この度、RIETIの研究成果の一環として『EBPM エビデンスに基づく政策形成の導入と実践』(日本経済新聞出版)が公刊された(以下「本書」とする)。編者の一人として、本書の一端を紹介しつつEBPMと社会科学の関係について考えてみたい。
EBPMに必要な学問とは
EBPMに必要な学問分野とは何だろうか。通常それは、経済学と統計学だと考えられているだろう。実際、EBPMの基軸である因果推論においては、ルービン因果モデルに基づく統計学的手法が一般的に用いられている。また、経済政策の効果分析は主として経済学者が担ってきた。個別分野の政策効果も、例えば教育分野であれば教育経済学者、環境分野であれば環境経済学者と、経済学のディシプリンに属する研究者が中心となって分析してきた。
しかし、EBPMに必要な学問は経済学・統計学だけではない。例えば、社会学者である山口一男シカゴ大学教授のRIETIコラム「EBPMと戦後日本の近代化論」は、社会学の観点からEBPMを意義付けている。山口教授は、マックス・ウェーバーの合理性概念を手がかりに、EBPMにおいては形式合理性(手段の効率性の高さ)のみならず実質合理性(目的設定も含めた理性的判断)をも追求する必要があるとしている。所与の目的の達成のために最も合理的な手段を追求するだけでなく、その目的自体が理性的なものかどうかを吟味しなくてはならないということである。
政治学の役割
手前みそではあるが、筆者の専門である政治学もEBPMに貢献する。経済学との役割分担という観点でいえば(やや乱暴な言い方かもしれないが)、一定の目的を前提として、それを最も効率的・効果的に実現する手段を見つけるのが経済学の仕事である。一方、目的をどのように設定するか、EBPMを現実の政策プロセスの中にどのように位置付けるか、といった問題は主に政治学の担当である。
目的設定の仕方については、民主主義である以上、目的は「民主的」に決められなくてはならないという原則は多くの方が同意するところだろう。しかし、そもそも「民主的」決定とは何だろうか。国会における過半数の決定であれば民主的といえるのか。それとも国民の幅広い同意や国民の間の熟議がないと十分に民主的だとはいえないのか。こうした問いは政治学における永年の論点である。また、山口教授の指摘するような実質合理性のある政策を実現する上で民主主義は有用なのか、もしそうでないとしたら代替的ないし補完的手法は何か、といったことも政治学の重要なテーマである。
政策プロセスの点では、政治学の近接領域である公共政策学の知見が有用となる。これによれば、政策プロセスは、①政策課題設定(解決すべき課題の特定)、②政策立案(課題解決のための原案の作成)、③政策決定(決定権者による案の承認や修正)、④政策実施(決定された政策の実行)、⑤政策評価(政策の効果の評価)という各段階から構成される。⑤の政策評価の結果が①の政策課題決定にフィードバックされることにより、①→②→③→④→⑤→①→・・・という政策のサイクルが成立する。EBPMの導入に際しては、こうした政策サイクルの中に適切に位置付けることが不可欠である。本書第1章では、政策プロセスの各段階にEBPMをどのように位置付けるべきかを論じている。
また、EBPMを実効的なものとするためにはどのような政治的・行政的制度が望ましいかという検討も欠かせない。政治的・行政的制度が政策に与える影響を研究するのも政治学が得意とするところである。本書では、米国・英国といった海外の事例や日本国内での先進事例を題材として、EBPMの実効性を高める制度についての示唆がなされている。
さらには、経済学で一般的な統計的(量的)因果推論に対して、政治学や社会学は質的因果推論の手法も発展させてきた。回帰分析などの統計的分析を行うのに十分なサンプルサイズが取れない場合でも、事例研究などの質的分析によって因果推論を行うことが可能なのである。質的因果推論は、基本的にはルービン因果モデルに依拠しつつ、サンプルサイズの小さい場合に起こりがちな諸バイアス(変数無視のバイアス、事例選択バイアスなど)を回避して妥当な因果推論を行うための手法を検討してきた。質的因果推論は変数間の具体的な因果メカニズムを同定することに強みがあるため、変数間の共変関係(因果効果)に着目する統計的因果推論を補完することができる。
コミュニケーションの重要性
EBPMは必ずしも万能薬ではない。科学的な分析から得られたエビデンスだけでは、それがいかに頑健であろうとも、適切な政策が生み出される保証はない。すなわち、科学的分析に基づくエビデンスの供給は、妥当な政策立案の必要条件ではあるが十分条件ではないといえよう。
そもそも、エビデンスについて科学者の意見が一致しない場合もあり得る。科学者の間でエビデンスについて合意がなされたとしても、世論が受け入れない場合も考えられよう。科学的に見て「効果的な政策」と、倫理的に見て「適切な政策」が必ずしも一致しない場合もあるだろう(形式合理性と実質合理性が食い違う場合があるということである)。
そうした点を踏まえると、重要になるのは、科学者・政策担当者・国民間のコミュニケーションである。民主主義の下での政策決定には世論の理解と合意形成が不可欠である。丁寧にコミュニケーションを行うことを通じて、科学的に妥当な政策に向けて国民の理解を増進していかなくてはならない。
ただし、その際に「無知な一般人」を専門家が「教導」するという前提を持つことは禁物である。専門家から国民への一方向的なコミュニケーションではなく、専門家が国民との対話から学び得るような双方向的なコミュニケーションが肝要なのである。
要するに、科学的に妥当なエビデンスが供給された上で、科学者・政策担当者・国民間の双方向的コミュニケーションが的確に行われてこそ、真に有益なEBPMが実現するといえよう。この点でも、人間と社会を総合的にとらえる視座の重要性が理解されるだろう。
以上の通り、効果的で適切なEBPMを実現するためには、社会科学諸分野の知見を総動員することが欠かせない。EBPMは総合的社会科学たるべきなのである。
本書の執筆陣は、共編者である大竹文雄氏と小林庸平氏のように経済学的分析を専門とする方を中心としつつ、山口教授のような社会学者や私のような政治学者も参加している。そして何より、日本国内で先進事例を主導されている実務家の方々が多く加わってくださっていることにより、単なる机上の空論にとどまらないヴィヴィッドなEBPMのイメージを提供できていると自負している。総合的な観点からのEBPMへのアプローチを体験していただければ幸いである。