コラム

流動性、銀行融資枠と企業統治

胥 鵬
法政大学比較経済研究所教授

"金は天下の回り物"ということわざからわかるように、現金や貨幣は決済とともに世界を回って動く。これに関連して、流動性という経済学用語が挙げられる。ただし、現金は利息を生まないので、必要以上に現金を持つことは一種の無駄である。ケインズ経済学では、貨幣需要は取引需要、予備的需要と投機的需要に分けられる。投機的需要とは、将来債券や株式などの証券の値下がりが予想されるときに、証券を売却して現金に換える現象である。サブプライム危機は証券化されたサブプライムローンという証券の値下がりを恐れて、投資家の貨幣に対する投機的需要が一気に増えた現象ともいえよう。

企業の場合は、日々の支払いなどに必要な運転資本のほかに、いつか投資機会が現れることに備えて予備的に流動性を確保しておくことが考えられる。他方、不確実な投資機会の確率が低い企業にとって、余剰現金の保有がエージェンシー問題を引き起こすことは、フリー・キャッシュ仮説としてよく知られている。また、現金は予備的目的のために流動性を確保する唯一の手段ではない。銀行融資枠や当座貸越契約も重要な流動性確保の手段である。本稿の目的は、流動性、銀行融資枠と企業統治に関する近年の研究を紹介することである。

1. フリー・キャッシュ・フロー

1980年代の米国の株式市場取引は敵対的買収(hostile takeover)が多く、主要上場会社の半数以上が公開買付(TOB, tender-offer bid)を経験していた。Holmstrom and Kaplan(2001)によると、80年代における米国の敵対的買収ブームは、経営者が長年の株安を放置し、しかも取締役会や株主総会が有効に経営者をガバナンスすることができなかったことに対する資本市場の復讐であるという見方もあながち誤りとは言えない。敵対的買収の出現の最も有力な理由として、フリー・キャッシュ・フロー仮説が挙げられる。この仮説によると、高収益の投資機会がないにもかかわらず、経営者が本来株主に還元すべきキャッシュ・フローを無謀な規模拡大に費やすことこそ、敵対的買収を招いた原因である。Jensen(1986)は、オイルショックの石油価格急騰がもたらしたキャッシュ・フローを石油価格の下落後も株主に還元せずに油田開発、精製設備投資や多角化経営に投下し続けた米国の石油会社を例に、フリー・キャッシュ・フロー仮説こそ1980年代の敵対買収を説明することができる最も有力のものだと力説した。巨額のフリー・キャッシュ・フローがやがて石油会社をターゲットとする活発な敵対的買収を招いた。敵対的買収やその潜在的圧力が米国の石油会社の株主にもたらした利益は2兆円にも達したと推定されている。最近、筆者の一連の単著・共著論文によると、スティール・パートナーズなどのアクティビスト投資家のターゲット企業の平均時価簿価比率は比較企業の平均より低く、ターゲット企業の現金保有比率は、比較対象企業の平均値、メディアンのそれぞれ2倍強に相当していた。したがって、1980年代の米国と同様に日本企業のフリー・キャッシュこそアクティビズムを招いた原因である。また、過剰現金を株主に還元することによって、収益性が改善される点も記しておきたい。

2. 当座預金、銀行融資枠と流動性

米国の銀行ローンをつぶさに見ると、約80%の商業と工業ローンは、融資枠を実行する形で行われる。融資枠は、コミットメントライン(commitment line)、クレジット・ライン(credit line)ともいう。これは、予め設定した期間・融資枠の範囲内で、企業の請求に基づき、銀行が融資を実行することを約束(コミット)する契約であり、設定の際には、銀行の所定の審査があり、設定手数料(コミットメントフィー)が必要となる。場合によって、企業に担保提供や財務状態が一定の水準に維持することを条件とする「財務制限条項」および「財務状態維持条項」が求められることがある。融資枠は、顧客の要求によって、契約期間内いつでも融資を受けることができる契約である。これはまさに流動性、すなわち、資金繰りの保証の提供である。たとえば、2012年8月31日、みずほコーポレート銀行と三菱東京UFJ銀行は31日、シャープ向けに1500億円の追加融資枠を設定し、コマーシャルペーパー(CP)の償還などに充てる。これによって、シャープは9月末までの資金繰りにめどをつけた。

