図書館をインキュベーターに育てよう!

菅谷 明子
研究員

昨年のビッグニュースのひとつとして誰もが思い出すのは、島津製作所・田中耕一さんのノーベル化学賞受賞ではないだろうか。確かに田中さんの受賞は、多くの日本人に大きな希望と勇気を与えてくれたが、それと同時に知名度や肩書きばかりを重視し、真に優れた研究や斬新なアイデアを評価できない、日本の閉鎖的な体質を改めて浮き彫りにした。

社会の活性化には「無名の人」たちの潜在能力を引き出すことが必要

景気低迷が長引くなか新規事業の創出を掲げる政策が活発化しているが、こうした点においても同様の発想が見て取れる。確かに産学官の連携や大学発ベンチャー、社会人大学院、最先端のITを駆使したインキュベーションセンター構想などは重要だが、それと同時にこれらの取り組みだけではカバーしきれない層に対しての対応も必要ではないか。大学を離れて社会に出てしまった人、肩書きがなくても何かを実現したい意欲ある人、華々しいキャリアこそなくても長年培ってきた専門性がある人、専業主婦やドロップアウト組など、いわば「無名の人」たちだ。

こうした人々が隠れ持っている潜在能力をうまく引き出し、大切に育てあげて行くことは、廃業率が増え続け、創業が落ちこむばかりの日本にとって、今後ますます重要になる。ピラミッドの上層部ばかりを狙っても多様な発想はでてこない。裾野を広げた支援こそが、これまで思いもよらないような新しいビジネスにつながり、経済ばかりでなく社会をも活性化させるのではないだろうか。

このような問題意識からRIETIは、昨秋、筆者が副会長をつとめるビジネス支援図書館推進協議会と共同で、政策シンポジウム「動きはじめたビジネス支援図書館」(報告レポート参照)を開催した。ビジネスと公共図書館とは、意外な組み合わせに聞こえるかもしれないが、先進各国では経済活動の情報化にともない、公共図書館を情報サポートセンターとして位置付け、起業や中小企業、SOHOなどを支援するサービス基地として活用する例が増えている。印刷資料はもとより、高価な商用データベースの提供、専門司書による情報コンサルティング、起業など各種講座の開催、ネットワーク作りのイベント、起業相談窓口等、その内容は幅広く、基本的に無料で提供されている。

とりわけ図書館が充実していることで知られるアメリカでは、起業や就職支援のサービスが長年にわたって行なわれてきており、図書館を舞台に実に多くのビジネスが巣立っている(拙稿「新規ビジネスを芽吹かせる米公共図書館」参照)。最近では各国でもビジネス支援の重要性がさらに認識されるようになり、マルクスが「資本論」を書いたことで知られる大英図書館が、実践的な資料をそろえた、ビジネス情報サービスや科学技術ビジネスコレクションを充実させている。一方、新しくオープンした上海の図書館がビジネス支援サービスを取り入れた。また、欧州議会の決議でも、情報化が進展するなか、中小企業の情報支援の必要性を指摘している。起業や中小企業のビジネスを成功させるためには、情報収集が不可欠であることが理解され、図書館政策が経済戦略と結びつくようになってきているのである。

図書館のさまざまなビジネス活用例や活動が報告された図書館シンポジウム

シンポジウムは、日本ではこれまであまり接点がなかった図書館関係者とビジネス関係者が一堂に会し、図書館の新しい役割についての議論を深め、今後のビジネス支援サービスの展開について学びあうことを目的に行われた。当日は連休中にも拘らず、図書館やビジネス関係者はもとより、自治体関係者、NPO、学生、マスコミ各社など、全国から約400名が一橋記念講堂(東京)に集まり、各地の先進的な事例報告や起業家による図書館への期待など、さまざまな報告がなされた。

なかでも、スピーカーのひとりで、専業主婦から(株)ハー・ストーリー取締役副社長に転身された、さとうみどりさんのお話は示唆に富む。主婦の能力を社会に生かそうと、1990年にたった二人で立ち上げた会社は、女性のネットワーク会社としては日本一を誇り、全国に7万人の登録者を持つまでに成長した。そして、その事業内容を決めるきっかけとなったのが、まさに図書館で出会った本だったという。さとうさんは、起業準備の情報収集に図書館をフル活用し、イラストレーターでもある彼女は、図書館の資料を使ってイラストの勉強もした。まさに、さとうさんは図書館で夢を現実したともいえるのだ。そしてビジネスが軌道にのった今でも、図書館を利用しているという。

