ノンテクニカルサマリー

日本の産業別実質実効為替レート

執筆者 佐藤 清隆 (横浜国立大学)
清水 順子 (学習院大学)
ナゲンドラ・シュレスタ (横浜国立大学)
章沙娟 (横浜国立大学)
研究プロジェクト 通貨バスケットに関する研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

国際マクロプログラム (第三期:2011~2015年度)
「通貨バスケットに関する研究」プロジェクト

2008年9月のリーマン・ショック以降、世界金融危機の影響が広まるとともに、円の名目為替レートは対米ドルのみではなく、その他すべての通貨に対して著しく増価した。この円高傾向は容易に解消せず、2012年6月初めにおいても1米ドル=80円を超える円高が続いている。新聞報道はこうした円高の進行が日本企業の輸出を減退させ、企業収益を大きく悪化させることを懸念している。確かに、日本企業全体として円高の影響を受けているのは間違いない。しかし、円高の影響は産業によって異なる可能性があるのではないか。

たとえば、日本の代表的な輸出産業である自動車とエレクトロニクスを考えてみよう。自動車の場合は、欧米諸国など先進国への輸出に加えて、近年ではアジア諸国などに進出して生産拠点を構築している。これら生産拠点は現地での販売を基本としており、日本からはエンジンなどの基幹部品が輸出されている。これに対してエレクトロニクスの場合は、アジア域内の工程間分業の進展により部品・中間財の域内取引が活発に行われ、最終的な消費地である欧米諸国に輸出されてきた。こうした生産・販売構造の違いにより、日本企業が直面している為替相場は産業ごとに異なるのではないか。この問いに答えるには、単に二国間の名目為替レートをみるだけでなく、実質実効ベースで為替レートを見るべきだろう。名目の産業別実効為替レートはRIETIで既に公表されているが、中長期的に実質的な競争力を考慮するためには、さらに実質ベースで為替レートの変動を見る必要がある。特に、日本の貿易相手国にはインフレ格差が著しいアジア諸国が多いため、実質的な競争力を測るためには物価上昇率の差を調整し実質的な対外競争力を測る「実質」為替レートを用いて実効為替レートを計算することが重要であると考えた。

産業別の実質実効為替レートを作成するときの最大のハードルは、対象国すべてに共通の産業分類に従って物価データ(できる限り生産者物価指数)を入手することである。円ドルレートであれば、日本も米国も同じ産業分類で生産者物価は比較的容易に手に入る。しかし、日本にとって今や最大の貿易相手であるアジア諸国では、先進国ほど統計面の整備が進んでおらず、共通の産業分類で生産者物価指数を入手することが大きな課題だった。日本の主要貿易相手国と考えらえる国の統計資料や政府・統計局のホームページをくまなくチェックし、必要なデータを探し当てるのに膨大な時間を費やし、最終的にデータ収集から実質実効為替レートの完成まで1年近くかかった。この作業の難しさが、産業別の実質実効為替レートが他の機関で公表されていない理由であり、その意味で産業別実質実効為替レートのデータ構築の貢献度は高い。

円の産業別実質実効為替レートを計算した結果、ここ数年の円高の影響が産業毎に異なることが確認された。図1において、日本の代表的な輸出産業である、電気機器、輸送用機器、一般機械の3つの産業の実質実効為替レートに注目してみよう。3つの産業のなかでは、平均値と比べて輸送用機器がかなり円高の水準にあり、それに対して電気機器は逆に最も円安の水準にあり、平均値を大幅に下回っている。一方、一般機械はほぼ平均値に近い水準となっている。

実質実効為替レートは、その産業の価格競争力を反映していると考えられる。図1のデータを文字通り解釈すれば、輸送用機器(その代表的産業である自動車産業)は実質実効為替レートがかなり円高の水準にあり、同産業は円高の影響を受けて価格競争力を失っていることになる。一方、電気機器の場合は実質実効為替レートが他の産業と比べるとかなり円安の水準にあるので、名目為替相場が円高に振れていても価格競争力を維持していると解釈できる。しかし、電気機器産業は本当に実質実効ベースで測った価格競争力の高さによる利益を享受しているのだろうか。実は、上記のような解釈は実態を正しく理解していない可能性がある。

そこで、実質実効為替レートの変動を引き起こしている要因を調べるためにシミュレーション分析を行った結果、日本の電気機器産業の実質実効為替レートの変動は、同産業の生産者価格の低下によってもたらされていることが明らかになった。これは他の産業にはみられない、電気機器産業固有の特徴である。電気機器産業は非常に価格競争の激しい業界で、欧米企業との競争だけでなく、アジアでは韓国や台湾の企業とも激しい競争を行っている。したがって、同産業に属する日本企業は、円高によって他国との価格競争が不利にならないように、自らの生産者価格を引き下げる努力をした結果として、実質実効為替レートが他の産業と比較して円安の水準にあると解釈できる。こうした分析結果は、最近の日本の電気機器メーカーの決算が赤字になっているという事実とも整合的である。

このように、産業別の実質実効為替レートを用いることによって、産業間の円高進行度の違いやそれぞれ業種の異なる日本企業が直面している状況を比較検討することができるようになった。この結果を踏まえて、今後は緊急円高対策などの重要な政策課題に反映することが期待される。

図1:産業別実質実効為替レート:2005年1月3日~2012年3月2日
図1:産業別実質実効為替レート
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(出所)筆者計算。