ブレイン・ストーミング最前線 (2003年6月号)

郵政公社はどうなるのか?-郵便貯金業務の将来を中心として

高橋 洋一
コンサルティングフェロー

郵政事業に対するこれまでの提言

この4月から郵政公社が発足しました。郵政は、郵便と簡易保険と郵便貯金があるわけですが、その中の郵便貯金の問題に限ってお話しさせていただきます。郵便貯金の何が問題かといいますと、民間からいわれていることは、まず大きすぎる存在である、ということと、シェアが伸びている、ということです。結論から申しますと、郵便貯金問題というのは、実は銀行・国債市場の問題とミラー関係、つまり裏腹な関係で、銀行・国債問題が解決すれば、郵便貯金の問題も解決するということです。それをここでは、金利という視点から説明したいと思います。市場金利の原則に則れば、郵貯の残高が大きいという問題を解決できると思います。

郵貯に関してのこれまでの提言を3つ挙げてみたいと思います。

(1)郵貯改革についての提言(2001年9月経済同友会)。「国が『定額郵貯』という安全、高利かつ高い流動性という民間の個別金融機関では供給不可能な貯蓄手段を殆ど無制限に供給してきたため、日本の金融構造が特異なものとなった」。『定額郵貯』は郵貯の7割を占める主力商品です。

(2)郵便貯金事業の抜本的改革を求める私どもの考え方(2002年11月全銀協)。「これまで、郵便貯金事業は、約1400兆円の個人金融資産の2割弱を占める巨額の資金を市場原理の埒外に置くことで、我が国の金融資本市場における資金需給構造を歪め、効率的な金融資本市場の形成や、我が国の経済構造改革を進める上での、大きな障害となってきた」。郵貯は市場原理からはずれている、と主張されています。

(3)「郵政三事業の在り方について考える懇談会」報告書(2002年9月)では、具体的な民営化類型の例示として、a 特殊会社、b 三事業を維持する完全民営化、c 郵貯・簡保廃止による完全民営化、が挙げられています。

最近、経済財政諮問会議(2003年1月)というのがあって、マクロの資金の流れがおかしくなっているということが、指摘されました。

図 マクロ経済と資金の流れ(2001年度と1990年度の比較)

ここ10年、家計から民間金融機関に流れるお金以上に、郵貯に流れるお金が増えています。

しかし、金利に着目して考える時、この状態は理論的に決しておかしい状態ではないのです。ここで金利ということを一緒に考えないと、「この資金フローはおかしい」という議論になってしまうのです。

実は私が10年以上前に財務省(当時大蔵省)にいました時、5年物の国債を出そうとしました。金融資本市場の中で、国債というのは「コメ」にたとえられる中核になるもので、国債を出すことで他の5年の債券の取引も活発になり、みんながハッピーになれると思ったのですが、当時の長期信用銀行からものすごい反発を受けました。長期信用銀行は5年の金融債というのを出していたのですが、実はその金利がちょっとおかしかったのです。5年の国債が出ることによって、それがみんなに分かってしまう、だから困るということだったのです。それから数年も経たないうちに、長期信用銀行はなくなってしまいました。市場原理を無視すると、しっぺ返しがあるということを、その時つくづく思いました。

低すぎる銀行預金金利

これまで郵貯が増えてきた理由を2つ挙げます。

1つ目は銀行預金金利が低すぎたこと。これは国債に比べて、ということです。

資金の流れと金利の動きとは密接な関係があるはずで、普通「金利がこうなると、資金の流れがこうなる」という話になると思うのです。ところが、「資金の流れがおかしい」という人達は、金利のことには一切触れず、「だから組織をこう変えよう」という改革論に行き着くことが多いのです。市場原理が貫徹している状況ならば、こういう議論も成り立つと思うのですが、私は日本の状況はちょっと違うと思います。

私は「金利がおかしい」という観点からお話ししたいと思うのですが、そうすると、「金利をこう直すとこうなる」という、市場原理から予想される将来像ということしかいえなくなり、「だから、こうすべき」とか「いつまでにこうなる」とかいうこともいえないので、議論する張り合いがない、おもしろくない論だとみなされがちです。だから、あまりこういう観点で話をされる方はいないようです。

