国際金融危機以降におけるアジア通貨の二極分化
2009年の夏には、1年前からはじまった急激な景気後退は、多くの国における財政・金融の景気刺激策が功を奏して、ようやく底打ちをして、世界経済は回復基調にあるとの見方が大勢となった。しかし、今後の世界経済が、急回復(V字型)をするという見方は少数派で、ゆっくりとして回復(U字型)か、より時間をかけて回復(レ型)になる、という見方が多い。欧米の不良債権処理が遅れれば二番底(W型)となる可能性を指摘するものも多い。
世界的な景気後退のなかでは、中国をはじめとするアジア経済は比較的早く景気回復の芽が出ている。急速な落ち込みの主因であった製造業の収益がようやく回復の兆しを見せている。さらにアジア諸国における消費・投資を増やすことが世界経済にとっても大きなプラスになるという期待もある。アジア諸国のプレゼンスはさらに、高まっている。
この1年間(2008年9月-2009年8月)の世界経済が急激に収縮する発端を作ったのは、欧米の投資銀行が組成して、多くの金融機関や投資家が保有していた証券化商品の急激な価格下落(多くは紙くずになった)である。資産価値が下落することで、資本が毀損して、経営の継続がむずかしくなった金融機関も多い。危機の当初は、世界中の資産を売却して本社の財務を助けようという動きもあって、世界中の資産価格(株価や不動産価格)が下落して、国際資本移動に大きな変化が起きた。そのなかで、為替レートにも大きな変動が起き、対ドルで円が上昇、ユーロは下落、さらに資源関連国の通貨も下落した。たとえば、円はキャリー・トレードの進展により、実体経済から見て減価した水準にあったが、金融機関のデレバレッジング(借金による投資活動の巻き戻し)のなかで、キャリー・トレードが解消したが、これは円の増価に貢献した。また、世界の金利がゼロに近づく中で、金利差は失われ、円はさらに増価した。
今回の国際金融危機のなかで、アジアの金融機関の直接の損失は比較的軽微にとどまった。しかし、金融危機による資産価格の変動、実体経済の収縮は、一部の金融機関に損失を与えた。また、欧米の金融機関や投資家の動きが発端となった資本移動により、アジア域内の通貨も大きく変動した。一部は、危機発生前の行き過ぎたレベルの是正であり、一部は国際金融危機の余波を受けたあらたな動きである。
それでは、この時期にアジア通貨の為替相場はどのように推移しているのかを概観してみよう。まず東アジア13カ国通貨の加重平均値であるアジア通貨単位(AMU)が、主要通貨(ドル、ユーロ)に対してどのように推移しているかを見てみよう。下のグラフは、2004年4月以降のAMU対米ドル-ユーロ・バスケット(注1)、対ドル、対ユーロの推移を表したものである。これによると、AMU対ドル-ユーロ・バスケットは2009年以降ほぼ1に近い水準にあり、AMUのベンチマーク期間である2000年・2001年時の水準に回復してきたことがわかる。AMU対米ドルは1.10であり、国際金融危機以降対ドルで円高傾向にある日本円の影響から強含みで推移している。一方、AMU対ユーロは、2008年9月のリーマンショック以降はそれ以前の水準である0.70から0.85まで増加したものの、現在は0.80を下回る水準で推移しており、依然として基準年に対して、ユーロ高の傾向にある。
次に、東アジア13カ国の域内通貨間の為替変動を表すAMU乖離指標の推移を見てみよう。
上のグラフは2004年4月から直近の2009年8月20日までのAMU乖離指標の動きを表している。これによると、リーマンショックが起こった2008年9月以降東アジア通貨の二極分化が鮮明となっている。強い通貨のグループ(日本円、中国元、タイバーツ、シンガポールドル)と弱い通貨のグループ(その他東アジア通貨)の乖離は依然として縮まっていない。
