世界の中の日本の競争力と潜在余力
今年も1月28日から5日間の日程で、ダボス会議が開催される。昨年はG8議長国であった日本の福田総理が特別講演を行い、話題になった。このダボス会議を主催している世界経済フォーラムは、「世界競争力報告書」の発表でも有名であるが、これ以外にもさまざまな分野の報告書を発表している。これらの報告書における日本の順位を追ってみると、世界競争力報告書(9位)、貿易報告書(13位)、IT報告書(19位)、運輸観光報告書(23位)、金融報告書(4位)という結果になっており(注1~注5参照)、GDP世界第2位の経済大国である日本としては、経済の規模とともに質が問われる内容となっている。その中で問題なのは、ジェンダー・ギャップ報告書(注6)である。昨年11月に2008年版が公表されたが、日本の順位は130カ国中の98位でしかない(注7)。日本では政治や経済活動など社会の枢要な意思決定の場面に、女性が十分なプレゼンスを確保できていないことが問題と指摘されている。
なぜこの指標を紹介したかと言えば、グローバル化が進み、激変する国際社会の中で、天然資源の乏しい日本が繁栄を続けるには、「人“財”」こそが生命線であると考えるからである。日本が世界に誇る経済活動の力の源泉も「人」の知恵である。先進国となった日本が国際社会の中でルールメーキングの役割を果たそうとすれば、高度かつ専門的な知識を蓄えた「人」が必要になる。国内でも少子高齢化が急速に進展する中、日本の社会を活性化するのは、創意に富むアイデアや質の高いサービスを実現できる「人」なのではないだろうか。生まれながらの能力に男女で差がないこと、教育の機会は平等に確保されていることを考えると、日本にはまだまだ潜在的な成長余力が活用されずに眠っていると考えられるのである。
働き方が変わる反面、依然として男女分業モデルから抜けきれない日本
ここで、働き方に関する日本の家族の状況が、高度経済成長期後の過去30年間で大きく変わって来ていることを指摘したい。総務省の調査(注8)によれば、1980年には「雇用者の共働き世帯」の数は「男性雇用者と無業の妻からなる世帯」の半分に過ぎなかった。しかし、1991年にほぼ同数に増え、2007年には「共働き世帯」が他方の1.5倍を占めるに至っている。女性の就労に関する内閣府の意識調査(注9)でも、近年は男女ともに「子供ができてもずっと職業を続けるのがよい」が首位となっている。もはや終身雇用は成立せず、近年は不況による解雇の不安も高まり、リスク管理のために家族の収入源を分散しようと考えるのは、家計にとって合理的な行動ともいえる。
では、国民の意識も変わり、男女共同参画を実現するための諸制度も整いつつある(注10)一方で、前述の指標で示されるように、未だに日本の男女共同参画の進展度合いが非常に低い水準での停滞を余儀なくされている理由は何なのであろうか。一因として、家事労働や育児・介護といった家庭の機能が分担されずに、依然として女性の側の負担として偏在していることが考えられるのではないだろうか。特に子育てについて考えてみると、未来を切り拓く次世代が、幸福で健康な子供時代を過ごし、個々人の多様な資質を思う存分伸ばす機会に恵まれるような環境を整えることは、日本の誰にとっても最重要課題の筈である。
しかし、そのためには物理的・時間的な大人の関与が必要とされるのであり、家庭の機能が分担されないまま、仕事と“質の高い”子育ての両立を図らなければならない女性の前には困難な壁が立ちはだかるのである。出産前に仕事をしていた女性の約7割が出産を機に退職(注11)しており、男女分業モデルという支配的な価値観から脱却しきれない日本では、多くの女性は意識するしないに拘わらず、仕事を諦め子供の幸せを優先する道を選んでいる。
10年にわたる子育て期間と責任の偏在
育児支援は小学校就学前に着目されることが多いが、小学校期まで含めた10年超のスパンで考える必要がある。このことは、女性の年齢階級別労働力率(M字カーブ)の谷の期間が10年超に及んでいることからも裏付けられる。近年、小学校入学とともに、子供の生活時間がそれまでの保育所時代から激変する問題(注12)への対処の必要性が認識されつつあるように、子供の自立に節目は無く、緩やかにしか進まない。
また、親の就労を前提として運営されている保育所とは異なり、小学校では幼稚園と同様に、PTA活動としての保護者のボランティア労働が運営システムに組み込まれ、欠くことのできない役割を担っている(注13)。PTA活動は学校ごとに異なるが、通常、学級委員会等の複数の常設委員会の開催に加え、登下校時の安全指導、遊び場開放、学校フェスティバル、体験学習、広報誌の作成、離任式・謝恩会、運動や音楽等のサークル活動、本の読み聞かせ等々、子供たちにさまざまな機会を提供し大きな貢献を果たしている。
しかし、残念ながらこの運営主体に男性の参加は殆ど無く(注14)、運営方法も過去何十年間にわたり変化がない。この小学校期までを子育て優先期間と考え、一段落した母親は再び本格的に仕事を始めようとする(注15)が、10年近いブランクの影響は大きく、過去のキャリアや知識の蓄積を活用出来ないまま、本来希望する内容とは掛け離れた非常勤の仕事に就くか、就労自体を諦めてしまうことが多い(注16)。
グローバル化と人口減少が進む社会で「人」こそが日本の“財”である
じわじわと進む変化は認識し辛いが、日本は2005年から既に長期の人口減少過程に入っているのである。最新の「日本の将来推計人口」(中位推計)(注17)によれば、約50年後の2055年には、総人口が9000万人を下回り、その4割が65歳以上の高齢者になるといわれている。当然のことながら、現在6600万人程度で推移している労働力人口も減少し、若者、女性、高齢者等の労働市場への参加が進まず少子化の流れを変えられない場合、2050年には現在の3分の2弱の4200万人程度にまで落ち込むことが指摘されている(注18)。後進の世代はそのような社会に適応して行かなければならないのである。
世界的な金融不況で、雇用情勢は日々厳しさを増しているが、長期的な視野で見れば、日本にとって「人」は「財(たから)」であることに変わりはない。減りゆく人的資源の最適配分を実現するためには、若者から高齢者まで、女性も男性も、個人の能力向上への不断の努力と、更なる教育訓練機会の充実、セーフティネットに裏付けられた雇用の流動性を実現して行くことで、雇用調整部門から雇用吸収部門への円滑なマンパワーの移動を図って行くことが急務であろう。解雇のニュースと同時に、例えば医療や介護の現場では恒常的な人手不足が報じられているのではないだろうか。そして、社会全体が性別による役割固定的な男女分業モデルに決別し、次世代の育成を男女の別なく社会全体が担い、男女ともに柔軟な就労形態を実現することで、女性の子育て期の離職による技能や知識の陳腐化を回避し、日本の潜在的な成長力を十二分に発揮することのできる社会環境を整備して行く必要があるのではないだろうか(注19)。
さて冒頭でご紹介したダボス会議であるが、今年のテーマは、"Shaping the Post-Crisis World"である。2009年も厳しい経済情勢が続くと予想されているものの、世界は既に金融危機の先を考え始めている。この会議に出席する日本の政治・経済のリーダーの方々には、この先ドラスティックに変わりゆく日本のかたちを踏まえ、国民生活の質が向上し、将来に希望が持て、国民が幸せを感じることの出来る日本の絵姿を描きつつ、国際社会での実のある議論がなされることを節に願うものである。