まず、金利はどう決まるのか、ということをお話ししたいと思います。預金金利は理論的には、〔同期間の国債金利+信用リスク〕で算出されます。ペイオフでの定期預金の保証は1000万円までという限度があるように、このリスクは必ずあるわけで、するとこれはマイナスにはまずなりません。では、非合理的といわれている定額郵貯の金利はどうでしょうか。定額郵貯は10年まで預けられる一方、半年経つとペナルティなしで解約できるという、流動性も兼ね備えています。理論的には、定額郵貯の金利は10年国債の金利から、この解約(プット)オプション料を引いた額で出されます。実際の数字(93年~現在)は、〔3年定期金利×0.90~0.95〕または〔10年国債金利マイナス0.5〕です。

ところが、金利の実態を見ますと(日経新聞2003年3月31日)、2年の中期国債の金利が0.049であるのに対し、他の2年もの(スーパー定期、大口定期など)は0.04になっています。これは、この時たまたま国債より低かったのだというわけではありません。

1981年から2001年の日米における預金・国債金利差(2年もの)を見ますと、その20年間にプラスになったのは、たったの5年だけ、一方アメリカは一度もマイナスになっていません。これはアメリカだけでなく、他の国でもだいたいそのようで、日本だけがマイナスになっているのです。

では、定額郵貯と10年国債の金利差はどうかといいますと、先ほどの理論を単純にあてはめることはできませんが、だいたい原理に則っています。預金金利が低い時には解約オプションの価値が高くなるわけですから、国債との金利差も大きくなっています。

定額郵貯は安全、高利かつ高い流動性を併せ持つ経済非合理的な商品といわれていますが、本当にそうなのでしょうか。安全性は国債と同程度、高利というのは、銀行預金金利から見れば高すぎる、ということでしょうが、国債金利から見れば現在の銀行預金金利は低すぎます。高い流動性といっても解約オプションの分だけ、国債金利より金利が低いのですから、納得のいくものです。つまり定額郵貯は、金利も解約オプションを考慮すれば国債と同等、個人(貯蓄)国債の代替となっているのです。国債金利が預金金利より高いという状況と郵貯シェア(郵貯に対する資金シフト)との間には関連性があり、最近の郵貯シェアの伸び方はちょっと違っているのですが、郵貯が増えた原因の何割かは単に銀行預金金利が低すぎることにあると思います。

郵貯が増えたもう1つの理由

郵貯が増えたもう1つの理由は、郵貯と競合する個人(貯蓄)国債がなかったことだと思います。郵貯は、広い意味で財政収入の一部になっていましたので、今まで財務省は楽をして資金調達できたわけで、個人国債を発行する必要を感じなかったのです。

ここでふれておきたいのは、97年から99年に行われた財投改革で、この一環で郵政の公社化というのも決まりました。どういうことをやったかというと、郵貯の運用は、財務省への預託から、郵政省が直接市場での自主運用をするということになりました。それまで郵貯は自動的に、財務省に預金されていました。その場合の預託金利というものがありまして、〔国債金利+0.2%〕でした。それが、市場で運用されるようになり、運用先はほとんど国債なので、ほぼ国債金利と同じになったということです。一方、財務省は資金の調達に、預託金は期待できなくなったので、自ら国債を発行することになります。〔今までの預託金利+0.2%〕分は、別に財務省が払っていたわけではなく、その金利をそのまま特殊法人へ転嫁していましたので、特殊法人から郵貯に移動するお金がなくなったわけです。

この財投改革の意味ですが、資金の流れからすればほとんど変化はありません。しかし、金利面から見ると全然違います。ただし経過期間があるので、それまでは補填などが行われる可能性はあります。そして財務省は郵貯に代替する財投債(国債)を出さざるを得なくなりました。

これからは郵貯と国債、どちらが勝つか、ということになると思いますが、最近郵貯の運用面での優位性は低下しています。あと調達面でも、国債がもっと調達しやすくなれば、郵貯よりも本家本元である国債の方が勝つのではないかと思います。

各国の国債保有者比率を見てみますと、日本は個人で保有している比率が異常に低いです。これは郵貯があるから、ある意味当たり前のことです。もし郵貯に資金が集まらなくなったら、もう少し個人に国債を買ってもらわなければなりません。

そして、つい最近個人国債が出ました。最低額面は1万円、償還期限は10年、金利は変動金利、〔各利払い期の10年国債金利マイナスα〕なのですが、こういう商品はコンスタント・マチュリティ・スワップですから、いわば半年後、1年後、10年後の10年国債金利を予測しながら、その価値が今の国債と同じになるようにこのα は計算されています。その意味では、この個人国債は全く国債金利そのものの商品です。そして中途換金が可能、しかもペーパーレスです。

