ノンテクニカルサマリー

個人の貿易政策の選好と地域間の異質性:1万人アンケート調査による実証分析

執筆者 伊藤 萬里 (ハーバード大学 / 専修大学)
椋 寛 (学習院大学)
冨浦 英一 (ファカルティフェロー)
若杉 隆平 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 我が国における貿易政策への支持に関する実証的分析
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第三期:2011~2015年度)
「我が国における貿易政策への支持に関する実証的分析」プロジェクト

問題意識

少子高齢化に伴い国内市場が縮小傾向にある我が国にとって、自由貿易を促進することの重要性はこれまで以上に増している。自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)の締結には、貿易や投資の拡大を制度面から後押しすることが期待されているが、日本の貿易総額に占めるFTA/EPA締結国との貿易額の割合は2割程度と諸外国に比べて低く、経済連携の推進が課題となっている。

しかしながら、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や東アジア地域包括的経済連携(RCEP)といった広域の経済連携に向けた交渉が進められている一方で、貿易自由化に関して国民のコンセンサスを形成することは容易ではないことも確かである。貿易自由化の影響があらゆる人々に等しくプラスとなるわけではないことから、こうしたことは日本に限らずどの国でも多かれ少なかれ見られることである。たとえば日本の世論調査では、TPP交渉に関して、賛成が過半を占める傾向にあるものの、国民の2~3割程の人が反対であり、地方ではその比率がさらに高いという結果が示されている。

さらなる貿易自由化に反対する意見の大部分は農業関係者によるものであると考える向きもあるが、農業の経済全体を占める割合が対GDP比で約1%、就業者数でも全体の3%余りに過ぎないことを考慮すると、必ずしも農業関係者だけが反対しているとはいえない。農業を基幹としているような地域では、農業従事者でなくても地域経済の衰退によって間接的に影響を受けることを懸念して貿易自由化に反対しているとも考えられる。

国民の間でさらなる貿易自由化へのコンセンサスを形成する上では、保護貿易政策がどのような背景で支持されているのかを十分に考察する必要がある。特に、個人属性に加えて地域特性の影響を考慮する必要がある。本研究では、日本全国の1万人に対して実施した貿易政策の選好と個人属性(職業、年収、学歴、その他独自の質問項目)に関する調査結果を利用して、個人属性に加えて地域の特性が政策選好に与える影響に焦点を当て、保護貿易政策(輸入を制限する政策)への支持の要因を実証的に明らかにした。

実証分析の結果

主な実証結果は次の4つにまとめられる。

(1)農業就業者比率が高い地域(市区町村)に住む個人は、たとえ自分が農業に従事していなくとも保護貿易政策を支持する確率が高くなる。

(2)ただし(1)の農業就業者比率の影響は、転居の意向がある人(引越しの予定がある・したい人)には観察されない。農業就業者比率が高くなるほど、転居の意向がない人は保護貿易政策を選好する確率が高くなるが、転居の意向がある人は選好確率がほとんど変化しない(左下の図を参照)。

(3)失業率が高い地域(市区町村)に住む個人は、保護貿易政策を支持する確率が高くなる。

(4)ただし(3)の影響は持ち家の有無によって異なる。失業率が低い地域では持ち家ではない人の方が保護貿易政策を支持する確率が高いが、失業率が高くなると持ち家の人は保護貿易政策を支持する確率が高くなり、持ち家で無い人は保護貿易政策を支持する確率が低下していく。筆者らの分析によれば、失業率が7%近辺を超えると持ち家の人と持ち家でない人との間で保護貿易政策を選好する確率が逆転する(右下図参照)。

これらの結果は次のように解釈することができる。農業を基幹として地域経済が成り立っている場合、製造業や商業・サービス業も財・サービスの取引を通じて貿易自由化による構造調整の間接的な影響を受ける可能性が考えられる。農業の比重が相対的に大きい地域では、個人がこのような産業連関的な影響を考慮して貿易政策の選好を決定していることが示唆される。

その一方で、興味深いことに今後転居の意向がある人については、農業就業者比率の影響が相殺される。貿易自由化によって地域経済の構造調整に直面しても、転居によって移転が可能であれば構造調整の影響を受けないことを反映しているものと思われる。また、地域の失業率に応じて人々の政策選好が異なる点に関しては、持ち家の人は地域経済の悪化によって資産価値が下落することを懸念して保護貿易政策を支持する可能性が考えられる。

政策的な含意

本研究の結果を総合すると、個人の貿易政策の選好は地域間で移動が可能かどうかということに敏感に反応するものと結論付けられる。国際経済学ではこれまで、産業間の労働の流動化が自由貿易の推進には重要であると指摘されてきたが、地域間で移動が困難な人が存在することを考慮すると、産業間の労働流動化だけでは自由貿易政策に対するコンセンサスは得られない。貿易自由化への国民のコンセンサスを形成するためには、地域の経済状況へ配慮した政策プロモーションや貿易自由化によって影響を受ける地域の所得水準を維持し、高める政策を同時に検討する必要がある。

本研究は地域特性以外の要因についても次のような結果を得ている。

  • 年収が低い(特に200万円未満)人は保護貿易政策を選好する確率が高く、年収が上がるにつれて自由貿易政策を選好する確率が高くなる(特に700万以上)。
  • 中卒・高卒・大学在学の人は、短大・専門学校卒業、大学・大学院卒業の人に比べ保護貿易政策を選好する確率が高い。
  • 所属産業が農林水産業の人は他の産業より突出して保護貿易政策を選好する確率が高い。
  • 管理職の人は他の職種の人よりも自由貿易政策を選好する確率が高い。
  • 年齢は若年層ほど保護貿易政策を選好する傾向が見られ、加齢とともに保護貿易政策を選好する確率は低下していく。
  • 子供がいない人はいる人より保護貿易政策を選好する確率が高い。
  • 女性は男性に比べて保護貿易政策を選好する確率が高い。
  • 飲料や食料品の原産地をチェックする人はしない人より保護貿易政策を選好する確率が高い。
  • 日本のことを強く誇りに思う人は思わない人より保護貿易政策を選好する確率が高い。
  • リスク回避的な人(1/2の確率のくじを買わない人)は保護貿易政策を選好する確率が高い。
  • 今後の日本経済に悲観的な人は楽観的な人よりも保護貿易政策を選好する確率が高い。