ブレイン・ストーミング最前線 (2002年10月号)

豊かなる衰退

横山 禎徳
上席研究員

十数年前、旧通産省のセミナーで話したことがきっかけとなり、社会システム論を考えるようになりました。産業立国から生活大国への転換には産業中心の視点から「社会システム」的視点への転換が必要だという発想です。ここでいう「社会システム」とは産業横通しの「最終ユーザーへの価値提供システム」という発想です。

日本の住宅を例にとりますと、「住宅産業」という旧来の発想では問題に対処できません。日本の住宅は狭く数が足りないと言われていますが、実際は世帯数より住宅戸数は多い上、全体の七割を占める持ち家は平均140m世界標準では狭くありません。住宅取得に手間ヒマかかる割には満足感が低いことが問題なのです。これは、「住宅供給システム」という「社会システム」のオペレーティングソフトの未整備が原因です。

複雑に絡み合った「社会システム」相互の関係を考えると、全体感を持ってデザインするのは不可能に近いのではないかと思われるかもしれません。しかし、境界条件をあまり気にしないアプローチもありうるのではないでしょうか。たとえば、都市そのもののデザインはとても複雑で、1960年代にマスタープラン的都市計画は行き詰まり、代わって、境界条件を考えないミニプランアプローチが生まれてきています。全体的にシステムが稼働していれば、システム自体が有機体的に持っている自己調節能力に依存した、いわゆるミニプランアプローチが有効なのではないでしょうか。

オペレーティングソフトの設計についてお話しますと、筑波にある学園都市は古い、ハードウェア中心の都市計画に基づいて造られた結果、近隣都市よりきれいですが、研究所同士の交流はほとんどないそうです。都市活動のソフトが組み込まれていないのです。都市はダイナミックなプロセスであり、ハードウェアだけでは機能しません。オペレーティングソフトのデザインという観点で見るべきです。「社会システム」論的発想とはオペレーティングソフトのデザインそのものといえます。

そういう観点から、日本の現状の前提として「豊かなる衰退」を提唱したいと思います。このままでは、今後、日本が衰退していくのは確実です。70~80年代にかけて米国は衰退し、その後回復したので日本も回復するのではないかという議論を耳にしますが、日本は米国とは違います。最大の違いは人口の高齢化と人口減少です。昔のよき時代に回帰したいという発想を捨て、現実を直視した上で、時代遅れになってから30年経ってしまった「社会システム」の再設計を考えるべきです。そういう意味で「豊かなる衰退」は逆説的に前向きな発想の基になるはずです。

銀行を例にとりましょう。長期資金が不足している今のロシアは長期信用銀行を必要としています。対する日本は70年代にその段階は過ぎ、90年代になって長信銀は潰れてしまいました。70年代の長信銀の企画スタッフは自分達の組織の役目が終わったことを理解していました。ところがどうしても組織は延命してしまいます。長信銀の人は優秀でしたが、システム・デザイナーではなく、「長信銀法」によって作られた「短期・長期資金転換システム」のオペレータだったのです。役所の側から見ても、今の時代は、「長信銀法」のように、法律一本でシステムが設計できるという単純な時代ではありません。まず、システム設計をした上で、そのシステムを効率的かつ効果的に運用するのに必要な法整備を考えるという順序でしょう。従って、官の役割を果たすには、ローメーカー(立法者)だけではなく、システム・デザイナーが必要とされています。システム・デザインは技術であり、優秀なだけでは十分ではなく、知識、技能、知恵の三拍子そろった相当な訓練が必要です。

さて、日本の衰退の理由ですが、市場が縮むことが最大の問題です。人口の予想以上の減少、中高年市場の未発達、平均賃金の低下の三つがその要因です。

まず、このままでいくと出生率は1.2くらいになると思います。日本では子育てと職を持つことが両立しにくく、どちらかの選択が迫られます。また、日本は未婚の母を社会通念として認めていません。スウェーデン、フランスでは未婚の母の存在を認めたら出生率も上がり、その後結婚も増えました。出生率は生物学的問題ではなく、社会・経済的問題なのに政府は有効な対策を打っていません。このままでは50年後に日本人が一億人まで減るという予測すら甘く、8千万人ぐらいになってもおかしくない状況です。

