新春特別コラム:2021年の日本経済を読む〜コロナ危機を日本経済再生のチャンスに

行動変容とデザイン・シンボル標準

田村 傑
上席研究員

1.はじめに

本稿では人間の行動変容を促す観点から標準の役割について記述する。とりわけデザインやシンボルに関する標準について説明したい。具体的な例として、東京都が発行している、感染症対策を取っていることを示す「感染防止徹底宣言ステッカー」が挙げられる[1]。このような、デザインに関する標準は、物理的な会話を行うことなく、メッセージを伝えることができる。社会的な距離を確保しながら非接触的にメッセージを伝える上で有効である。また、その性質から、言語依存性がないので、誰でも意味を理解することができるとの有意な点を持っている。

2.デザインとシンボルの持つ機能

シンボルによるコミュニケーションの特徴を情報伝達の観点から整理すると、非言語的であること、非接触的であること、相互コミュニケーションでないこと、複数者に対する同時の伝達であること、情報の伝達可能範囲が一定であること、などが挙げられる。これらの特徴を見ると、放送による情報の伝達機能に似ていることが分かる。

前提として非言語的であることから、図柄と伝達する情報を事前に定めておくことが必要となる。特に複数者の間で、伝達される情報の内容を事前に定めておく必要がある。つまり、図柄と意味の特定化であり、標準の形成を伴う。これがデザインやシンボルに関する標準がコミュニケーションの促進の上で果たす役割に関する背景メカニズムである。

標準の種類の分類について、おおよそ、(1)製品の製造や、製品の仕様に関するもの、(2)性能の計測手法に関するもの、およびここで述べる(3)デザインやシンボルに関するものが主なものとして考えられる。これ以外では、基礎的な概念を特定化するための用語の定義に関するものがある。

デザインやシンボルに関する標準は、日常的にもさまざまなところで見かける機会がある。まず建築物の中で見かけるのは、非常口を示すマークであろう。このマークは世界共通のものである。国際標準化機構(ISO)において国際標準化されている[2](注1)。これ以外でも、安全や安心に関する社会的な役割を担うものが多い。

デザインやシンボルに関する標準では、図柄とともに配色自体も大きな意味を有する。先の非常口のデザインは、緑に白の配色であるが、これは非常時においても、認識しやすい配色を選んである。ISOでは、このような配色に関するガイドラインに当たる標準の策定も行っている。

3.課題

人の行動変容を促すことは難しい。100人の人がいれば、それぞれの個人の効用は、第三者から把握することができない。ある行動は、ある人にとってはなんでもないこと(変容するのにコストがかからない)でも、他の人には重大なコストがかかる場合がある。また、外部からは、誰がコストをかけずに行動変容できるかを評価することができない。そのような場合に一番費用がかからない政策は、行動変容できる者に、自己選択するための情報を与えて、自発的な行動を促すことである。これがデザインやシンボルに関する標準が行動変容に果たす役割である。適切な対応がとられていることが分かれば、サービスを享受しようとする人たちに、行動の変容を促すことにつながる。

一方で、情報を伝達されても、一切の行動変容をしない人、情報を受けるとさらに行動を変容させない人は、このような政策手段の対象とはなりえない。このような人たちに行動変容させるには、追加的な政策措置が必要となる(注2)。

4.経済的分析

標準の政策効果に関する分析において定量的な観点からの政策議論はあまり行われていないのが実情である[3][4](注3)。 しかしながら、日常の生活の上で標準化されたデザインが役に立っているであろうことは先の非常口の例からも直観的に理解ができる。

標準の有効性を議論する1つの方法として、標準の有効である期間を見る方法がある。標準の有効期間は、その標準の利用されている程度が高いほど長くなると考えらえることから、標準の重要性を考察する上で意味があると考えられる。ここで述べる有効期間とは、制定されてから、廃止されるまでの期間である。

これまでも、この有効期間に着目して、産業別や国別の標準の有効期間の分析を通じて、その経済的な価値が論じられてきている。EU に関する先行研究では、電気通信分野に関する標準の生存分析により、標準の有効期間に関連する決定要因が論じられている[5][6]。

近年では、デザインやシンボル標準を含む、標準の種類が生存期間に与える影響の分析も行われてきている[7]。(1)計測に関する標準、(2)製造に関する標準、および(3)デザイン・シンボルに関する標準に分けて、日本のデジュール標準であるJIS標準に関する生存時間分析が行われている[7]。