こうした例は他にもある。ある40代男性は、サラリーマンをやめて念願の居酒屋をまもなく開店するところだった。メインコンセプトは、地酒を通して各地の魅力を知ってもらうこと。「その辺の居酒屋とはわけが違う」と、我がミッションに燃えていた。起業準備のほとんどは図書館を活用、メニューの選定や調理法のための料理本の活用にはじまり、地酒の種類や特徴、それを生み出した各地の風土、出店先の立地、マーケティング、プロモーション、広告やチラシのデザインなど、全てが図書館の資料で間に合ったという。「図書館はかなり使えるところなのに、ほとんどの人がその価値を知らないようで残念です」と話していた。

図書館に必要なのはプロフェッショナルなナビゲーション能力

確かに日本で公共図書館といえば、本を無料で借りるか、受験生の自習室といったイメージが強いが、本来図書館は市民のための情報リサーチセンターである。何をするためにも情報を収集し分析することはアクションの第一歩。書店とは選書基準が明らかに異なる上、図書館は多様なメディアによる、網羅的な情報のストックを持ち、司書による情報ナビゲーション機能がある。そして何より、土日も開館しており、誰もが気軽に訪れることができる。

それだけに、特にビジネスに関心がなくても、図書館が情報提供や関連の無料講座などを継続的に提供していけば、起業に目覚める層を開拓することにもつながるだろう。予算がなければ、関連のチラシやパンフレットを集めるだけでも貴重な情報源になるし、関連団体に頼んで図書館で相談窓口を実施してもらえば参加者の層も広がるかもしれない。余裕があれば商用データベースなどを導入すれば、もっと「使えるもの」になる。勿論、図書館が全ての情報を揃える必要はない。大切なのは、利用者がどこで欲しい情報を入手できるのかを、プロフェッショナルにナビゲーションする能力をもつことである。

図書館は長期的な視野に立ったサービスを考えるべき

シンポジウムの詳細はウェブサイトをご覧いただきたいが、アンケートの結果や感想のメール、その他のフィードバックからも、今回のイベントは関心が高まるビジネス支援図書館の動きにさらにはずみをつけることになったのではないかと思っている。「当初、ビジネスと図書館がうまくつながらなかったが、シンポジウムでそれがわかりその重要性がよく理解できた」というご意見も多数いただいている。その後も熱気醒めやらず、ビジネス支援サービスを行いたいという各地からの相談が相次ぎ、嬉しい悲鳴をあげている。

しかしながら、具体的なお話を伺ってみると、疑問に思うことも数多い。とりわけ新しい施設にビジネス支援機能を組み込もうというケースで目立つのが、明確なミッションやビジョンを持ち合わせず、有名建築家による立派な建物と最先端の情報テクノロジーがあれば何とかなると安易に考えていることである。二つ目は、肝心のサービスの対象となる地域の特性や、市民に必要とされる情報ニーズといった基礎的なリサーチが皆無だという点である。そして三つ目は、短期的な視点のみにとらわれ、長期展望に立った息の長いサービスを念頭に置いていないことである。

これまで行ってきた調査からいえるのは、ビジネス支援サービスを行う上で最も重要なのは、いわゆるハコモノではなく、実際にサービスに携わるスタッフにかかっているということである。シンポジウムの報告にもあるように、多少予算が少なくても、施設が貧弱であろうと、アイデアと情熱とリーダーシップを持ったスタッフがいれば何とかなるのも確かなのだ。勿論、図書館側の努力だけでは不十分であり、行政や企業などによるサポートも不可欠である。地域の自治体や商工会議所、地域振興促進団体、起業支援団体、NPO、ビジネスに携わる人たちと図書館が密接に連携を取り合い、役割分担と補完関係を明確にすることも重要だ。そして、何よりもこうしたサービスが図書館で受けられることを、市民に効果的にアピールすることである。

個人の持つ能力やアイデアを引き出す為には図書館が不可欠

思えばマイクロソフトのビル・ゲイツも、シアトルの図書館を活用し起業に役立てたという。当時の彼は、大学ドロップアウトの「普通の人」であったはずだ。そして、世界有数のニューヨーク公共図書館では、ここを利用した「普通の人」たちが資料を駆使し、後に、ゼロックス、パンアメリカン航空、ポラロイドカメラ、『リーダーズダイジェスト』誌といった企業を興したことはよく知られている。

こう考えると、やはり図書館とビジネスとは、なかなか相性が良いのである。そして、ひょっとすると、こうした予備軍は目立たないながらも日本のあちこちに存在しているかもしれない。それだけに、景気低迷が長引き、新しいビジネスの展望もなかなか見出せない今の日本の現状を考えた時、図書館のビジネス支援サービスを「もうひとつのインキュベーションセンター」として位置付けることは、個人が持つさまざまなアイデアや能力を最大限引き出し、経済を活性化させる上でも不可欠なものだといえるのではないだろうか。

2003年1月7日

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2003年1月7日掲載