の1つの形態として、域内で付け加えられた付加価値(輸出産品の価額から非原産材料価額を除いた付加価値)の割合が一定以上であることを求める、付加価値基準がある。非原産材料に企業内貿易で調達したものが含まれる場合、その価額は移転価格の上昇とともに増加する。したがって、多国籍企業がFTA締結国の高い法人税を回避しようと移転価格を高く設定すると、付加価値基準が満たせず、特恵関税の適用がされなくなる恐れがある。

本論文では、ROOの充足と移転価格の関係を考慮しつつ、国際寡占モデルを用いてFTAの厚生効果を再評価した。多国籍企業は域内で最終財を生産するが、FTA締結前は生産費用が低い域外国の子会社から中間財を調達する。一方、現地企業は域内で中間財を調達しFTA締結後は常に無税で輸出する。このとき、図1のように、域内の法人税率(T)が域外国の法人税率(t)と比較してあまり高くないならば、多国籍企業は特恵関税の適用を重視し中間財生産を域内に移転する(Input Relocation)。一方、Tが比較的高いときは、ROOの付加価値基準の要求が厳しい(αが大きい)場合には、多国籍企業は移転価格の操作による法人税率の回避を重視し、特恵関税の適用を諦める(Regime N)。一方、ROOの付加価値基準の要求があまり厳しくない場合には、ROOの要求を満たす水準まで移転価格を低く抑え、高い法人税率を部分的に回避しつつ、特恵関税の適用される状況を選択する(Regime B)。

図1:FTA締結後の多国籍企業の選択
図1:FTA締結後の多国籍企業の選択

多国籍企業が中間財生産地を移転する場合、その移転価格を最終財市場における競争促進のために用いるため、結果的にFTA締結後に現地企業の利潤が下がる恐れがある。一方で、多国籍企業は自身だけが関税が削減されないRegime Nのケースのみならず、ROOを満たすように移転価格を抑えるRegime Bのケースや、中間財生産地を移転するケースでも、FTAの締結によりその利潤は下がりうる。なぜならば、多国籍企業は特恵関税の適用という恩恵を受ける一方で、移転価格の操作による高い法人税回避ができなくなるか、少なくとも不完全な回避となるため、税引き後の利潤が低下しうるのである。図2のように、初期関税率が低く関税撤廃の恩恵が小さい場合、結果的に、FTAを利用しているにも関わらず、すべての企業の利潤が下がりうる。ただし、このことがFTA域内国の厚生を悪化させるとは限らない。FTAの締結は、多国籍企業の法人税逃れに制約を課すことにより、法人税収入を域内国にもたらすからである。法人税逃れによるロスが大きい場合、ROOにより移転価格の操作に制約を課すことが、FTAによる域内国の厚生の改善につながる。

図2:FTAの締結と企業利潤の変化
図:中国からの輸入浸透率推移
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これらの結果から、以下の政策含意が得られる。FTAの締結に付随する付加価値基準による原産地規則は、移転価格操作の制約となり、法人税の回避を防止する役割を持ちうる。そのため、法人税支払いの増加と競争の激化により、原産地規則を満たし無関税で輸出できたとしても、必ずしもFTAにより企業の利潤が増加しているとは限らない。ただし、法人税収の増加は、域内国にとってはFTA締結の追加的な利益となる。オフショアリングが発達し、グローバル・バリュー・チェーンが形成され多国籍企業の企業内貿易が活発化しているなか、政策担当者はFTAの利用のみで自由化の効果を判断するのではなく、移転価格の操作を通じた多国籍企業の法人税の回避行動に与える影響を考慮しつつ、政策評価を行う必要がある。