コラム

010: 役員の個別報酬開示と日本のコーポレート・ガバナンスの再構築

胥 鵬
RIETIファカルティフェロー

法政大学教授

米国の80年代初期と同様に、日本のコーポレート・ガバナンス改革の必要性が内外から叫ばれるようになっている。その背景には、1990年以降十数年にわたって、多くの企業の株主が投資した資金を回収できなかった事実がある。また、社外取締役、ストックオプションといった英米型コーポレート・ガバナンスのあり方は、ヨーロッパ、日本だけでなく、中国のコーポレート・ガバナンス構造にも大きな影響を及ぼしつつある。このコラムでは、コーポレート・ガバナンスの論点をレビューし、日本のコーポレート・ガバナンス改革の要として役員の個別報酬開示の重要性を力説する。

コーポレート・ガバナンスとは、外部投資家が投資した資金などを回収できることを保証する法律・制度・市場の仕組みの総体と、理解されるべきである。トヨタ、花王などの優秀な日本企業がある一方、不採算事業からの撤退を速やかに決断できなかった企業の割合が多いという事実は無視できない。では、株主が投資した資金を回収することを保証するには、どのようなコーポレート・ガバナンスが有効であろうか。コーポレート・ガバナンスの要は、経営者がいかに株式市場に対して外部投資家が投資した資金などを回収できることを保証するようにコミットすることである。このことから、業績連動報酬による経営者インセンティブは、コーポレート・ガバナンスの要中の要だといえよう。

コーポレート・ガバナンスというと、誰かが経営者を監督することをイメージする人が多い。では、誰が経営者を監督する者を雇うのか。結論は、経営者が経営者を監督する者を雇うのである。少なくとも、委員会等設置型コーポレート・ガバナンスを導入する時点で、CEOや社長が社外取締役を選任する。これは、不特定多数の零細株主は有効に経営者を監督することができないどころか、役員報酬決定、役員任免などの株主総会の機能もままならないからである。社外取締役選任に、CEOは大きな影響力を持っている。この事実は、米国では既に実証済みである。したがって、経営を監督することができる人を社外取締役に据えるか否かはもちろん、社外取締役に監督する誘引を与えるか否かも、CEOや社長の鶴の一声で決まる。たとえば、社外取締役の機能を骨抜きにしようとすれば、株式持合いと同様に互いに取締役を兼任(interlocking directorate)しあったり、兼任先の多い超多忙な社外取締役を雇ったりすることはいくらでもできる。他方で、もの言える社外取締役を雇ったり、社外取締役にストックオプションを付与してもの言えるようにさせたり、イエスマンの社外取締役を交代させたりすることによって、経営者が社外取締役の機能を強化することにコミットすることもできる。要は経営者がコミットするインセンティブがあるか否か次第なのである。

誰かが株主に代わって経営者を監督する議論は、どうどうめぐりに陥ってしまうことが多い。たとえば、経営者を監督する誘引を引き出すためには、社外取締役などに適切な誘引を与えなければならないが、さらに誰かが経営者を監督する社外取締役などを監督する機関を新設するのは、会社組織が無限に肥大化するため現実的ではない。もちろん、経営者に社外取締役などを監督させると、監督される者が再び監督する者を監督することになってしまう。役員報酬のお手盛り防止の議論も同じである。平成14年改正商法の下では、委員会等設置型会社においては、社内取締役や執行役員の報酬および決定方針は、過半数が社外取締役で構成される報酬委員会に委ねられることになる。他方、お手盛りを防ぐために社外取締役が自分の報酬を決めるわけには行かないため、結局社長や役員が社外取締役の報酬を決定する。ならば、自分の報酬を決定する経営者の報酬を決定する社外取締役の独立性は、自ずと問題となってしまう。