Holmstrom and Tirole(1998)は、企業の流動性ショックを明示的に導入し、モデル構築を試みた。経営努力を引き出すためには、企業家に成功報酬を払わなければならない。そのため、企業家が調達できる資本は自己資金に依存する。投資を実行した後、流動性ショックを受けると投資を最後まで遂行するために追加資金が必要となる。しかし、流動ショックに備えるための資金を最初から企業家に与えると、過剰投資が発生してしまう。つまり、過剰投資と流動性ショックに対応する方法は、最初の段階で投資に必要な金額だけを調達すると同時に流動性ショックに必要な資金を極度とする融資枠を結ぶことである。したがって、企業家のモラルハザードに起因する過剰投資と流動性ショックが存在する仮定の下で、なぜ融資枠が必要かは内生的に示されている。ここで、過剰投資という企業統治の視点について記しておきたい。

Sufi(2010)はユニークなデータベースを構築して融資枠の実証分析に挑んだ。以前、融資枠に関するデータは、アンケート調査や銀行社内データが用いられていた。米国企業は、未実行融資枠と実行済み融資枠について情報を開示しなければならない。Sufiのハンド・メイド・データから、企業全体の81.7%が融資枠を持っていたことを示した。研究対象であるランダムサンプル300社については、85%の企業が融資枠を持っていた。融資枠の簿価資産に占める割合は16%、未実行融資枠割合は10%、実行済融資枠割合は6%である。資産簿価に占める負債の割合が21%だということから、融資枠の重要性が浮き彫りにされている。手数料と金利は常に10-Kで開示されるとは限らないが、Loan Pricing Corporation社のDealscanデータベースの1996年-2003年の4011社上場企業の1万758融資枠から、手数料の中央値は融資枠の極度額の25ベーシスポイント、金利の中央値はLIBOR+150ベーシスポイント、融資期間の中央値は3年となっていた。融資枠の有無、融資枠極度額/(融資枠極度額+現金)および未実行融資枠/(未実行融資枠+現金)を企業属性へ回帰させた結果が以下の通りである。まず、キャッシュ・フローが低い企業は現金保有で流動性が管理されていた。そのチャンネルは、融資枠の財務状況維持条項である。つまりキャッシュ・フローを一定の水準以上に維持できない場合には契約が解約されるのである。さらに、融資枠契約を持つ企業グループにおける現金保有のキャッシュ・フローに対する感応度は有意ではないが、融資枠が供与されていない企業の現金保有の増減は有意にキャッシュ・フローの増減に依存していた。

続いて、Lins et al.(2010)は、Deutsche Bank Securities、Inc社と共同で、インターネットで48カ国の4000人の最高財務責任者(chief financial officer)に調査票を送って、融資枠に関するアンケート調査を行った。分析に利用可能な29カ国204件の回答から、融資枠は将来の不確実な投資機会に備えるものであり、現金保有は将来のキャッシュ・フローの落ち込みに備えるものである、ということが分かった。この結果はSufi(2010)と整合するものである。

3. マクロ・リスクと融資枠

世界金融危機以降、流動性管理に対する関心が高まってきている。2008年の流動性ショックの最中、Campello et al.(2010)による最高財務責任者に対するアンケート調査が行われた。130の米国非金融業上場企業の最高財務責任者は、流動性制約に直面していた場合に将来融資枠が更新されないことを恐れて借りられるうちに融資枠に基づいて多く借り入れたと答えた。Ivashina and Scharfstein(2009)も、ReutersのDealScanデータベースに基づいて、リーマンが参加していたシンジケート方式協調融資枠を持っていた企業がリーマンショック後に融資枠契約に基づく融資を受け、手元の現金保有を厚くしたと明らかにした。

Acharya, Almeida, and, Campello(2013)は、企業の流動性管理をモデル化し、マクロ・リスク・エクスポージャーは、企業の現金と銀行融資枠の選択の重要な決定要因であることを示している。銀行は企業特異な(idiosyncratic)リスクをプールすることにより、流動性を創出する。その結果、(分散不可能な)マクロ・リスク(aggregate risk)の高い企業は、高い流動性プレミアムにもかかわらず、現金を選ぶ。同様に、マクロ・リスクが高い時期に、企業は融資枠よりも現金に依存する。クロス・セクション・データを用いた分析で、システマティック・リスクへのエクスポージャーが高い企業ほど融資枠に対する現金の比率が高い。マクロ・リスクが高まる時期は、企業の手元資金が上昇し、融資枠の未実行残高の高い銀行ほどリスクが高く、融資枠の新規契約が落ち、融資枠に基づく借入のスプレッドが拡大し、融資枠の残存期間が短くなる。

A Acharya, Almeida, Ippolito, and, Perezo(2014)は、銀行モニタリングと融資枠との関連に関する理論を提示した。財務制限条項に抵触した場合に融資枠が取り消される点は、現金とは異なる。よって、流動性リスクの高い企業ほど融資枠のコストが高くなる。社債および株式市場における外生的流動性ショックを特定することによって、この理論の企業の流動性管理に関するインプリケーションが検証されている。理論と整合的に、流動性リスクのショックによって、企業が融資枠から現金保有にシフトすることが確認されている。

