ノンテクニカルサマリー

模倣費用とイノベーション費用:共通特許権存続期間のもとでの様々な特許政策の分析

執筆者 市田 敏啓 (早稲田大学 / コロラド大学ボルダー校)
研究プロジェクト グローバル経済における技術に関する経済分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第三期:2011~2015年度)
「グローバル経済における技術に関する経済分析」プロジェクト

昨今の日本の製造業の不振の一部は近隣アジア諸国の急激な技術水準の向上を受けたことによる厳しい競争が原因と言われている。アジア諸国の技術力の向上の一因としては、日本企業が特許出願した結果、公開された技術情報が流出していることが挙げられている。たとえば、1997年には世界における液晶ディスプレイの生産量で日本企業は世界の8割を超えるシェアを持っていた。しかしながら2006年には台湾と韓国のメーカーのシェアが合計83%となり、日本企業のシェアは13%に減ってしまった。液晶技術の雄であったシャープは大幅な赤字となり、苦しんでいる。本稿では、もともとの技術を開発した企業(発明家)とその技術を模倣して類似製品を生産する企業(模倣企業)がマーケットにおいて競争する理論モデルを構築し、発明家(企業)の開発インセンティブと、特許申請のインセンティブを説明することが目的である。

特許制度の目的は主として2つある。1つ目は新たな技術の開発や発明を促進することである。これは特許を出願して権利化に成功して登録されると、決められた期間(多くの先進国では20年間と決まっている)その技術を用いた製品の製造・販売などに独占権を与えられることによって、新しいものを生み出すための金銭的インセンティブとなるからである。2つ目は特許に登録された技術を広く公開することによって、登録された技術を踏まえたさらなる発展した技術開発を促進する目的である。この目的のために、特許に出願する際には、出願情報を、電子特許図書館などを通じて公開することが求められている。

現在の日本の制度ではこの特許の2つ目の目的が原因で企業の「防衛出願」が増え、これが日本企業の技術が海外に流出する大きな原因となっている。なぜ特許の「防衛出願」が増えるのだろうか? 本来、新たに開発された発明・技術は特許として公開するのか、それとも営業秘密(trade secret)として非公開にした知的財産として管理するかの選択を迫られる。営業秘密はのちに先使用権(特許制度は先出願主義なので、先に出願した人に特許権が付与されるが、もし開発したのが出願者よりも先であることが公的に証明できれば無償でその技術を使用する権利を持つことができる)の証明が困難であるので、多くの企業は特許を出願したという事実を持って将来の特許訴訟から防衛しようとしているのである。

本稿では潜在的に特許を申請できる新しい技術上のアイディアが模倣費用とイノベーション費用の2次元において異質に分布している場合の発明家の投資インセンティブと特許申請行動、およびその後の技術的追随者の模倣行動について分析する。イノベーション費用とは発明者が最初に思いついたアイディアを特許申請可能かつ市場に製品として出せるまでの費用である。模倣費用とは、発明者が特許申請をした後に、追随者が特許を侵害しないように類似製品を開発する費用のことである。これらの費用が2次元で異質に分布しているようなときに、政府のさまざまな特許政策が、発明者のインセンティブや追随者の模倣行動にいかなる影響を及ぼすのかを分析した。とくに特許の存続期間が、異なる産業においても同一(共通)である場合には図1のように模倣費用(横軸)とイノベーション費用(縦軸)の2次元を描くことができる。

図1ではアイディアの空間を4つのパーティションに分割できる。上方の網掛けの部分はそもそもの最初の新しい発明を行うインセンティブがない部分である。白い部分では、発明は行うものの、いちばん左から特許申請は行わず営業秘密とする部分、特許申請を行い追随者が模倣する場合、発明者は特許申請して模倣は行われない場合、というように分割される。本稿ではこの図を用いてさまざまな特許に関する政策の効果を分析した。

たとえば、フランスやベルギーには、「ソローの封筒制度」と呼ばれる営業秘密を促進する政策があり、発明者は、その発明に係る情報を封筒に入れて特許庁に登録することにより、その発明につき特許申請を行うことなく営業秘密としていても、後日同じ発明について特許を取得した者による特許権侵害訴訟から保護される。この政策は、図の上では営業秘密の領域を矢印のように拡大する効果がある。点Aが含まれる拡大領域では、これまでに発明されなかった部分が新たに発明されて営業秘密となる。点Bが含まれる拡大領域では、これまで特許と模倣が両方あった部分が営業秘密となる。1つ目の拡大は経済全体の厚生を明確に(あいまいさなく)上昇させるが、2つ目の拡大の効果はあいまいである。模倣が減ること自体は悪いことではないが、特許の申請件数が減ってしまうので、それらの領域の技術をもとにして今後生まれるかもしれない新たな技術(本稿では明示的にモデル化されていない)が減少することが予想される。長期的な視野に立てば、マイナスとなりうる。最終的な経済厚生の問題は1つ目の拡大と2つ目の拡大の両方のプラスとマイナスを相殺して初めて結論が可能になる。それはアイディアがどのように模倣費用とイノベーション費用の2次元に同時分布しているかに依存している。もし点Aの近くに分布質量(確率密度)が多くあればプラスが大きくなるだろうし、点Bの近くに多くあればマイナスが大きいだろう。

図1:模倣費用とイノベーション費用
図1:模倣費用とイノベーション費用