「EBPM先進国」である米国と英国では、現在その進展状況はどうなっているのだろうか。実は、近年の米英ではEBPMに対する政治的な逆風といえる事態が起こっていた。本稿では、民主主義とEBPMの関係に留意しつつ、両国におけるEBPMの最近の情勢について解説したい。
米国
米国では2016年3月にEBPM諮問委員会法(Evidence-Based Policymaking Commission Act of 2016)が成立した(注1)。同法は共和党のライアン下院議長と民主党のマリー上院議員により共同提出されたものである。同法に基づき、15名の超党派的なメンバーから構成されるEBPM諮問委員会が設置された。同委員会の使命は、プライバシーと情報の機密性を保持しつつ、エビデンス構築に資する政府保有データの利用の向上のための方策を検討することであった。
一方、2017年1月にスタートしたトランプ政権下においてEBPMが危機にさらされかねない状況が生じた。トランプ大統領は同年12月、疾病管理予防センター(CDC)に対し、「ダイバーシティ」、「トランスジェンダー」といった用語に加えて「エビデンス志向」(evidence-based)、「科学志向」(science-based)といった用語の使用を禁止したのである(注2)。
しかし米国は厳格な三権分立を特徴とする国家である。議会主導の政策を大統領が止めるのは簡単ではない。そのため上記のような大統領の意向にもかかわらず、EBPM諮問委員会における検討は進んだ。2017年9月に最終報告が出され、これを基にEBPM基盤法(Foundations for Evidence-Based Policymaking Act of 2018)が2019年1月に成立した。EBPM基盤法では、各省庁への首席データ担当官・評価担当官・統計担当官の設置、ラーニングアジェンダ(エビデンス構築計画)の作成、年次評価計画の提出などが規定されている。
具体的には、評価担当官(Evaluation Officer)を例にとってみると、同担当官は各省幹部と職員に評価についての教育を行うこと、各省幹部に評価方針と実践について助言を行うこと、他のステークホルダーや首席データ担当官・統計担当官等との連絡調整を行うことといった職務を担っている。省庁横断的な場としては、各省の評価担当官から構成される評価担当官評議会(Evaluation Officer Council)が設置されている。同評議会は、各省評価担当官の情報交換、評価能力向上等に関する行政管理予算局への助言、共通の利益のための調整・協働等を行うフォーラムとして位置付けられている(注3)。
2021年1月に就任した民主党のバイデン大統領は、政権発足早々に各省庁に対して「科学的規範とEBPMを通じた政府の信頼回復に関するメモランダム」 (Memorandum on Restoring Trust in Government Through Scientific Integrity and Evidence-Based Policymaking) と題する指令を発した(注4)。同指令では「利用可能な最良の科学とデータに基づくエビデンスに根拠づけられた決定を行うことがこの政権の方針である」と冒頭で明言され、エビデンスや科学を政策決定において重視する旨の指示が多数盛り込まれている。トランプ前大統領によって毀損された科学やエビデンスへの信頼を取り戻そうとするバイデン政権の固い意思が表明されたものであり、米国のEBPMにとって強力な追い風となることが期待される。
英国
英国では政府エコノミストをはじめとする分析専門職(analytical profession)がEBPMに大きな役割を担っている。政府エコノミストの人数はEBPMの推進を始めたブレア政権下で急速に増えた。2010年代には緊縮財政のためもあり数が伸び悩んだものの、この数年はまた増大傾向を見せ始めている(注5)。
分析専門職には政府エコノミストの他、社会調査職(social researcher)、オペレーショナル・リサーチ職(operational researcher)、統計職(statistician)、保険数理職(actuary)などがある。これらの専門職を包括するグループとして「分析ファンクション」(Analysis Function)が置かれている(注6)。分析ファンクションの事務局は国家統計局(Office for National Statistics)に置かれ、ファンクションの長は国家統計官(National Statistician)が務めている。各分析専門職を横断して、優れた取り組み(グッドプラクティス)や基準を共有し、革新的な方法を開発し、インパクトのある分析を提供することが分析ファンクションの目的である(注7)。
ところで、英国のEU離脱(ブレグジット)はEBPMには逆風であった。財務省などはEU離脱が英国経済を損なうとの予測を発表していたものの、2016年6月に行われた国民投票では僅差で離脱賛成が多数となった。離脱に賛成した有権者は経済学的なエビデンスよりも「主権を取り戻せ」といったスローガンに魅力を感じたと考えられる。離脱派が「EUを離脱すれば拠出していた予算が戻ってくるため財政が潤う」といった言説を流していたことも大きいが、こうした言説は根拠に欠けるものであった。
ブレグジット国民投票後の英国政治は大きく混乱したものの、EBPMの観点では進展も見られた。例えば、ジョンソン政権下の2021年4月には政策評価タスクフォース(Evaluation Task Force, ETF)が設置されている。ETFは内閣府と財務省の共同傘下にある組織であり、政策の有効性に関する頑健なエビデンスが政府の支出決定に当たって重視されるようにすることを目的としている。具体的には、各省の予算要求の根拠となっているエビデンスについて財務省歳出チーム(日本の主計局に相当)に助言すること、各省の評価の設計と実施に関して助言と支援を行うことなどを任務としている。またETFは、政策評価のガイドラインであるマジェンタ・ブック(Magenta Book)を財務省と共同で監修している(注8)。
ETFは発足後間もない組織であるものの活発な活動を行っており、分析ファンクションなどとともに英国EBPMの中核となっていくことが期待されよう。
最後に、民主主義とEBPMの関係についてまとめておきたい。米国のトランプ大統領や英国のブレグジットの事例に見られるように、民主主義とEBPMは一定の緊張関係にある。民主的に選ばれたリーダーがエビデンスを無視したり、有権者がエビデンスを考慮せず投票したりすることがしばしば起こり得る。とはいえ、民主主義がEBPMを制約する側面にのみ注目するのは適切ではない。エビデンスに基づいた民主的熟議が行われ、その結果として政策が選択されるような状況が実現すれば、EBPMは民主主義を活性化する役割を果たすことができる。そうした状況をいかに作り出すことができるかが重要な課題であろう。
※米英のEBPMの動向については、RIETIの研究成果である大竹文雄・内山融・小林庸平編著『EBPM エビデンスに基づく政策形成の導入と実践』(日本経済新聞出版、2022年)の第5章と第6章にも詳述されているので参考にしていただけると幸いである。