Research & Review (2002年12月号)

もう1つの創業支援ー『ビジネス支援図書館』とは

菅谷 明子
研究員

景気低迷が長引くなか新規事業の創出を掲げ、産学連携、大学発ベンチャー、社会人大学院、最新の情報テクノロジーを駆使したインキュベーションセンター構想など、さまざまな動きが活発化している。もちろんこうした取り組みが重要なことは確かだが、それと同時にこれだけではカバーしきれない層に対する対応も必要なのではないか。大学を離れて社会に出てしまった人、肩書きがなくても何かを実現したい意欲ある人、華々しいキャリアこそなくても長年培ってきた専門性がある人、専業主婦やドロップアウトなど、いわば「無名の人」たちだ。

こうした人たちが隠れ持っているアイデアや能力をうまく掘り起こし、育てあげていくことは、廃業率が増え続け創業がさらに落ちこむばかりの今の日本経済にとっても、重要な課題ではないだろうか。ピラミッドの上層部ばかりを狙っても多様な発想はでてこない。裾野を広げた支援こそが、これまで思いもよらないような新規ビジネスにつながる可能性を秘めている。そこで本稿では、「もう1つの創業支援」のあり方として、ビジネス支援図書館の可能性について考えてみたい。

ビジネスを支援する図書館

「ビジネス支援図書館」と聞いて、この2つの意外な組み合わせに驚かれる方も多いかもしれない。たしかに公共図書館といえば、せいぜい本を借りたり、新聞・雑誌を読むか、あるいは受験生の自習室といったイメージしかない。しかし、図書館サービスの充実で知られるアメリカでは、図書館はやる気とアイデアと好奇心あふれる市民を豊潤なコレクションに浸らせ、新しい価値を生み出すために惜しみない援助を与える、いわば「孵化器」としての側面を持っている。とりわけ、個人の経済的自立を促し地域経済を活性化させるビジネス支援は、図書館の規模を問わず広く行われているサービスの1つで、景気が低迷する時ほど重要な役割を果たしている。また、アメリカに限らず各国でも、図書館の守備範囲はかなり幅広く、ビジネスに関連したサービスを行う例は珍しくない。

世界有数の図書館として知られるニューヨーク公共図書館は、グローバル企業の数々を世に送り出してきた歴史を持っている。ゼロックスのコピー機は、特許関係の弁護士であったカールソンが、「膨大な数の特許を複写する機械があれば書き写すたびに間違いがないかを確認する手間が省ける」との漠然としたアイデアをもとに、図書館で資料を読みあさり、ある文献をヒントに静止写真画像の特許を取得したことに始まる。航空会社の草分けであるパンアメリカン航空は、飛行機好きの創設者が地図部門でハワイとグアムの間の島を発見、そこを給油基地にすればグアムまで飛行機を飛ばせると考えたことが世界初の太平洋線開設のきっかけとなった。ほかにも、ポラロイドカメラ、『リーダーズダイジェスト』誌をはじめ、図書館を活用してビジネスを生み出した人は少なくない。

図書館から巣立つビジネス

さらにニューヨーク公共図書館は1996年、デジタル時代に対応したビジネス専門図書館として、科学産業ビジネス図書館をオープンさせた。この図書館が所蔵するコレクションは幅広く、マーケティング、広告、企業年鑑や各国の貿易統計、法規制に関する資料、商標登録、特許、さらにビジネス応用科学やテクノロジーに関するものなどで、取り揃えた情報資源はきわめて実践的である。また電子情報も積極的に公開しているが、フロアには70台のコンピューターが並ぶ電子情報センターがあり、インターネットの提供はもちろん、ダウジョーンズなどをはじめとした高価な商業データベースも無料で利用できる。さらに、金融関係者にはおなじみのブルームバーグの情報端末も3台置かれ、ウォール街の企業をやめて投資会社を興した人たちや、金融業界に就職を希望する人、また個人投資家などにも活用されている。