現在、人口のほぼ半数は50歳以上です。中高年の消費パターンは若者とは異なっているにもかかわらず、中高年市場を積極的に作ってきていない。これまで消費のトレンドセッターであった、約1千万人の団塊の世代は50歳代後半にいるが、「ライフスタイルに合わないものはいくら安くても買わない」という消費傾向です。2006年にはこの1千万人が60歳代に入ります。従って、このままでは市場は考えられているよりも大幅に収縮すると思います。

いくつかの国際競争力のある分野を除き、就業人口の90%を占める国内向け分野の生産性は米国の三分の二程度です。その大半はサービス業です。製造業においても、従業員の70%くらいはサービス業的業務に従事し、生産性は低い。それにもかかわらず、生産性に応じた賃金体系ではなく、「どんぶり勘定」です。しかし一度失業して、再就職しようとすると、自分自身の市場価値という厳しい現実をつきつけられるのです。今後の雇用吸収はサービス業になることを考えると、給与水準は下がらざるを得ません。今の生活水準を維持するには、今後は夫婦共稼ぎが当然になってくるでしょう。そして、それは先に述べた理由で出生率の一層の低下に結びつく可能性があります。

去年の1月にあるインタビューでピーター・ドラッカーは「日本のどこが大変なの?幸せなのじゃないの?」と言ったそうです。つまり、彼が言いたかったのは、日本はその長い歴史上でも、敗戦直後と比較しても、今が一番豊かであり、失業率は上昇したといっても、欧州の半分でしかない。豊かだからこそ踏ん張りがきかず、古くなったシステムを変えなければいけないのに、変えられないことが問題なのだ、ということです。

日本が巨大だということには変わりはありません。日本の株式市場は低迷しつつも毎年50兆円の個人金融資産が増えています。また、この霞ヶ関にある経済産業省の建物を中心に半径50km以内の個人金融資産はドイツや英国よりも大きいはずです。その上、日本には個人の保有する非金融資産が2000兆円あるといわれています。人口高齢化の意味することは、今後数十年にわたって、相続という形でこれら大量の金融、および非金融資産が世代間移動をするということです。中高年に聞けば「老後のために貯蓄している」、と言いますが、実際は使い道のないお金が余っています。そこで日本がとるべき対策を仮説として申しあげます。そこでは三つの「社会システム」デザインと一つ発想転換が必要です。

1 「一人二役」になる
2 短期滞在人口を増やす
3 二次市場を育成する
4 「日本」という発想をやめる

第一に、二か所居住の奨めです。現在住んでいる家の「稼働率」を100%から60%に落とし、40%稼動の第二の家を保有してはどうでしょうか。たとえば、首都圏の一戸建てを売ると東京に小さなマンションと仙台市の郊外に立派な一戸建てが手に入る。そうすれば、電気冷蔵庫などの家電製品も両方の家に持つことになります。これが「一人二役」の消費の意味です。そのためには、週休三日にすることです。望めば、二つの職を持つことも可能になります。週休三日制になると女性が就業しやすくなり、育児と仕事の両立がかなり楽になるはずです。休みには二つの家を移動し、消費の増加も期待されます。

労働時間が減ることを懸念する方もいるでしょうが、逆に、生産性が向上し、労働時間の減少を補う効果があるはずです。実は、ホワイトカラーの仕事の90%が定型業務であり、これまでの五日分を四日で処理することは可能だと思いますし、それでホワイトカラーの生産性が20%アップします。このように、週休三日制はいろいろな良循環を作り出す可能性が大いにあるのです。

第二に短期滞在人口の増加が実現すると経済に貢献すると思います。大都市では毎日、昼間人口という短期滞在人口が存在しています。昼間人口は何らかの消費をします。東京二三区や大阪市は世界的に見て物理的に小さな都市ですが、この昼間人口という「短期滞在人口」のおかげで経済活動規模の大きな都市になっています。

観光客も短期滞在人口です。現在、日本には年間440万人しか外国人旅行者が来ません。ちなみに韓国には年間460万人が訪れます。フランスに7000万人、スペインに5500万人、米国は5000万人の旅行者が海外から訪れ、約10兆円の消費をしていることを考えると、中国や韓国から3000万人程度の旅行者が日本に来てもおかしくないのです。