郵貯の将来はどうなるのか

これまで郵貯が増えてきた、2つの理由はどうなるでしょう。銀行預金金利が低すぎたことについては、今後預金金利が正常化するかどうかがポイントです。もう1つの、郵貯と競合する個人国債がなかったことについては、これからそういうものが発行されることが予想されます。それで、考えられるシナリオとしては、個人国債はたぶん十分発行されます。あとは預金金利がどうなるかですが、1年とか2年とかの国債が発行されるようになると単純に比較しやすくなり、預金金利が低いということにみんな気がつくはずです。それで銀行も預金金利を上げざるをえなくなると思います。

国債は今までもたくさん出ていたのに、なぜみんな預金金利が低いことに気がつかなかったのでしょうか。83、84年頃から、国債は銀行の窓口でも売れるようになりました。しかし、預金金利が低いですから、国債を一緒に売ってしまってはかなり不利です。それよりも自分で持っておいて、預金を集めて、さやをぬいた方がよっぽど有利なのです。それで、個人国債がほとんど出回らないで、銀行が国債にたくさん投資しているという状況になっているのだと思います。

でも預金金利が上昇すれば、郵貯は銀行預金と個人国債で代替されるでしょう。もし預金金利が現状維持でしたら、郵貯は一部個人国債に代替されるだけで、あまり減らないかも知れません。

郵貯問題は、銀行・国債問題とミラー関係にあります。そして、資金の流れにのみ着目した、政治的なあるべき組織論ばかりが横行すると、低すぎる預金金利の問題はそのままになり、結局は預金者が被害者になります。金利の問題で見ると、市場原理から予想される姿はとても単純でして、あとはどのようにしたら正常な金利に近づけるか、ということですが、1つの方策として、国債を直接販売することです。そうすれば、みんな金利が分かってきます。2年国債の金利は普段新聞にも載っていないことが多いのですが、それが年中出るようになれば、分かってくると思います。今は低金利なので少し分かりにくいのですが、それでも「金利がおかしいのではないか」という議論がだんだん出てくれば、それが正常な金利関係を呼び起こしてくるのではないかと思います。

質疑応答

Q:

郵貯と銀行預金は代替性のある商品だと、みんな認識していると思いますが、国債とそういう預金が代替性のある商品だと認識されているでしょうか。また、個人国債を売る際のアクセスの問題があると思うのですが、だれも真剣に売らないなら、代替は進まないのではないでしょうか。

A:

今は確かに、預金と国債は分断されているようです。しかし、店頭で郵貯と預金と国債が並べて販売されるようになれば、みんな代替性に気がつくようになると思います。また個人国債は、ペーパーレスでその分手数料もかかりません。銀行関係では、手数料が金利よりも高くなる場合があるので、そういう面でも脅威になるかも知れません。

またアクセスの問題ですが、郵便局では郵貯から国債への代替の動きがあるようです。なぜかというと、このゼロ金利のご時世に解約オプションを考慮すれば、今の定額郵貯の金利は高すぎます。国債に代替すれば、公社の資産にもなるし、負債のリスクも減るわけです。また、アメリカなどでは、オンラインの直接販売も行われています。財務省も背に腹は代えられないので、販売経路もだんだん増えていくのでは、と思います。

Q:

預金と国債の代替ということについてですが、預金は固定金利で、国債は流通過程では、変動するリスクがあるわけです。それを同じとみなすのはよく分かりません。また、銀行の金利が低すぎるのだということですが、銀行の言い分としては預金保険料だとか、固定資産税の違いだとか、郵貯は郵政事業と一緒にやっているからドンブリ勘定だとか、いろいろいわれていますが、それは無視してもいい問題だと判断されたのでしょうか。

A:

債券は途中で売れるし、最後まで持っていることもできるという流動性の分だけ、預金より金利が低くなります。一方預金金利は、信用リスクに加えて流動性がないことを考慮しないといけません。つまり、その分金利を上げなくてはいけないはずなのです。銀行は一企業としていろいろ言い分はあるでしょう。でも私は結果的に出たものについて、判断しているのです。どこの国でも国債金利の方が、預金金利より低いのです。その違いがおかしいと思うのです。

本意見は個人の意見であり、筆者が所属する組織のものではありません。

※本稿は4月4日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

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