AI時代の経済学②:完全自動化社会でもワールドカップは続くのか

池内 健太
上席研究員(政策エコノミスト)

前回のコラム「AI時代の経済学:完全自動化社会という思考実験」では、AIやロボットが社会に必要な財やサービスをほぼすべて生産できる「完全自動化社会」を思考実験として考えた。そこでは、働かなくても誰もが最低限の生活を送れるような「所得分配」のあり方について議論した。今回は、生産と分配の問題が解決された時に、人間が「どう生きるか」について、もう少し深く考えてみたい。

世間はいま、FIFAサッカーW杯の話題で持ちきりである。世界中で多くの人々が時間を使い、お金も払って、声を上げて応援し、勝敗に一喜一憂している。巨大な祭りである。音楽フェスやコンサート、映画や舞台、盆踊りや花火大会などの地域行事も、祭りの一種と言えるかもしれない。祭りは一見すると非生産的である。しかし、人類は古代から世界中で祭りを続けてきた。

現代の経済学は、生産・消費・投資を中心に発展してきた。イノベーションの経済学もまた、より良い財やサービスをいかに生み出すかを主要なテーマとしてきた。しかし完全自動化社会では、生産の問題が後景に退き、人間は自由になった時間を何に使うのかが中心的な課題になる。

ノーベル経済学賞受賞者であり、人間のあらゆる行動を経済学の枠組みで分析したゲーリー・ベッカーは、人間は所得だけでなく時間も配分すると考えた(Becker, 1965)。従来の経済学では、人間は「労働(所得を得るための時間)」と「余暇(労働以外の時間)」のトレードオフに直面していると考えられてきた。しかし、生存のための労働が必要なくなる完全自動化社会では、このトレードオフそのものが大きく変化する。残されるのは、「24時間という限られた資源をどう配分するか」という、純粋な時間配分の問題である。

一方、人間は、ただ消費するだけで満たされるのだろうか。AIが作る映画や音楽、快適な住宅や食事を享受する生活は豊かかもしれない。しかし、ワールドカップやオリンピックが人々を引きつける理由を、それだけで説明できるだろうか。将棋AIが棋士を上回っても、人々は棋士の挑戦を見続けている。

例えば飲食では、一緒に食べること、自分の料理を喜んでもらうこと自体が価値になる。教育や子育てでは、教える側(がわ)も学び変化する。観光や宿泊でも、ガイドや宿の主人との交流、おもてなし、旅をともにする人との記憶の共有が価値を生む。そこでは価値は、生産者と消費者の相互作用の中で生まれる。

そう考えると、「経済学の父」として知られる18世紀のアダム・スミスを思い出す。市場の効率性を説いた『国富論』で有名なスミスだが、その原点である『道徳感情論』では、人間には他者へ共感する能力があると論じた(Smith, 1759)。市場取引も本来は、相手が何を望み、自分が何を提供できるかを想像する行為である。その意味で、スミスの考えた市場経済の原点には、顔の見える「市場(イチバ)」があったのかもしれない。

しかし、市場が拡大し、巨大で匿名的な「市場(シジョウ)」へと発展するにつれ、人間同士の共感は後景に退いていった。目の前の相手に喜んでもらうことよりも、価格、売上、利益、ランキングといった市場評価が前面に出てくる。市場は共感を媒介する場であると同時に、共感を不要にする仕組みでもあった。

市場が共感を不要にする仕組みだとすれば、AIはその仕組みをさらに徹底する存在なのかもしれない。AIは市場メカニズム以上に精緻に、人間の欲望や資源配分を自動調整してくれるかもしれない。だが、そのとき人間は、AIが最適化した財やサービスをただ消費するだけの存在になってしまうのだろうか。

そうとは限らない。巨大で匿名的な「市場(シジョウ)」の役割がAIに置き換えられていくとしても、顔の見える「市場(イチバ)」の役割は残るかもしれない。そこでは、人々は単に財やサービスを交換するのではなく、時間と場所と感情を共有する。この「人間同士の結びつき」を、現代の経営学の視点から再定義したのが、Prahalad and Ramaswamy(2004)の価値共創論だと読むこともできる。彼らは、価値は企業が一方的に生産するものではなく、企業と顧客の相互作用の中で共創されると論じた。完全自動化社会では、この共創の論理は企業活動を超えて社会全体へ広がるかもしれない。教育、子育て、飲食、観光、スポーツ、地域活動――そこでは、人は単なる消費者ではなく参加者である。

もしそうだとすれば、完全自動化社会とは、生産と消費の社会の完成形ではない。むしろ、生産と消費を超えて、参加と共創が中心となる社会なのかもしれない。これまで経済学は、労働時間以外の「余暇」を、単なる消費や休息の時間としてひとくくりに扱い、その内部の解像度を十分に高めてこなかった。しかし、完全自動化社会における経済学が本当に向き合うべきなのは、人間が自由になった時間をどのように使い、どのように他者と参加・共創し、人間にとっての「面白さ」を生み出していくのかという問いなのかもしれない。

本稿では、その出発点として、「生産と消費」から「参加と共創」への転換の可能性を示した。参加と共創の本質は、人と人とが関わり、対話し、ともに価値を生み出すことにあるのかもしれない。

おもしろき こともなき世を おもしろく

幕末の風雲児、高杉晋作の辞世の句として知られるこの一節は、AI時代の経済学に新しい問いを投げかけている。AIが生産を担い、人間が生存のために働く必要が小さくなったとしても、人間はただ消費するだけでは満たされないだろう。他者とともに参加し、共創し、ときに狂騒することで、自ら「面白さ」を生み出していくに違いない。

完全自動化社会でも、きっと祭りは続くに違いない。

The show must go on.

参考文献
  • Becker, G. S. (1965). A Theory of the Allocation of Time. The Economic Journal, 75(299), 493–517.
  • Prahalad, C. K., & Ramaswamy, V. (2004). Co-Creation Experiences: The Next Practice in Value Creation. Journal of Interactive Marketing, 18(3), 5–14.
  • Smith, A. (1759). The Theory of Moral Sentiments.

2026年7月9日掲載