こうした資料提供に加えて、「中国で帽子を製造するビジネスをしたい」というような漠然とした質問にもすぐに答えてくれる専門司書やリタイアしたビジネスマンがアドバイスを行ってくれる相談室も充実している。さらに、起業家講座をはじめ「事業計画書の練り方」、「スモールビジネスのための会計」、「会社の売り込み方」といった各種セミナーの開催、さらに、電子トレーニングセンターでは、インターネットやデータベースを使った貿易や特許、商標などの情報の探し方から、求人情報の集め方、情報を吟味するための情報リテラシー講座まで、連日さまざまな講習会を行っている。IT化が進むなか、図書館カードがあれば、自宅や職場のパソコンからでも、図書館のホームページを通じて、一部の商業データベースにもアクセスできる。そして、ここにあげたいずれのサービスもすべて無料なのである。

図書館の利用のされ方は実にさまざまだ。会社帰りや週末に通っては起業準備をする人、リストラされ就職活動をしている間に起業を思い立った人、中小企業に勤めていて情報環境が整備されていない人、リタイアした後に、もう一度ビジネスを始めることを思い立った人、出世の限界を感じたり、家庭と仕事の両立のために起業を考える女性など。もちろん大手企業のビジネスマンが調べものをしていたり、学者が研究に活用したり、ベンチャー精神溢れる学生が情報収集にやってきている例などもある。また、インターネットに接続できるジャックもあるため、パソコンを持ち込んで図書館をオフィス代わりに使う人もいる。

図書館の電子情報担当者は、この図書館の狙いはスモールビジネスを支援し、競争力を高めることにあるといった。今やビジネスを成功させる鍵の1つは、いかに最新の情報を多角的に収集し、分析するかにかかっているといっても過言ではない。ところが、商業データベースは非常に高価で個人経営や中小企業ではなかなか購読するのが難しい。ニューヨークの経済を支えているのは、多くの中小企業であり、誰もが情報を手に入れやすくすることで、情報のハンディをなくすことが図書館の役割だというのだ。最近ではこうした動きが加速し、マルクスが「資本論」を書いたことで知られる大英図書館が実践的なビジネス関連の資料を充実させたり、新しくオープンした上海の図書館がビジネス支援を念頭においたサービスをスタートさせた例もある。

動きはじめた日本のビジネス図書館

一方、日本でもビジネス支援図書館に対する関心が高まっている。もっとも日本でもこうした図書館が全くなかったわけでなく、神奈川県川崎図書館は昭和34年の開館以来、工業からスタートし、科学や産業などのビジネスに関した資料提供サービスを行ってきた歴史がある。しかし、ビジネス支援の重要性が広く認識されるようになったのはごく最近のことである。そのため、こうした動きをネットワーク化し、またビジネス図書館のあり方を検討するために、2000年12月に、ビジネス支援図書館推進協議会が設立された。筆者はその副会長を務めている。

ビジネス支援図書館協議会は2001年度には、事業の一環として千葉県浦安市立図書館でビジネス支援のための連続セミナーを開催した。「ビジネスチャンスを逃さないための最新情報の集め方」「図書館を利用してビジネスのアイデアを考える」「特許調査の基礎」といった講座が10回にわたって開かれ、30代、40代を中心に毎回40名ほどの参加があった。また、セミナーの後には、個別相談の窓口を設け、講師から直接具体的なアドバイスを受けられるようにしたほか、商用データベースの提供なども行われた。

2002年度は、東京都小平市立図書館を舞台に10月から5回にわたり「ビジネス情報機関および情報の利用法」「私の企業体験~働きたい主婦この指とまれ」「図書館を利用してビジネスプランを練る」といったセミナーが行われる。第1回目の10月13日には、80名の参加があった。一方東京都も新しい動きにのり出しており、2002年6月には、丸の内の東京商工会議所にビジネス支援ライブラリーをオープンさせている。

