「エビデンスに基づく政策」に関するエビデンス

森川 正之
理事・副所長

「エビデンスに基づく政策形成(evidence-based policy making)」の重要性が指摘されている。OECD、世界銀行をはじめとする国際機関が積極的に推進しており、米国、英国などの先進諸国では具体的な取り組みが活発に行われている(注1)。医療、社会保障、労働政策、教育など多岐にわたる政策領域が対象となっている。日本でも科学技術政策などの分野で少し前からそうした動きが始まっている。経済産業省でもエビデンスに基づく政策形成を促す目的で、新規施策の要求に際して統計データや研究成果などの実証的根拠を条件とする方針を採るようである。予算・人員など限られた政策資源の効果的な利用という意味で歓迎すべき動きである。

政策シンクタンクの役割

エビデンスに基づく政策形成を実効あらしめるには、政策現場だけでなく研究機関の役割も大きい。たとえば、RIETIと協力関係にある欧州の代表的なシンクタンクであるIZAは、労働経済の分野の学術的な政策研究の成果を実務者向けに紹介する"IZA World of Labor: Evidence-based policy making"というウェブサイトを設けており、それらをまとめた書籍(Zimmermann and Kritikos, 2015)も刊行している。非正規雇用、男女格差、育児支援、ワークライフバランス、外国人労働力、企業内教育訓練など、日本でも政策的関心の高いイシューに関する質の高い研究成果が一般読者にもわかりやすく記述されている。

RIETIも、エビデンスに基づく政策提言を行うことを重要なミッションとしている。日本経済を持続的な成長軌道に乗せるための研究を主要分野毎に鳥瞰した最近の書籍である藤田編 (2016)には、「エビデンスに基づく政策提言」というサブタイトルが付けられている。

しかし、エビデンスに基づく政策形成を進めるためには、そもそも日本の政策現場でそれがどう意識され、実際にどの程度行われているのか、何がそれを阻害しているのかといったエビデンスを前提に考える必要がある。

エビデンスに基づく政策形成の実態

そこで、RIETIの研究成果を政策の企画・立案に結びつけていくことを目的として、エビデンスに基づく政策形成について、1)その必要性、2)政策現場での意識、3)実行状況の評価、4)阻害する要因を探るためのサーベイを実施した。その際、政策研究に携わる学者・研究者と実際に政策の企画・立案を行う実務者の認識の間のギャップを把握することが望ましい。そこで、 (A)官庁の政策実務者および(B)政策研究者(RIETIフェロー)を対象に、ほぼ同様の設問で調査を行った(注2)。あくまでも少数のサンプルに基づく簡潔なものであり、解釈に当たってはさまざまな留保が必要だが、以下、暫定的な結果の要点を紹介したい。

1)〜3)についての集計結果は図1に示す通りである。数字は多肢選択式の結果を平均したもので1〜4の範囲をとる。数字が大きいほどエビデンスに基づく政策形成が「必要だと思う」「意識されている」「実行されている」と見る傾向が強く、数字が2.5だと肯定的・否定的な見解が相半ばしていることを意味する(注3)。

図1:エビデンスに基づく政策形成について
図1:エビデンスに基づく政策形成について
(注)数字は1〜4の範囲であり、大きいほど必要性、意識、実行の程度が高いという評価を意味する。

政策実務者、政策研究者とも基本的なパタ-ンは類似しており、1)エビデンスに基づく政策形成の必要性には極めて肯定的である。ただし、2)実際の政策形成において意識されている程度についての評価はやや低く、3)現実にそうした政策形成が行われているという見方はさらに低い傾向がある。両者を比較すると、エビデンスに基づく政策形成が意識されているという見方は、政策実務者に比べて研究者ではやや低い数字であり、現実に実行されている程度についての判断でも同様の傾向がある(注4)。

この違いについての1つの解釈は、必要な「エビデンス」の量や質についての認識の差である。予算要求にしても法律改正にしても、組織内での優先順位の決定、予算編成過程での査定、国会審議など多くのハードルがあり、エビデンスなしに政策が立案されることは考えられない。また、最近は行政事業レビューなどを通じた政策の事後評価も行われるようになっている。

政策現場では、集計レベルの統計データ、企業からのヒアリング、海外の事例などが政策の必要性や改廃の傍証として多用される傾向がある。一方、研究者は、政策効果について考える際、単純な相関関係ではなく因果関係かどうか、効果の定量的な大きさなど精緻な実証分析を志向する傾向がある。そして、自然実験を用いた因果関係の推計や、最近ではランダム化比較試験を用いた政策評価が重視されるようになっている。

実際の政策形成に求められるエビデンスの量や質は、上位の意思決定者や査定者のスキル水準にも依存する。個別事例や相関関係を示されれば可とするか、それ以上のエビデンスを求めるかといった点である。

エビデンスに基づく政策形成の障害

エビデンスに基づく政策形成を妨げる要因について集計した結果が図2である(注5)。回答は複数選択方式なので、それぞれを選択した割合(%)を示している。政策実務者は、「政策がエビデンスと関係なく政治的に決まる」「統計データの解析や研究を理解するスキルが職員に不足している」「そのような慣行や組織風土がない」という順に回答が多い。一方、政策研究者は、「統計データの解析や研究を理解するスキルが職員に不足している」「日常業務が忙しく時間がない」「政策がエビデンスと関係なく政治的に決まる」という順序であり、パタ-ンに違いがある(注6)。