結果としては、デザイン・シンボルに関する標準と製造に関する標準は同程度の有効期間を有するとの統計的に有意な結果が得られている。このことは、デザイン・シンボルに関する標準が、製品製造に関する標準と同程度に重要な役割を持つことを示している。

JISのデザインおよびマークに関する標準は、約600件ある。デザインやシンボルは、情報通信業やサービス業において重要な役割を果たしてきていることから、今後の重要性が高まっていく標準であると考えらえる(注4)。

5.まとめ

このような標準化されたデザインが、人間に影響を及ぼす理由は、その基本的な情報処理のメカニズムにある。人類は、長い歴史の中で、判断に必要がないものは、無意識のうちに認知するような情報処理を行うようになっている。これがいわゆる「慣れ」と言われるものである。慣れにより節約されたエネルギーをその他の活動、主に困難な課題の克服や新規知識や技術の獲得に振りむけることによって、人間社会は発展してきた。これは比喩ではなく、物理的にも、人間は複雑な情報処理を行う際に、脳内のニューロンの間での電気信号のやり取りを伴い、エネルギーを消費する(生物的には該当部分の血流が増加する)。

標準化されたデザインやシンボルは、意味が一義的に定められているために、情報処理に係る負荷が低い。また、意味する情報の伝達を、放送されるように複数者へ追加費用をかけず行うことを可能にする (つまり、単位当たりの費用は逓減する)。政策の手法は、費用と効果のバランスで選択されるべきであるが、このような標準は、情報伝達に関わる費用が低い点で、情報の伝達を受ければ行動の変容が見込まれる層には、特に有効な政策手段であると考えられる。

謝辞

本稿のコラムで紹介した研究のうち著者自身に関する研究の一部は、JSPS科研費(15K03718:研究代表者 田村 傑)の助成を受けて実施したものである。また、本稿に関する研究自体はJSPS科研費(19K01827:研究代表者 田村 傑)の助成を受けたものである。

脚注
  1. ^ この「非常口」に関するデザインは、日本からの提案が国際標準化されたものである。交渉経緯、技術的な課題などの背景については以下に詳しい。 神 忠久(2015). 誘導灯の歴史「黎明期から現在まで」. 日本照明工業会報, 日本照明工業会
  2. ^ 詳しくは、Angrist, J.D. and Pischke, J. (2015). Mastering’ Metrics: The Path from Cause to Effect. NJ: Princeton University Pressの第3章を参照。
  3. ^ 理由の詳細は割愛するが、関心のある場合は、以下を参照されたい。 Tamura, S. (2013). Generic definition of standardization and the correlation between innovation and standardization in corporate intellectual property activities. Science and Public Policy, 40 (2): 143–156.
  4. ^ JISのうち、デザイン・シンボル標準の一覧データは、以下からダウンロード可能である。 RIETI website (http://www.rieti.go.jp/en/publications/summary/14080016.html)
  5. 本稿の内容は第五期科学技術基本計画(2016~2020年度)の第5章(3)「国際的な知的財産・標準化の戦略的活用」の政策内容に該当する。
  6. 本稿の内容の引用方式:田村 傑 (2020).「行動変容とデザイン・シンボル標準」, RIETI コラム.
  7. 連絡先:
参照文献
  • [1] 東京都(2020).「事業者向け東京都感染拡大防止ガイドラインの取組の流れ」
  • [2] ISO. ISO 7010: Graphical symbols -- Safety colours and safety signs -- Registered safety signs.
  • [3] Edler, J., Georghiou, L., Blind, K., and Uyarra, E. (2012). Evaluating the demand side: New challenges for evaluation. Research Evaluation, 21: 33–47.
  • [4] Tassey, G. (2003). Method for Assessing the Economic Impacts of Government R&D. Gaithersburg, MD: National Institute of Standards & Technology.
  • [5] Blind, K. (2008). Factors influencing the lifetime of telecommunications and information technology standards. In T.M. Egyedi and K. Blind (Eds.), The Dynamics of Standards (pp.155–177). Cheltenham, U.K.: Edward Elgar Publishing.
  • [6] Cox, D.R. (1972). Regression models and life tables. Journal of Royal Statistical Society, B34: 187–220.
  • [7] Tamura, S. (2019). Determinants of the survival ratio for de jure standards: AI-related technologies and interaction with patents. Computer Standards & Interfaces (Elsevier), 66: 103332. doi:10.1016/j.csi.2019.02.005

2020年12月24日掲載

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