米国が数百年かけて作った様なきわめて複雑な要素の絡みあった「移民受け入れシステム」を一夜で真似ることは無理であり、その是非についての議論は無意味ですが、観光立国は実現できると思います。ところがこの分野は零細経営が多く、遅れている。そこで「外国人観光客受け入れシステム」のデザインが必要なのです。これまで「国土の均衡ある発展」を目指した結果、現在、日本のどこに行っても同じような風景が広がっています。これに対して、観光はその土地の文化風土を売りにするのですから、それぞれが特徴を出すことに努力するようになるでしょう。

その土地の風土や伝統を具現できる50歳代以上の人の雇用も増えるでしょう。ITなど使いこなせなくてもいいのです。フランスや米国は農業を観光の売りにして、本来は辛い酪農の仕事を観光農場や観光牧場に仕立てています。

第三として、本当の意味での新市場を開発する必要があります。携帯用電話市場をここで言う意味での新市場だとは私は思いません。携帯用電話の中心となる利用者は若者であり、彼らは使用料を払うために他の消費を削っているので消費が本当に拡大したことにはならないからです。

本当の新市場は二次市場であると思います。それは、中古車等の新車販売以外の自動車関連市場、株の流通市場等、一次市場よりはるかに大きいことと、成長とは違う回転市場であること、「付随市場」を作り出す可能性が大きいことなどです。二次市場がITを最も使うのです。

日本は二次市場が未発達です。たとえば、社債など流通市場は発達していません。このことが一次市場と二次市場の裁定の可能性を作らず、一次市場でのミスプライシングを起こしているのです。二次市場の育成が本当の経済効果を生むことを十分理解すべきです。

最後に「日本」という国の枠組みでの発想から脱却するべきだと思います。本来自然に国境が決まる国は日本以外数える程度で、その他の国境は人工的に決められています。経済学者のジェーン・ジェーコブスは、「都市を中心とした経済が自然で、人工的境界で経済政策を行うのは効果がない」と言っています。グローバリゼーションの補完概念は国家ではなく、地域です。都市地域経済圏の自然な発展に着目すべきです。そこでその存在感と潜在的影響力が巨大であるGreater Tokyo Metropolitan Area(GTMA)、すなわち拡大首都圏をどう位置づけるかを真剣に考えるべきです。全体として、「日本」ではなく、都市経済圏を中心とする発想に変わることによってダイナミックなアイデアがわいてくると思います。

質疑応答

Q:

拡大首都圏について詳しく教えて下さい。

A:

米国では州をまたがる都市の発展を追跡するためにSMSA(Standard Metropolitan Statistical Area)という、行政区画と関係ない統計単位が国勢調査にあります。日本もGreater Tokyo Metropolitan Area Council(拡大首都圏協議会)という、加盟したい自治体の首長と知事だけが自由加盟する組織を作り、「一極集中は危ない」などと言うヒマがあったら拡大首都圏の構造を変える議論をすべきです。拡大首都圏は4000万人程度の人口になるでしょう。政治のロジックを外し、市町村が自発的に地域の発展に積極的に参加していくことが必要となります。

Q:

なぜ、週38時間労働ではなく週休三日がよいのですか。

A:

まとめて三日休めるのがいいと思います。平日の夕食後、夫婦で買い物に出かけるようになり、その分、週末は趣味に没頭しているという家庭が増えています。休みが三日あれば趣味をベースに生活できそうです。別の職も持てるし、アメリカの三分の一といわれる父子の時間も大幅に増えるでしょう。

Q:

官に残された役割は何でしょうか。

A:

「市場メカニズム任せる」ということが誤解されているように思います。「市場メカニズムに沿って自由にやってください」ということではない。単純な野菜の朝市も皆がバラバラに集まるのではなく、八日ごとに集まるルールを決めるから八日市が成り立つのです。市場のルール等大枠のシステム・デザインは官の役目だと思いますし、健全な市場形成のための介入も官の役割です。価格・価値に関する情報開示なども官が強制力をもってやらせるべきではないでしょうか。また、あらゆる分野で二次市場の設計とその整備のための、法律面での制度作りは官の役割だと思います。

※本講演は7月29日に開催されたものです(文責・RIETI編集部)

BBL議事録「豊かなる衰退」

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