ノンテクニカルサマリー

金融政策シャーマニズムの意味論的解析:日本銀行黒田総裁のケース

執筆者 慶田 昌之 (立正大学)/竹田 陽介 (上智大学)
研究プロジェクト 持続的成長とマクロ経済政策
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業フロンティアプログラム (第四期:2016〜2019年度)
「商品市場の経済・ファイナンス分析」プロジェクト

本稿は、2012年7月から2016年11月までの日本銀行が発表した文書を統計的自然言語処理の手法を用いて分析した。統計的自然言語処理は機械学習の文脈で近年急速に発展しており、経済学分野についても応用が期待される。本稿で用いたLatent Semantic Analysis (LSA) は、自然言語で書かれた文書あるいは単語の類似性について定量的な分析を可能にする。このLSAを用いて、日本銀行が発表した金融政策に関する文書の類似性を分析した。

金融政策の文脈において中央銀行にとって「市場との対話」が重要となっている。実際、日本銀行はさまざまな文書を発行して、市場に対して日本銀行がもつ経済の現在の状態に関する情報、あるいは将来の状態に関する見通しを知らせている。文書は多岐にわたっており、『金融経済月報』のような報告書形式のものや総裁定例記者会見、総裁記者会見、総裁、副総裁または政策審議委員による講演などを文書にしたものなどがある。これらは日本銀行のwebサイトから入手可能である。本稿では総裁定例記者会見(以下記者会見)の文書のうち総裁回答部分を用いた。対象とする記者会見は2012年7月から2016年11月までの55回である。最初の10回の記者会見は白川総裁によるものであり、残りの45回の記者会見は黒田総裁によるものである。

分析は、文書に含まれる名詞の大部分と動詞の一部を用いることで総裁の個人的な言い回しなどに影響を受けないように留意しつつ、各回の記者会見の類似性についてLSAを用いた結果の相関係数で定量的に示した。文書のテーマは当然ながら金融政策に関するものであり、全体として互いの記者会見の相関係数は高い値を示した。そのため本稿では0.8以上の相関係数が得られたものを類似性が高いとみなした。

表1は55回の記者会見を用いたLSAを用いた分析結果のうち、白川総裁の2013年2月14日と3月7日、黒田総裁の2013年4月4日と2014年10月31日の記者会見を抜粋し、互いの相関係数を表にしたものである。0.8以上の相関係数に色をつけている。

55回の記者会見を用いた分析では以下のような結果が得られている。まず白川総裁の10回の記者会見は2012年8月の文書を除いて互いにすべて高い類似性がみられた。また、白川総裁と黒田総裁の記者会見間では相対的に類似性が低かった。黒田総裁の45回の記者会見については、市場に対するインパクトが高かった「質的・量的金融緩和」を導入した2013年4月と「質的・量的金融緩和」の拡大を発表した2014年10月末(文書の発行は11月)の記者会見はそれら以外の黒田総裁の記者会見との類似性は低いと判定された。一方で、この2つの記者会見は類似性が高いと判定された。その他の黒田総裁の記者会見は2013年から2015年までの間は、概ね類似性が高いことが示された。

特筆すべきは、黒田総裁の記者会見は2016年以降、それまでの記者会見との類似性が低くなったことが示されていることである。2016年に入って「マイナス金利政策」が導入され、2016年8月に「総括的な検証」が実施された。本稿で示された記者会見の類似性では、「マイナス金利政策」の導入によってそれ以前との類似性が低くなり、「総括的な検証」以後では、2015年以前とも2016年の前半とも類似性が低いことが示された。

以上の結果は、総裁定例記者会見のLSAを用いた分析によって日本銀行の政策スタンスの変化を文書の分析から概ね定量的に判定できる可能性を示唆している。さらに、2016年に2回の日本銀行のコミュニケーション・ストラテジーの変化が発生したことを示唆する結果である。この変化は定量的には白川総裁と黒田総裁の交代に匹敵する変化であり、日本銀行にそれほど大きな変化を表明する意図がなかったとしたらコミュニケーション・ストラテジーに誤算があった可能性があると解釈できる。

表1:総裁定例記者会見のLSA分析による相関係数(一部抜粋)
白川総裁 黒田総裁
2013年 2014年
2月14日 3月7日 4月4日 10月31日
2月14日 1.000 0.981 0.696 0.777
3月7日 0.981 1.000 0.702 0.758
4月4日 0.696 0.702 1.000 0.887
10月31日 0.777 0.758 0.887 1.000