4. 現金、融資枠と企業統治

既にふれたように、現金と融資枠の事後のコントロール・ライツの配分が異なる。経営者は常に現金を不採算案件に投じることができることに対して、キャッシュ・フローが急落する際に融資枠が取り消されるため、過剰投資を未然に防ぐことになる。Yun(2009)では、コーポレート・ガバナンスの現金と融資枠の選択に及ぼす影響を分析した。株主が企業の流動性管理に同意しない場合に、増配などの要求を経営者に突きつける。コーポレート・ガバナンスへの外生ショックとして敵対的買収に関連する州レベルの法制変更を用いて、敵対的買収の圧力が弱まるとき企業は、融資枠よりも現金を相対的に増やすことが確認された。ただし、内部ガバナンスが機能する企業にこういう傾向が見られない。こういった研究結果は、企業の流動性の選択というチャネルを通じて、コーポレート・ガバナンスが機能することを示唆している。同じように、Lins et al.(2010)もエージェンシー問題の深刻さによって企業の現金と融資枠の選択が異なると示している。

日本企業については、筆者が分担者として参加している花枝英樹教授研究グループが実施した流動性管理と現金保有に関するアンケート調査が挙げられる。53.5%の企業が融資枠を設定したことがあると回答し、45.5%の企業は「なし」と答えている。無回答企業がわずか1%に過ぎないことから、コミットメントラインは既に上場企業に広く認識されているといえよう。ただし、米国と比べると、コミットメントライン利用はまだ低い。企業統治と流動性選択との関連について、機関投資家持分比率が高く、社外取締役がいる企業ほどコミットメントラインを選択している傾向が窺える。逆に、メインバンク借入比率が高いグループほど、コミットメントラインの選択率は低い。また、実際の現金比率が高いグループの方が、コミットメントラインの設定率は低い。これらの理由の1つの解釈として、内部ガバナンスが効いているほど余剰資金の保有率が低いため、コミットメントラインを選択する割合が高くなると解釈することができる。他方、内部ガバナンスが弱い故にメインバンク借入に強く依存するグループほど、余剰資金が厚く、コミットメントラインの選択率が低いと考えられる。今後、アンケート結果に基づいて、日本企業の融資枠の有無およびその利用状況(限度額や未利用枠等)、現金保有と企業統治ひいては企業銀行関係との関連の分析につなげたい。

2014年6月13日
文献
  • Acharya, Viral V., Heitor Almeida, and, Murillo Campello(2013), "Aggregate Risk and the Choice between Cash and Lines of Credit," Journal of Finance 68(5), 2059-2116
  • Acharya, Viral V., Heitor Almeida, Filippo Ippolito, and, Ander Perez(2014), "Credit lines as monitored liquidity insurance: Theory and evidence," Journal of Financial Economics 112, 287-319
  • Campello, M., E. Giambona, J. Graham, and C. Harvey(2011),"Liquidity Management and Corporate Investment during a Financial Crisis," Review of Financial Studies 24(6), 1944-1979.
  • Holmstrom, B., and J. Tirole(1998),"Private and Public Supply of Liquidity," Journal of Political Economy 106(1), 1-40.
  • Holmstrom, B. and S. Kaplan(2001)"Corporate Governance and Merger Activity in the United States: Making Sence of the 1980s and 1990s," Journal of Economic Perspectives 15, 121-144.
  • Ivashina, V., and D. Scharfstein.(2010). "Bank Lending During the Financial Crisis of 2008". Journal of Financial Economics 97: 319-38.
  • Jensen, M.(1986) "Agency Costs of Free Cash Flow, Corporate Finance and Takeovers," American Economic Review 76, pp. 323-329.
  • Lins, K., H. Servaes, and P. Tufano(2010),"What Drives Corporate Liquidity? An International Survey of Cash Holdings and Lines of Credit," Journal of Financial Economics 98(1), 160-176.
  • Sufi, A.(2009), "Bank Lines of Credit in Corporate Finance: An Empirical Analysis," Review of Financial Studies 22(3), 1057-1088.
  • Yun, H.(2009), "The Choice of Corporate Liquidity and Corporate Governance". Review of Financial Studies 22(4), 1447-1475.
  • 佐々木隆文・佐々木寿記・胥鵬・花枝英樹(2014)日本企業の現金保有と流動性管理-サーベイ調査による分析-、日本ファイナンス学会報告論文

2014年6月13日掲載

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