新春特別コラム:2023年の日本経済を読む~「新時代」はどうなる

情報共有は命を救う -臓器移植を例に-

齊藤 有希子
上席研究員(特任)

伊藤 由希子
津田塾大学教授

臓器移植の現状

1997年10月16日に「臓器移植法」が施行されてから25年が経った。世界的にドナーが不足する中、2008年の国際移植学会によるイスタンブール宣言により、各国は臓器提供と臓器移植の自給自足の達成に努めるべきであるとされ、国内の臓器移植推進が求められてきた。日本においても、2010年7月17日には改正臓器移植法が全面施行され、さまざまな対策が行われてきた。

しかし、日本の臓器提供数はいまだに世界的水準から乖離している。日本臓器移植ネットワーク(以下、JOT)によると、人口100万人あたりのドナーの数は0.62人であり、OPT-IN(臓器提供に同意した場合に臓器提供が行われる)という同じ制度である国々と比較しても、米国の1/68、韓国の1/14となっている。こういった状況を受け、国内では、臓器提供に関する普及啓発活動が行われている。

啓発の成果はみられている。2021年の世論調査によると、脳死下または心停止後における臓器提供の意思として、「提供したい」とする者の割合は4割であり、18歳以上40歳未満に限定すると6割近くなる。自分の死後、他者の役に立ちたいという考えは若年者になるほど広まっているといえる。

それでは、このような諸外国との乖離はなぜ生じるのであろうか。われわれは、「自分の臓器提供の意思を伝え、その意思が緊急時にも共有されるツールがそもそもない」ことが課題であると考える。普段、私たちは、臓器提供意思はもとより、自分の血液型すら申告せずに医療を受けている。現状では、これらの申告は義務ではない。 しかし、口頭で自分の意思を伝えられない危篤時に、医療者と共有できる情報が何もない。治療のために誰かが自分の情報を確認する(できる)ところからようやく治療がはじまる。そこには自分や他者にとってのさまざまな「手遅れ」がある。意思表示をはじめ、情報を共有する仕組みがないことで、命を救うという可能性の扉を閉ざしているのではないか。

意思表示の共有のあり方

まず、臓器移植に関わる主体として、①ドナー本人と家族、②ドナー提供施設、③移植実施施設の3つの主体がある。これらの主体間の情報の共有はどのように行われているのだろうか。①のドナー本人と家族は、マイナンバーカードの表紙、健康保険証、運転免許証などに書き込み、臓器提供の意思表示を行う。JOTにおいても、意思表示を行うことができるが、JOT以外での意思表示は紙媒体で管理されており、情報共有の仕組みができていない。家族に意思を伝えていることが重要となるが、家族は身内の容態の急変に直面し、正確な確認は困難であろう。

緊急時ほど、一刻を争う迅速な医療的判断が求められるが、本人は意思を伝えられないし、周囲もそれを確認できる状況にない。マイナンバーに紐づけて、本人が電子媒体で意思表示をし、それらを家族や医療施設が適切に共有する仕組みがあれば、多くの命が救われるのである。平時から、住所、生年月日、氏名、家族等の連絡先、血液型、薬剤の使用禁忌など、自分の命を守ることにつながる基本情報のほか、臓器提供意思が表示されるように登録し、必要に応じて医療機関がそれらを利用することへの同意を付しておくことが重要だ。

次に、②のドナー提供施設では、③の移植実施施設と簡易に情報共有する仕組みが必要である。脳死は、クモ膜下出血などの脳血管疾患、低酸素脳症、頭部の事故による外傷などを主な原因とする。現状では、脳死と推測される状態に医療者が直面したとしても、心肺機能を含む臓器提供という家族の選択が現実的に視野に入って初めて脳死という判断が行われる。

例えば、警察庁の交通事故の統計(2021)を例に、2010年~2020年の統計を見ると、頭部外傷が主となる交通事故だけでも、年間約2,300名の死者が発生しており、そのうち、心肺機能が維持されており、容態としての脳死が推測できる患者数は年間500名余り存在する。一方でこれまで、頭部外傷を原疾患として臓器移植が行われたのは、厚生労働省資料(2022)によると、25年間を通じて94名、年間平均約4名に留まる。脳死の状態から、実際に脳死と判定する手続きに至るのは、100人に1人以下という計算になる。

救命救急医療において、目の前の患者を救うことに注力する医療関係者、そして回復を願う家族にとって、臓器移植という医療の選択を冷静に捉えることは難しいかもしれない。しかし、すでに国民の4割が自身の臓器提供に同意しており、家族として9割がその意思を尊重すると回答している。仮に患者本人の臓器提供意思を容易に確認することができ、その情報が効率的に移植実施施設などと共有されれば、少なくとも年間200名余りの脳死判定が行われてもおかしくない。

政策提言

世界各国における臓器移植に関する制度は、大別するとOPT-INとOPT-OUT(反対の意思を残さない限り、臓器提供が行われる)に分かれている。OPT-INは、米国や韓国で適用されている制度であるが、臓器移植をGift of Lifeであると考え、慈善型の制度であると言える。一方で、OPT-OUTはヨーロッパにおいて主流となっており、臓器を共有する(Organ Share)という考えに基づいている。個人の意思は尊重しつつ、社会として、命を救う手段としての臓器移植の機会が拡大することを重視する考えだ。いずれにしても、臓器提供を行いうる機会がそもそも極めて限られるからこそ、個人の意思表示を共有し、意思や情報を無駄にしない仕組みによって、さまざまな「手遅れ」を防ごうとしている。

日本で遅れているのは「臓器提供への意思」そのものというよりは、むしろ「その意思を共有する適切な仕組み」である。特に、自分の意思や健康情報はプライバシーであり、それを共有することにはデメリットしかないという抵抗感は強い。マイナンバーへの反対論も根強い。しかし、自分の意思や情報が簡易に共有される手段を放棄すれば、例えば紙の同意書や対面での説明を通してしか情報が伝わらない。それでは、多くの人手や時間が無駄になり、その分判断も遅くなる。医療においては、治療そのものではなく、そのための情報収集や判断に時間をとられることになる。

時間を浪費して、非効率にしか情報を伝達しない仕組みに固執して貴重な人手を奪えば、いざというときに判断できる医療者がいなかったり、仮に医療者がいても判断材料を欠いたりする。結局肝心の治療に有効な時間を割けないことになり、自分や家族の命を守るための判断も手遅れになってしまう。それが社会として命を守る仕組みにならないのは言うまでもない。臓器移植に限らず、さまざまな医療現場において、非効率な情報共有では、立ち行かなくなっているのである。命を犠牲にして、いったい何の情報を守りたいのだろうか。

政府は、情報の一元化に向けて大きく動き始めている、基礎年金番号の紐づけが可能となり、2024年秋に健康保険証を廃止して『マイナ保険証』に一本化すると政府は打ち出している。このような中、臓器移植の意志表示や自身の医療情報が効率的に共有される仕組みができれば、より良い医療サービスの提供も可能になるだろう。少子高齢化が進む中、個人の情報を社会インフラとして共有する仕組みの構築は喫緊の課題なのである。

参考文献

2022年12月22日掲載

この著者の記事