経済産業研究所は、こうした動きにさらにはずみをつけようと、9月23日にビジネス支援図書館推進協議会と共催で、シンポジウム「動きはじめたビジネス支援図書館」を主催した。3連休の最終日にもかかわらず、全国各地から約400名が一橋記念講堂(東京)に集まり、今なぜビジネス支援図書館なのか、各地の先進的な事例報告、起業家による図書館サービスへの期待など、多くの方々からさまざまなご報告をいただいた。

なかでも、スピーカーの1人で、専業主婦から全国7万人の女性をネットワークして事業を行う(株)ハー・ストーリィ代表取締役副社長となったさとうみどりさんは、自らの起業体験を語るなかで、図書館でみつけた本をヒントに事業内容を決めたことや、起業準備の際に図書館を頻繁に利用したこと、また、現在もビジネスを続けていく上で図書館を活用していると語った。

こうした例はほかにもある。以前、調査の際に地方都市の図書館で偶然知り合った40代男性は、サラリーマンをやめて念願の居酒屋をまもなく開店するところだった。単なる居酒屋ではなく、地酒を通して日本各地の土地柄を理解してもらうのがメインのコンセプトだという。起業準備のほとんどは図書館の資料を駆使して行った。メニューの選定、調理法、地酒の種類や特徴、それを生み出した各地の風土、出店先の立地、マーケティング、広告・プロモーション、広告やチラシのデザインなどなどである。「図書館はかなり使えるところなのに、ほとんどの人がそれを知らないのです」。

図書館の再考を

本来公共図書館は、市民のための情報リサーチセンターのはずである。何をするためにも情報を収集し分析することはアクションの第一歩。市場原理を基準とする書店とは明らかに異なり、図書館は多様なメディアによる網羅的な情報のストックを持ち、司書による情報ナビゲーション機能がある。また、行政の政策や、ベンチャーキャピタルなどがなかなか対象にしないような層など、図書館だからこそ可能になる人たちに向けた裾野の広いサービスが可能になる。それに加えて、とりわけビジネスに関心がなくても、図書館がそれなりの情報提供や関連の無料講座などを継続的に提供していけば、起業に目覚める層を開拓することにもつながるだろう。そして何より、土日も開館しており、実に幅広い市民が気軽に訪れる特性を生かして、ビジネスの支援を積極的に行うのは効果的だと言えるのではないだろうか。

それでは、具体的にビジネス支援サービスを行うために、どのようなことが必要になるのだろうか。これまで行ってきた調査からいえるのは、最も重要なのは、いわゆるハコモノではなく、実際にサービスに携わるスタッフにかかっているということである。多少予算が足りなくても、施設が貧弱であろうと、アイデアと情熱とリーダーシップを持ったスタッフがいれば何とかなるのである。持ち合わせの本を並べなおしてビジネスコーナーを設けたり、関連の文献リストやリンク集を作ったり、関連団体に相談窓口を図書館で行ってもらったり、自治体などのチラシやパンフレットを置くだけでもずいぶん違ってくるはずだ。余裕があれば、商用データベースなどを導入し、利用講座などを開けば、もっともっと「使えるもの」になる。もちろん、図書館側の努力だけでは不十分で、行政などによるサポートも必要である。また、自治体や商工会議所、地域振興を促進する団体、起業支援団体、NPO、ビジネスに携わる人たちなどと図書館が密接に連携し、役割分担と補完関係を明確にすることも重要だ。そして、何よりもこうしたサービスが図書館で受けられることを、市民に効果的にアピールすることである。

こう考えると、やはり図書館とビジネス支援とは、なかなか相性が良いのである。そして閉塞した経済状況が長引き、倒産する企業や失業者が増えつづけ、新規ビジネスの展望もなかなか見出せない今の日本の現状を考えた時、「もう1つの創業基地」としてビジネス支援図書館を位置付けることは、個人が持つさまざまなアイデアや能力を最大限引き出し、経済を活性化させる上で、不可欠なものだといえるのではないだろうか。

参考ウェブサイト

ご質問などは、筆者メールへ。AkikoSugaya@aol.com