1 はじめに
2025年のノーベル経済学賞は、イノベーション研究の発展に大きく寄与した研究者たちに授与され、技術進歩と経済成長の関係が経済学の中心的テーマであることを示した。特に受賞者の一組であるアギオンとハウイット(Aghion & Howitt, 1992)は、シュンペーター(Schumpeter, 1911)が提唱した「創造的破壊」を現代ミクロ経済学の枠組みで理論化し、企業の研究開発(R&D)活動と技術進歩を内生的に扱う成長理論を確立した(注1)。
彼らの業績は、過去半世紀のノーベル経済学賞の系譜を継承している。技術進歩を成長の源泉として位置づけたロバート・ソロー(1987年受賞:Solow, 1956)、人的資本の蓄積を重視したロバート・ルーカス(1995年受賞:Lucas, 1988)、そして知識の外部性とアイデアの蓄積を成長理論に組み込んだポール・ローマー(2018年受賞:Romer, 1990)と続き、アギオンとハウイットはこの主流派の流れをイノベーション中心の現代理論へと発展させた。
このように、イノベーションはビジネスの流行語ではなく、経済学の王道ともいえる重要テーマであり続けている。一方、イノベーションの概念は、経済学の外でも大きく発展してきた。シュンペーター以降、「経営学の父」と言われるドラッカーが企業の戦略活動として体系化し、社会学者のロジャースが新技術の普及理論を広めたことで、イノベーションの概念は学術界のみならず社会一般にも広く浸透した(Drucker, 1954; Rogers, 1962)。
他方、こうした華やかな理論的発展の背後では、それを現実データで支える地道な「計測・実証研究」が積み重ねられてきた。理論が描くメカニズムは、実際にはどの程度現実を説明し、どのような経路で作用するのか。この問いに答える実証研究は理論と政策をつなぐ基盤と言えよう。次節以降、この分野の実証研究の系譜を紹介し、筆者自身の研究成果についても概観する。
2 R&D・特許データによる生産性メカニズムの検証
内生的成長論が示した「知識が経済成長を生み出す」という命題を、現実の企業データで検証してきたのがミクロ実証研究の系譜である。マンスフィールド(Mansfield, 1968)は企業の R&D 投資の経済的収益を初めて計測し、グリリカス(Griliches, 1979)は R&D を企業の生産関数に組み込む手法を整備し、R&D が生産性向上に寄与するメカニズムを実証的に捉える基盤を築いた。
グリリカス学派の重要な貢献の一つが、R&D 投資がどのようにイノベーションを生み、それが生産性や企業業績に結びつくのかを統合的に理解しようとする試みである(Crépon et al., 1998)。図1のようなR&D・イノベーション・生産性の3段階の因果構造を同時推計する枠組み(3人の提唱者の頭文字を取ってCDMモデルと呼ばれる)が、多くの研究で用いられている。筆者もこのCDMモデルを用いて日本のスタートアップと既存企業を比較分析した(Ikeuchi & Okamuro, 2013)。本研究の成果として、スタートアップ企業はR&Dをイノベーション成果に変換する効率が高い一方、イノベーションを売上や雇用に結びつける段階では既存企業が優位であるという特徴が明らかになり、初期 R&D 投資だけでなくスケールアップ段階まで含めたスタートアップ支援の設計が必要であることがわかった。
グリリカス学派のもう一つの研究潮流は、特許の引用データを活用することで、技術が地理的・技術的な距離を介してどのように伝播するかを示した知識スピルオーバーの測定である(Jaffe, 1986)。筆者も日本のデータを用いて工場の生産性に対する知識スピルオーバー効果を推計した研究に携わった(Belderbos et al., 2025)。分析結果は技術的・地理的に近接する企業や大学からの知識スピルオーバーが工場の生産性を押し上げ、特に大学からの知識は地理的に近いほど効果が強まることを示しており、地域クラスター政策が機能するメカニズムを裏付ける結果となっている(図2)。
さらに、筆者らはイノベーションが日本企業の雇用に与える影響を検証した研究も進めてきた(Fukao et al., 2017)。この研究では、プロダクト・イノベーションは雇用を増加させる一方、プロセス・イノベーションは雇用に中立的、または微小な削減効果にとどまることが分かった。イノベーションが一律に雇用を破壊するわけではなく、その性質によって効果が大きく異なることを明確にした点が重要である。