図2:エビデンスに基づく政策形成を妨げるもの
図2:エビデンスに基づく政策形成を妨げるもの
(注)複数回答であり、各事項を選択した回答者の割合を示す。

研究者からは極めて多忙に見える政策実務者だが、当事者は必ずしもそれがエビデンスに基づく政策形成の制約だと強く認識していない点は興味深い(注7)。「統計データの解析や研究を理解するスキルが職員に不足している」という回答は実務者・研究者ともに約2/3にのぼっており、官公庁職員の分析スキルを高めていくことが、エビデンスに基づく政策形成のインフラとして不可欠なことを示唆している。政府統計のミクロデータだけでなく、今後はビッグデータや人工知能の政策形成への応用も進んでいく可能性があり、それらの利活用に必要なスキル水準は一段と高くなるかも知れない(注8)。

結論と留意点

エビデンスに基づく政策形成の必要性を否定する人は少ない。しかし、現実にそれが実行されている度合いについては、研究者も政策実務者自身も肯定的な評価をしていない。政策立案や事後評価の仕組みを進化させていくとともに、官公庁スタッフが学術的な研究を活用するスキルを向上させる必要がある。同時に、現実の政策に対するアカデミックな学者・研究者の関心を高め、政策現場で実際に使える研究成果を蓄積し、かつ、それを理解しやすい形で発信していくことが重要である。

なお、ここでの調査対象は少数であり、また、RIETIに接点を持つ政策実務者とRIETIで政策研究に携わっている研究者だから、おそらく「エビデンスに基づく政策形成」を重視するバイアスを持つサンプルである。政策研究との接点を持たない政策実務者、政策現場との交流の機会が少ない学者の場合、見方が異なる可能性は排除できない。また、エビデンスに基づく政策形成についての評価は、あくまでも主観的な判断である。

前述の通り、エビデンスの重要性については実務者・研究者いずれも強く同意しているが、その具体的な内容については理解の差がありうる。そこをどうブリッジしていくかが、RIETIを含めて政策シンクタンクに求められる重要な役割だと考えている。

脚注
  1. ^ 特に英国では、ブレア政権以来20年近くにわたりエビデンスに基づく政策形成が積極的に推進されている(家子他, 2016参照)。
  2. ^ 調査実施時期は(A)が2015年12月〜2016年1月、(B)が2016年2〜3月である。回答数は(A)が192, (B)が50である。サーベイの実施に際しては、小川純一、茂木明美の両氏に助力をいただいた。また、御多忙の中、調査に御協力いただいた政策実務者、研究者の方々に謝意を表したい。
  3. ^ 1)の具体的な設問は、「エビデンスに基づく政策形成が必要だと思いますか?」で、選択肢は、「必要」「ある程度必要」「あまり必要ではない」「全く必要ではない」「何とも言えない/わからない」の5つである。2)は、「業務の実施に当たり、エビデンスに基づく政策形成を意識していますか?」(研究者を対象とした調査では「意識されていると思いますか?」という文言)という設問で、選択肢は「意識している」「ある程度意識している」「あまり意識していない」「全く意識していない」、「何とも言えない/わからない」である。3)は、「エビデンスに基づく政策形成が、日本において現実にどの程度行われていると思いますか?」という問いで、選択肢は「行われている」「ある程度行われている」「あまり行われていない」「全く行われていない」「何とも言えない/わからない」である。本文中の図では、いずれも最後の選択肢を除いた集計結果を示している。
  4. ^ 統計的には、2)および3)いずれも1%水準で有意差がある。
  5. ^ 具体的な設問は、「エビデンスに基づく政策形成を妨げるものは何だと思いますか?」で、複数回答の選択肢は、「日常業務が忙しく時間がない」「そのような慣行や組織風土がない」「政策がエビデンスと関係なく政治的に決まる」「統計データの解析や研究を理解するスキルが職員に不足している」「そもそも政策形成に役立つデータや調査研究が少ない」「その他」である。
  6. ^ 「日常業務が忙しく時間がない」「そのような慣行や組織風土がない」「政策がエビデンスと関係なく政治的に決まる」の実務者と研究者の回答割合は、いずれも5%水準で統計的な有意差がある。一方、「統計データの解析や研究を理解するスキルが職員に不足している」「そもそも政策形成に役立つデータや調査研究が少ない」は、図からもほぼ自明だが有意差がない。
  7. ^ 米国の大学を一時離れて労働省チーフ・エコノミストを務めた自らの経験に基づいて、経済学の研究と政策形成の実態を論じたKugler (2014)は、米国政府内の政策形成は驚くほどエビデンスに依拠しているが、政策現場にとって最大の制約は時間であると述べている。その上で、十分な時間的余裕を持って詳細な政策分析を行うことができる学者・研究者と、政策実務者の間の交流を拡大することが必要だと指摘している。
  8. ^ 内山 (2015)は、英国においてエビデンスに基づく政策形成を重視したブレア政権以降、「政府エコノミスト」と呼ばれる専門家集団の採用が増加したことを示し、日本の政策立案力を高めるためには、採用方法など公務員人事制度の再検討が必要だと論じている。
参考文献
  • 藤田昌久編 (2016), 『日本経済の持続的成長:エビデンスに基づく政策提言』, 東京大学出版会.
  • 家子直幸・小林庸平・松岡夏子・西尾真治 (2016), 「エビデンスで変わる政策形成:イギリスにおける「エビデンスに基づく政策」の動向、ランダム化比較試験による実証、及び日本への示唆」, 三菱UFJリサーチ&コンサルティング政策研究レポート.
  • Kugler, Adriana (2014), "Labor Market Analysis and Labor Policymaking in the Nation's Capital," Industrial and Labor Relations Review, 67, Supplement, 594-607.
  • 内山 融 (2015), 「政策立案能力高めるには:経済分析の専門家採用を」, 5月29日付け「日本経済新聞」経済教室.
  • Zimmermann, Klaus F. and Alexander S. Kritikos (2015), Evidence-based Policy Making in Labor Economics, London and New York: Bloomsbury.

2016年5月27日掲載

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