このようなアジア通貨間での為替変動が実体経済に与える影響は少なくない。たとえば、アジア通貨間のなかでも最も変動の激しい日本円対韓国ウォン相場は、2007年半ばにはAMU乖離指標の差でみると30%以上ウォン高であったのが2008年以降急落し、2009年8月時点でもほぼ20%円高で推移している。この結果、韓国の主要な電気・電子産業は2009年4-6月期には国際金融危機以前の水準まで業績が回復しており、依然として業績不振が続く日本メーカーに圧倒的な差をつけている。また、2005年7月の中国人民元の為替制度改革以降、徐々に対ドルで増価してきた中国元に対して、依然としてドルペッグ政策を続けるベトナムドンは割安に推移しており、アジアに製造拠点を展開する日系企業の中で中国からベトナムなどの弱い通貨グループ国へ生産拠点の割合を高める傾向が顕著となっている(もちろん、中国以外への生産拠点の分散化は、通貨以外の要因もある)。
ASEANと中国は2009年8月に自由貿易圏の投資合意を正式に調印し、2010年1月からは発展途上国で構成される世界最大の自由貿易圏が誕生することになる。このような状況において、アジア域内における競争的通貨切り下げを回避し、通貨の安定を図るという観点からも、AMU乖離指標を用いてアジア通貨間の相場を注視する必要が高まっていくと予想される。
アジア通貨単位CMI(AMU-cmi)のデータ新設の目的
アジア通貨単位(AMU)は、RIETIと一橋大学COEの共同プロジェクトとして2005年9月より創設された東南アジア諸国連合(ASEAN)の10カ国、および日本、中国、韓国の合計13カ国の通貨で構成される共通通貨バスケットである。AMUにより計算されるAMU乖離指標は、2000年5月に合意された東アジア域内における二国間通貨スワップ取極(BSA)のネットワークの構築等を内容とするチェンマイ・イニシアティブ(CMI)下での域内経済のサーベイランス(相互監視)指標として提案してきたものである。AMUのバスケット・ウェイトは、欧州通貨制度(EMS)の下で採用した欧州通貨単位(ECU)を算出する際に用いた手法に基づき、東アジア13カ国の域内貿易シェアと購買力平価で測ったGDPシェアの算術平均によって算出されているが、その計算方法についてはこれまで多くの議論がなされてきた。
今回の国際金融危機を受けて、2009年5月3日にインドネシアのバリで行われた第12回ASEAN+3(日中韓)財務大臣会議ではCMIの強化策が提案され、その資金規模は1200億ドルに増額された。さらに、CMIのマルチ化(CMIM)が2009年末までに機能させることで合意されたことにより、今後CMIにおける独自の経済サーベイランスの実現が不可欠となり、アジア域内の金融協力の強化(1997年のアジア通貨基金(AMF)構想の精神にかなうもの)が進むことが予想される。
資金総額1200億ドルのCMIMでは、各国の貢献額が決められている。アジア域内の平均価値の計算にあたり、この各国の貢献度をバスケット・シェアとして採用することが、CMIMと連動する共通通貨バスケットとして適切と考える。このような目的から、AMU-cmiを新たに創設することを提案する。AMU-cmiはIMFにおけるSDRと同様の概念として、今後CMI参加国の既存の準備資産を補完するための際の準備通貨として、あるいは計算単位として活用されることが期待される。既存のAMUと大きく異なるAMU-cmiの特徴としては、以下の2点が挙げられる。
- CMIMの資金総額1200億ドルに対する各国の貢献額の割合をバスケット・シェアとして採用する。
- CMIMに新たに参加する香港をバスケット構成通貨として採用する。
AMU-cmiのバスケット・ウェイトは以下のように計算される(注2)。
従来のAMUと異なり、AMU-cmiのバスケット・ウェイトでは日本円のウェイトが32%と最も高くなり、2番目が中国元(28.5%)となるが、香港を含める中国のウェイトは32%である。また韓国ウォンのウェイトが16%とAMU(約10%)よりも高くなっており、日中韓で全体の80%を占めている。北東アジア3カ国のウェイトが高くなっているのは、金融や経済の現状を反映しているといえるが、その意味において、今後の地域協力の主導的な役割を果たす責任がある。