3 オープンイノベーションと制度の役割
前節で示したとおり、R&Dには知識スピルオーバーという正の外部性が存在し、企業や大学・公的研究機関が生み出した知識は周囲のプレイヤーにも波及して社会全体の生産性向上に寄与する。ただし、この外部性による「市場の失敗」ゆえに、企業等が自主的に行うR&D投資は社会的に望ましい水準より過少になりがちであり、政策による支援や制度設計が必要となる。
オープンイノベーション論(Chesbrough, 2003)は、企業が外部の知識源(大学、研究機関、他企業など)と相互作用しながらイノベーションを進める重要性を示したものであり、経営学で進められてきたイノベーション概念の多様化の流れの一部を構成する。この枠組みでは、企業が外部知識を吸収する能力だけでなく、大学や公的研究機関などに知識の源泉が十分に存在することや企業からのアクセス可能性が確保されているといった知識の供給側の基盤も重要である。
2000年代に日本で実施された「知的クラスター政策」は、まさにこの知識の供給側インフラを整備する代表的な政策であった。筆者が携わった同政策が大学および企業の研究成果に与える影響を検証した研究では、クラスターへの参加が大学の研究成果(論文数、共同研究、共著特許など)を明確に押し上げる一方、企業の研究開発成果への直接的効果は限定的であることが示されている(Okamuro et al., 2025)。これは、政策が大学を地域の知識ハブとして活性化させる一方で、企業が外部知識を取り込むためには、別途企業向けの制度的支援や能力構築が必要となることを示唆している。
筆者らは企業側の吸収能力の重要性を示した研究も進めてきた(Motohashi et al., 2024)。本研究は外部連携の効果が企業内部の研究開発能力や科学者人材の存在によって大きく左右されることを示しており、外部知識と企業内部の吸収能力の補完性がオープンイノベーションの成否を決定することを明らかにした。
企業行動を方向づける制度的仕組みとしては、研究開発税制の役割も指摘されている。筆者が行った2015年度の制度改正が企業の R&D投資や外部連携に与えた影響を分析した研究では、繰越控除の廃止が赤字企業の R&D 投資を抑制する一方、大学等との共同研究費を優遇するオープンイノベーション型の拡充が外部支出研究費を一定程度押し上げたことが示された(池内, 2022)。これは、税制が企業の外部連携行動を選択的に誘導する制度装置として機能し得ることを示すものである。
さらに、大学と企業をつなぐ知識の仲介機能の強化も制度環境の重要な構成要素である。筆者らが行った日本の大学を対象とした分析では、技術移転機関(TLO)の組織構造や専門人材の体制が技術移転成果のばらつきを説明し得ることが示されている(Ikeuchi et al., 2023)。これは制度面の整備が外部連携を支えるもう一つの基盤となることを示している。
4 おわりに
本稿では、研究開発・イノベーションが生産性や企業成長へと結びつく仕組みについて、理論・実証・政策という3つの視点から、その研究がどのように発展してきたかを概観した。成長理論はR&Dと技術進歩が成長の源泉となるメカニズムを示し、実証研究はその仕組みが企業レベルでどのように働くのかをデータに基づいて明らかにしてきた。筆者もまた、知識スピルオーバー、R&D、イノベーション、成果の連関、雇用効果、クラスター政策や研究開発税制の制度評価といった分析を通じて、理論と政策を結びつける実証研究に取り組んできた。
今後の課題は、理論・実証・制度が互いに影響し合いながら発展する「共進化」をより強固にすることである。日本においても企業・大学・知財・学術的な文献情報を横断的につなぐデータ基盤は現在まさに整備が進みつつあり、今後はこのデータ基盤の活用をどれだけ高度化できるかが重要となっている。イノベーションは企業内部の努力だけでなく、制度環境、知識基盤、人材、地域ネットワークなど、多層的な要因が相互作用して成立する。本稿で整理した視点を統合して理解することは、エビデンスに基づく政策立案(EBPM)を通じて日本のイノベーションシステムを戦略的かつ持続的に発展させる上で重要な基盤となるだろう。