同一労働同一賃金をめぐって活発な論議が続いている。その過程でさまざまな具体的事例や統計データが用いられてきているが、重要なエビデンスがまだ欠けているように見える。それは、労働者の生産性と賃金の関係である。労働者間で賃金水準には大きな違いがあるが、現実に存在する賃金の差が合理的なのか非合理な差別なのかは、労働者間の賃金比較だけからは判断できず、賃金が生産性に見合っているかどうかがカギになる。本コラムでは、この点に関連する1つのエビデンスを示したい。
生産性と賃金の均衡
働き方改革は、2016年を通じて大きな政策イシューとなってきた。厚生労働省に「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」が設置され、審議が続いている(注1)。秋には首相官邸に「働き方改革実現会議」が設置され、同一労働同一賃金を含めた非正規雇用の処遇改善が、テーマの1つになっている。こうした議論は、2017年も継続すると見られる。
この問題の難しさは、現実に観察される賃金の差が経済合理性に沿ったものなのか、差別など非合理な理由によるのかが、賃金水準を比較するだけでは判断できない点にある。経済的な論理から言えば、賃金が労働者の生産性に見合っているかどうかがこの問題の本質であろう(注2)。たとえば、非正規労働者の賃金がその生産性に比べて低いとすれば、賃金水準を引き上げることが効率性の観点からも公平性の観点からも望ましい。他方、生産性と賃金が見合っているならば、賃金の引き上げは効率性を損なうだけでなく失業をもたらす危険性もある。この場合、非正規労働者の賃金を引き上げるためには、その生産性自体を引き上げるような対応が必要になる。
賃金は観測可能なので、個々の労働者の生産性を正確に測ることができれば、問題解決にかなり近づく。しかし、個々の労働者の生産性の計測は、プロ・スポーツ選手、歩合制の職業など、個人レベルのアウトプットが計測可能な職種を別とすれば、一般には相当難しい。専門的な職種、たとえば、教師では生徒の学力向上度、大学の研究者では論文の刊行数や引用数を用いて生産性を評価することがある程度可能かも知れないが、大企業のホワイトカラーや、グループ内での協力が不可欠な現場労働者では不可能に近い。労働者の生産性計測の難しさが、この問題の解決を困難にしている大きな理由である。
生産性-賃金ギャップに関するエビデンス
ただし、個々の労働者の生産性を測ることができなくても、企業の生産性を計測することは可能である。この点に着目したのが、Hellerstein and Neumark (1995)、Hellerstein et al. (1999)を嚆矢としたいくつかの実証研究である。たとえば、各企業の女性比率のデータがあれば、女性比率と生産性の関係、女性比率と賃金の関係を計測・比較することにより、平均的に女性の賃金が生産性に見合ったものかどうかを推察できる。こうしたアプローチで、年齢、性別、人種、学歴などに関する「生産性-賃金ギャップ」(生産性と平均賃金への寄与度の差)の推計がいくつか行われてきた。しかし、非正規雇用に着目した研究は意外に少なく、ベルギーの企業-従業者マッチ・データを使用したGarnero et al. (2014)は数少ない例外である。そこでは、パートタイム労働者の賃金が生産性に比べて低いことを示す分析結果が報告されている。日本でも残念ながらそうした実証分析はごく限られており、政策論議の基礎となるエビデンスが不十分な印象を受ける(注3)。
この点に関連して、筆者が最近行った分析の暫定的な結果を一部紹介したい。具体的には、「企業活動基本調査」および独自に実施した企業サーベイのデータをリンクした上で、パートタイム、女性などの生産性-賃金ギャップを計測した(注4)。詳細は省くが、約2400社のデータに基づく推計によると、パートタイム、女性、いずれも賃金水準は、その生産性への貢献にほぼ見合っているという結果だった(図1参照)(注5)。
すなわち、パートタイム労働者の全要素生産性(TFP)への貢献は、フルタイム労働者に比べると小さいが、それと同程度に賃金も低いため、結果として生産性-賃金ギャップはほとんど存在しない。女性の雇用者については、TFPへの寄与、賃金水準とも男性との差は比較的小さく、生産性-賃金ギャップも観察されなかった。
経済政策の本筋は人的資本投資
生産性と賃金が全体として均衡しているという結果は、市場競争の下で日本企業が全体として見れば合理的な賃金設定を行っており、特定の類型の労働者グループに対して差別的な賃金設定をしているとはいえないことを意味している。もちろん、「平均的に見れば」という性格のものであり、現実には企業の生産性への貢献に比して賃金が過小な労働者、過大な労働者が混在しているはずである。したがって、仮に生産性への貢献度に見合った賃金という意味での厳密な同一労働同一賃金を実現できたとすれば、パートタイム労働者の中でも、賃金が上昇する人と低下する人とが同程度生じることになるだろう。
マクロ的には、平均的に生産性と賃金が均衡しているとすれば、同一労働同一賃金の実現は、経済全体の雇用者報酬や労働分配率とはあまり関係がないことになる。他方、全体としての賃金格差を縮小していくためには、相対的に生産性の低い労働者の生産性自体を引き上げていくような人的資本投資が不可欠なことを強く示唆している。そのような取り組みは、成長政策としての意義も併せ持つはずである。
この点、「同一労働同一賃金」をめぐる議論において、賃金水準だけでなく同一の教育・訓練機会の提供も扱われているのは妥当なことである。パートタイム労働者、女性従業者を含めて、キャリアパスの整備を含む適切な人的資本投資により、生産性と賃金をともに高めることが経済政策としての本筋である。他方、今後策定される同一労働同一賃金のガイドライン及びその運用が、「働き方改革」の別の柱である長時間労働の是正や企業の生産性向上を阻害する過剰なコンプライアンス規制の上乗せにならないことを期待したい(注6)。
もちろんここでの分析は、限られたサンプルでのクロスセクション分析という限界があり、従業者の属性データなども決して十分とはいえない。確定的な結論と政策含意を導くためには、より豊富な情報を含む大規模なデータでの精緻な分析が課題であり、この分野の研究者の貢献を期待したい。また、本稿で扱ったのは、非正規労働者のうちパートタイム労働者に限られていることも留保しておきたい。