ここ数年、世界各国で産業政策に対する関心が高まっている(注1)。これまで、産業政策は、さまざまな時期に様々な国で導入されてきたが、世界でも特に注目を浴びているのが、戦後の日本の産業政策である。その理由は、戦後20年余りの日本の経済成長に、政府の政策的な介入が貢献したと考えられていることにある。このため、日本の産業政策の例にならう形で、米国を始めとする多くの国々が、ある特定の産業に重点的な政策介入を行ってきた(注2)。
産業政策への関心の高まりと並行して、日本の産業政策の効果に関する実証研究も大きく進展している。このコラムでは、日本の産業政策が生産性に及ぼす影響に注目し、特に、その最新の研究成果-東京大学大学院経済学研究科の岡崎哲二教授との共同研究の結果(Kiyota and Okazaki、2010)-をもとに、産業政策の定量的な効果について議論したい(注3)。
産業政策と生産性
議論を進める上で、まず、このコラムで取り上げる2つのキーワードの意味を説明しておこう。第1は産業政策であり、第2は生産性である。一口に産業政策と言ってもその内容は多岐に渡っている。このコラムでは、成長産業・衰退産業に関わらず、「ある特定の産業に重点的に行われる政策的な介入」を産業政策と呼ぶことにする。
一方、生産性については、労働生産性と全要素生産性(Total Factor Productivity: TFP)と呼ばれる生産性指標に注目する。生産性の指標としてよく利用されているのが、労働生産性である。労働生産性とは労働投入一単位に対し、どれだけの産出が生み出されたかを見る指標である。労働生産性は簡便でわかりやすいという利点があるが、労働投入以外の影響を考慮できないという難点もある。たとえば、労働投入や労働者の効率に全く変化がなくても、コストをかけて資本設備を増強すれば、産出量は拡大する。この結果、労働生産性は上昇することになる。しかし、この産出の上昇は単に投入の拡大によるものであり、必ずしも生産効率の上昇を意味しない。このような問題を克服するための指標がTFPである。TFPは労働投入を含む全ての生産要素の組み合わせ一単位に対し、どれだけの産出が生み出されたかを見る指標である(注4)。本コラムでは、労働生産性だけでなく、TFPにも注目して議論を進めることにしたい。
産業政策の効果
日本の産業政策に関する定量的な分析の例としては、Beason and Weinstein (1996)やOkazaki and Korenaga (1999)、Kiyota and Okazaki (2005)などがある。これらの研究で確認されている主要な結果は、次の2点にまとめられる。第1に、産業政策は、労働生産性の上昇に寄与していたことである。第2に、産業政策は、TFPの上昇には必ずしも寄与していないことである。これらの結果は、次のようなメカニズムを示唆している。すなわち、産業政策は投資の拡大を通じて、資本蓄積を促した。それが産出の拡大に貢献し、労働生産性の上昇につながった。しかし、産出の拡大は単に資本投入の増加に伴うものだった。このため、生産効率の上昇、すなわちTFPの上昇にはつながらなかった。
日本の産業政策がTFPの上昇には貢献しなかったとすると、次に重要な疑問は「政策が機能しなかったからTFPが成長しなかったのか?」それとも「政策が機能したからTFPが成長しなかったのか?」という点になる。「政策が機能しなかったからTFPが成長しなかった」のであれば、問題は政策の実行段階にあることになる。しかし、「政策が機能したためにTFPが成長しなかった」のであれば、それは制度設計そのものに問題があったことになる。
このような疑問に答えるため、Kiyota and Okazaki (2010)は日本の紡績業に注目し、産業政策の効果を定量的に分析した。1950年代、紡績業は、十大紡と呼ばれる10社の大手紡績企業が市場全体のほぼ半分のシェアを占めていた。1950年代の紡績業は、海外からの輸入だけでなく、国内の競争も規制されていた。しかし、1960年代、紡績業は貿易自由化を通じて国際競争に直面することになる。この貿易自由化に先立ち、紡績業に政策的な介入が行われることになった。その主な目的は、綿糸供給の安定化にあった。Kiyota and Okazaki (2010)は、この紡績業への政策介入が紡績企業のTFPにどのような影響を及ぼしたのかについて分析を行った。
分析の結果、産業政策が紡績企業の産出量をコントロールする上で有効に機能していたことが明らかになった。十大紡の市場シェアはほぼ20年間に渡って一定だった。その一方、この産出量のコントロールは、紡績業全体のTFPの低下につながった。これは、十大紡のTFPが低下したことに起因している。十大紡のTFPが低下していたにも関わらず、市場シェアが維持されていたため、産業全体のTFPの低下につながってしまった。その結果、20世紀初頭以降、日本経済を支え続けた紡績業は、1960年代半ばに衰退を迎えることになる。
この研究のポイントは、ある特定の産業に重点的に行われる政策に副作用がありうることを明らかにしている点にある。紡績業に対する産業政策は、大企業の市場シェアを維持することを通じて、市場の安定化に貢献した。その一方で、生産効率の低い企業から高い企業への資源の移行(資源再配分)を抑制してしまい、生産効率の高い中小企業の成長の芽を摘み取ることになった。結果として、産業全体では、TFP成長率の停滞という代償を支払うことになったのである。
政策的インプリケーション
Kiyota and Okazaki (2010)の研究を通じて得られた「教訓」を一言で表現するなら、産業政策は「諸刃の剣」ということになるだろう。ある特定の産業に対する重点的な政策介入は、ある目標を達成する上では有効かもしれない。しかし、その目標を達成することで、その産業内の資源再配分を阻害し、結果として、産業全体の中長期的な生産性の成長を阻害してしまう可能性がある。
また、この「教訓」は、産業内の資源再配分だけでなく、産業間の資源再配分にも生かすことができる。ある産業に対する政策的な介入は、その産業のTFPの上昇に寄与する一方で、非効率な産業から効率的な産業への資源再配分を阻害してしまうかもしれない。この場合、TFP上昇のプラスの効果が資源再配分の阻害というマイナスの効果を上回らなければ、経済全体としてはマイナスの効果になってしまう(注5)。経済成長を政策目標の土台に掲げるなら、政策介入が産業内・産業間の資源再配分を阻害しないように、経済全体を俯瞰して制度設計を進めて行く必要がある。