AI時代の経済学:完全自動化社会という思考実験

池内 健太
上席研究員(政策エコノミスト)

「完全自動化社会」という思考実験

AIによって労働が不要になった世界では、経済学は何を考えるべきなのだろうか。もし仮に、AIやロボットが社会に必要な財やサービスのすべてを生産できるようになったら、経済問題はどこに残るのだろうか。

もちろん、完全自動化社会は近未来予測ではない。本稿では、AI時代の経済制度を考えるための思考実験として、この極限的な社会を考えてみたい。ここでいう完全自動化社会には、企業による生産だけでなく、立法・行政・司法といった政府部門の活動もAIによって大幅に支援・自動化される社会を含めて考える。

このようなことを考え始めたきっかけは、知り合いの研究者から、AIの雇用への影響に関する論文がXで話題になっていると聞いたことだった。気になって読んでみると、その論文では、AIによる人員削減が労働者の所得を減らし、消費需要を弱め、最終的には企業自身にも跳ね返る可能性が論じられていた(Falk and Tsoukalas 2026)。企業がAIで人件費を削減すれば、短期的には利益が増える。しかし、多くの企業が同じことをすれば、労働者は同時に消費者でもあるため、市場全体の需要が弱まるかもしれない。

本稿で問いたいのは、この論文の是非そのものではない。AIが労働の一部を代替するだけでなく、財やサービスの大半を生産するようになったら、何が経済問題として残るのかである。

それでも希少性は残る

AIによる雇用への影響については、すでに多くの研究がある。たとえばAcemoğlu and Restrepo(2019)は、自動化が既存の仕事を代替する一方で、新しい仕事を生み出す可能性もあることを論じている。また、技術進歩によって人間が労働から解放され、経済問題が大きく緩和される可能性については、Keynes(1930)が古くから論じていた。

では、AIやロボットが財やサービスを十分に生産できるようになれば、経済問題は消えるのだろうか。そうとは限らない。完全自動化社会でも、土地や立地、自然環境、エネルギー、レアメタルを含む希少資源は限られている。また、社会的地位や影響力や政治的な意思決定権なども、人間の意思や判断に深く関わるものであり、単純にAIに任せればよいものではない。都心の便利な場所に住みたい人が増えても土地は増えない。静かな自然環境や高度な医療資源、社会的な注目、政治的な影響力も、全員が同時に最大限に得られるものではない。

したがって、完全自動化社会でも経済問題は残る。ただし、その中心は「通常の財が不足する問題」から、「本源的に希少な資源をどのように配分するか」という問題に移る。生産能力が高まるほど、むしろ何が本当に希少なのかが浮かび上がる。

このとき、市場や価格の役割も消えるわけではない。価格は、単に企業が利益を得るための数字ではなく、何がどれだけ希少で、どれだけ需要があり、どのような供給制約があるのかを示す情報でもある。この見方は、価格を分散した情報を集約する仕組みとして捉えたHayek(1945)の古典的な議論にも通じる。

ただし、AIが市場に深く組み込まれると、価格の概念自体も変わるかもしれない。現在の価格は、希少性、品質、需要、供給、環境負荷、将来リスクなどを1次元の金銭的な数値に圧縮したシグナルである。AIエージェントが消費者や企業の代わりに多くの情報を処理できるようになれば、品質、環境負荷、混雑度、納期、信頼性、社会的影響などを含む、多次元の市場シグナルが使われる可能性がある。お金や価格の役割が変化し、より多様な評価軸が経済の調整に関わる可能性については、成田(2025)も論じている。

人間が豊かさを享受するために

完全自動化社会でより重要になるのは、人々がどのように市場や社会に参加するかである。人間が労働によって所得を得ることが前提でなくなるなら、購買力を人々に行き渡らせる仕組みが必要になる。この文脈で、ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)は、単なる失業者救済ではなく、人々が市場で選択し、自分の選好を表明するための基礎的な購買力として捉え直されるかもしれない。AIの恩恵を公平に分配するためのガバナンスが不可欠であることは、馬奈木(2025)も指摘している。

さらに、UBIも単一の金銭給付に限られない可能性がある。将来のUBIは、一定額の電子マネーだけでなく、エネルギー利用枠、基礎医療や教育へのアクセス権、データ利用を拒否・制御する権利などを組み合わせた制度になるかもしれない。完全自動化社会におけるUBIは、金額だけでなく、何へのアクセスを、どの時間単位で保障するのかという制度設計の問題でもある。

もう一つ重要なのは、人間を単なる消費者として扱ってよいのかという問題である。完全自動化社会では、人間が生活のために働く必要は小さくなるかもしれない。しかし、人間は必要に迫られなくても、何かを作りたくなる。新しい組み合わせを試したくなるし、誰かを驚かせたくなる。遊び、好奇心、表現欲求、探究心、チャレンジ精神は、人間の本質に深く関わっている。したがって、制度設計では、人々を消費できる主体としてだけでなく、創造や試行錯誤に参加しうる主体として位置づけることも重要になる。

さらに、AIやロボット、基盤モデル、計算インフラを誰が所有し、誰が制御するのかも大きな論点である。たとえすべての人に一定の所得が配られても、AIやロボットを制御する主体と、それにアクセスするだけの人々との間には、所得格差とは別の権力格差が残るかもしれない。

以上の論点はいずれも、経済学と無関係ではない。むしろ、希少な資源をどう配分するか、人々にどのような選択可能性を保障するか、所有権や制御権をどう設計するかは、経済学の中心的な問題そのものである。完全自動化社会は近未来予測ではない。しかし、この極端な思考実験は、AI時代の経済制度を考えるうえで有効な補助線になる。AI時代の経済学は、過去の経済学を捨てることではなく、その知的遺産を引き継ぎながら、新しい社会に向けて拡張していく営みなのだと思う。

参考文献
  • Acemoğlu, D. and Restrepo, P. (2019) “Automation and New Tasks,” Journal of Economic Perspectives, 33(2), 3-30.
  • Falk, B. H. and Tsoukalas, G. (2026) “The AI Layoff Trap,” arXiv preprint, arXiv:2603.20617.
  • Hayek, F. A. (1945) “The Use of Knowledge in Society,” American Economic Review, 35(4), 519-530.
  • Keynes, J. M. (1930) “Economic Possibilities for our Grandchildren,” In Essays in Persuasion.
  • 成田悠輔 (2025)『22世紀の資本主義:やがてお金は絶滅する』文春新書。
  • 馬奈木俊介 (2025)「今後のAIの社会科学」RIETIコラム。

2026年6月12日掲載