ノンテクニカルサマリー

日本の制度変化とその経済的帰結:ハイブリッド化の光と影

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

特定研究プロジェクト (第三期:2011~2015年度)
「企業統治分析のフロンティア・日本企業の競争力の回復に向けて:企業統治・組織・戦略選択とパフォーマンス」プロジェクト

日本企業のコーポレートガバナンスにおける近年の変化の最大の特徴は、従来の関係ベースの内部ガバナンスに、原理を異にする市場ベースの外部ガバナンスが結合した点にある。こうしたハイブリッド化現象は、「資本主義の多様化論」の核をなす制度的補完性の想定と明確に対立する。したがって、当然生ずる疑問は、このハイブリッド化が、日本の企業統治がアングロアメリカ型の仕組みに移行する過渡的現象なのか、それとも長期にわたって持続可能な1つの安定的な均衡と捉えられるのか、さらに、このハイブリッド化は日本企業の生産性に対して、正の効果を持つのか、逆に負の効果を持つのかである。本稿の課題はこの問題に解答を与える点にある。ここで解明したのは、以下の3点である。

第1に、コーポレートガバナンスに関連する幾つか変数に注目しながら、2002年の時点でわれわれが確認した、機関投資家を中心とした資本市場のベースの外部ガバナンスと、従業員の強いコミットメントを中心とする内部ガバナンスの結合というハイブリッド化が日本のリーディング企業で近年さらに支配的になっている。

第2に、コーポレートガバナンス構造の変化がR&D、M&A、事業再組織化、財務政策などの企業行動に実質的な影響を与えたかを検討し、さらにこの変化が企業のパフォーマンスに与える効果を、最近の分析結果を紹介しながら解明した。機関投資家は事前的にパフォーマンスの高い企業に投資する傾向があり、また、その銘柄選択行動は、規模が大きく、流動性の高く、知名度の高い企業に偏る傾向がある。ここでのポイントは、そのため想定される逆の因果関係や、機関投資家の投資に基づく需要ショックを考慮しても、機関投資家の増大が、経営の規律付け効果を通じて正のパフォーマンス効果をもつという点にある。

最後に、ハイブリッド化の潜在的コストの側面を検討する。その際、ハイブリッド化は、これまでの制度間の補完性(たとえば、メインバンクと長期雇用)によるシステム効果を失うという損失ばかりでなく、新たに追加的な調整コストを生み出し、それが日本企業のパフォーマンスにネガティブな影響を与える可能性を強調する。本稿では、このコストの側面として下の諸点を指摘した。

  • 制度変化の遅れが生産性の上昇に悪影響を与えるケース。たとえば、伝統的日本企業では、すでに合理性を欠いた制度も、外部からの圧力を欠くため自発的に変化せず、組織・経営革新や、事業再組織化が遅れ、パフォーマンスの低下につながる。
  • ある経済ドメイン(たとえば、雇用システムや、内部組織)の内部で、市場ベースの仕組みと関係ベースの仕組みが重層的に並存し(layering)、その結果、新たに調整コストが発生する。たとえば、ハイブリッド企業は、事業単位への権限の委譲、持株会社の設立、グループ化などを進めているが、この組織改革は、過度の分権化、分権化の不足、分権化と一貫した他の制度(報酬制度・評価の仕組み)の設計の遅れをともない、これが組織効率を引き下げている可能性がある。
  • 複数の経済ドメイン間で異なった経済モードが支配するため、追加的なコストが発生する。たとえば、資本・資金市場などの外部ガバナンスが市場ベースであるのに対して、取締役会・報酬システムなどの内部ガバナンスでは従業員のコミットメントの強い関係ベースの仕組みであるため、過小あるいは過度に社外取締役が選任される。また、逆に、経営の安定化のために合理性を欠く株式相互持合いが試みられる場合がある。

以上、要するに、ハイブリッド化は、市場による規律と、内部者による規律の組み合わせによる企業価値の上昇の可能性をもつ反面、短期的な市場の圧力と、内部者支配組み合わせによる企業価値の毀損の危険をも伴う。ここから引き出される政策的含意は、(1)多様化の進展した日本企業全てに妥当する(one size fits all)企業統治の仕組みは存在しないこと、(2)伝統的日本企業では、その革新を促すために制度的な促進措置が必要なこと、また、(3)ハイブリッド型企業では、事業ポートフォリオや技術特性に沿って、透明な取締役会・報酬制度・内部組織の革新・株主との関係の構築が不可欠なことなどである。