議論がどうどうめぐりに陥らないように再度強調しておきたいことは、有効なコーポレート・ガバナンスを構築するスタートポイントは、業績連動報酬による経営者インセンティブであるという点である。業績連動報酬による経営者インセンティブとは、形式的には株主総会や過半数が社外取締役で構成される報酬委員会が決定することになるが、実際には誰かが役員報酬を決定するのではなく経営者自ら株式市場にコミットすることである。このことから、経営者の業績連動報酬を含む報酬契約は、投資家にとって財務諸表並に重要な情報である。とりわけ、社長やCEOの個別報酬情報は極めて重要である。この点を強く意識して、米国証券取引委員会(SEC)は、1)役員報酬要約表、図表による経営業績、財務業績の産業ベンチマークとの比較、2)表形式でのCEOと他の報酬額上位4名役員の年次報酬、長期報酬の個別開示、3)ストックオプションの価値の推定、4)報酬委員会による、経営者評価のための定性・定量尺度の設定と報告、といった内容の情報開示を求めている。また、役員の自社株式取引情報も詳しく開示され、インターネットでいつでもどこでも閲覧することができる。

97年以降、ストックオプションの付与が日本で広がりつつある。このことは、日本のコーポレート・ガバナンスが従来の相対型コーポレート・ガバナンスから市場型へ移行するにあたって、株価連動報酬で役員利益と株主利益を一致させることの重要性が認識されていることを示唆する。ストックオプションなどの業績連動報酬は、投資家と株式市場に対するコミットメントであり、投資家、とりわけ、株主が投下した資金を回収することを保証する最も重要な装置のひとつである。また、ストックオプションの導入をきっかけに、日本のトップ経営者が株価をより強く意識するようになり、株価を高めるように自社株買戻しや株式持合いの解消を加速するとも考えられる。この意味から、相対型コーポレート・ガバナンスから市場型コーポレート・ガバナンスへの移行にあたって、業績連動報酬の導入は日本のコーポレート・ガバナンス改革の第一歩となった。

しかしながら、取締役全員に支払う報酬総額の上限を定める株主総会決議でよいという従来の役員報酬規制の実務・判例は踏襲されており、多くの日本企業は取締役全員に付与したストックオプションの総数しか開示していない。近年、経営業績が悪化する中で発言する株主が増加するとともに、企業の透明性を求める声が高まっている。これを象徴しているのが、役員退職慰労金や役員報酬の個別開示を求める株主提案である。たとえば、昨年6月20日に開催されたソニーの株主総会で、個別役員の報酬額開示を求める株主からの議案は否決されたが、議決権数の27%が賛成だということから、役員報酬額個別開示への株主の関心が高まっているといえよう。また、2002年商事法務株主白書によると、役員報酬や退職慰労金の不明瞭な決定方法を中心に反対票を投じる外国人機関投資家が増えている。このことから、役員個別報酬開示の要求は、決して一部の個人投資家の興味本位ではなく、外国人機関投資家と個人投資家に共通する関心事である。これは、外国人機関投資家が役員の個別報酬情報の重要性を十分認識しているからである。

従来から、日本で取締役の持株が開示されている。そうであるならば、ストックオプションに関する個々の役員の情報を開示しない理由はどこにも見当たらない。インセンティブの観点からは、事前に取締役に支払う報酬の上限を定める決議と事後に支払った報酬の額の開示では不十分であり、全員に関する報酬契約の一括情報ではなく、業務執行上、上位の取締役、たとえば代表取締役に限定するとか、または、取締役会長、取締役社長、取締役副社長に限定した上で、トップ経営者の個別報酬契約を徹底的に開示すべきである。これこそ、市場型コーポレート・ガバナンス構築の要である。また、委員会等設置型会社においては、トップ5までの役員の個別報酬を開示するか否かが、社外取締役が株主の番犬かそれとも経営側のイエスマン役かの試金石にもなる。もちろん、証券取引所なども役員個別報酬開示の規定を設けるべきである。そして、米国のように役員個別報酬開示を役員報酬、役員賞与の損金算入の条件として求めるように法人税法を改正すべきである。

2003年6月9日

2003年6月9日掲載

この著者の記事